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私の祖母が最後にノートに書いた文章

亡くなってもう何年も経過したが、母方の祖母が亡くなった時、私は葬儀に参列しなかった。ちなみに祖父の時は参加したのだが、祖母の葬儀に来ることを私の母親は拒否なのか上京している私の忙しさを優先したのか、「来なくていい」と言って拒んだ。祖母は優しかった。とっても好きな祖母だった。最後に会ったのは認知症の状態が始まってからで、数年後に施設で亡くなった。母親は葬儀で泣かなかったという。認知症が始まって施設に入るまでの間、祖母の子供(兄弟が多かった為、)過酷ではあったが交代でケアが出来、その事に安堵した、できる事はしたとの満足感からだったのかもしれない。

私は祖母に会いに行ったことがある。その時は祖母は自宅で暮らしており、家の外にいた。そして、「ああ、」と言って私の名前を呼んだ。私は驚いたが、祖母は自分の部屋に招いてくれた。そしてこたつの上に鏡を置いて自分の顔を写していた。その鏡はいつも祖父が使っていたものだ。祖父が亡くなってから5年ほど経過していたが、大事そうにその鏡を使っていたのだった。私は始め祖母がテレビを見るのに邪魔かと思い、鏡を少しよけたのだが、すぐに祖母は自分で自分の前に戻した。なので私はこの鏡が大事なのだと気がついた。今でも祖父のことを覚えているのかもしれないと。祖母は認知症の初期段階だった為、会話が少しできた。「元気か?」とたわいのないもだったが。そして私はこたつの周りに1冊のノートが置いてあることに気がついた。「おばあちゃんみてもいい?」という質問に答えてくれたかは定かではないが、そのノートを見ると、鉛筆で走り書きがしてあった。メモ帳のように。思い出した言葉を切り取ったように。短い言葉が線からはみ出て斜めになったりしながらも、祖母はメモをとっていた。「それは今日誰々から何何をしてもらった」という短い走り書きばかりだった。1ページに3つほどしか文章が書いていない。そして次は違うページに。その文章はまるで80歳の文章とは思えないような少女のような子供のような文章だった。祖母は周りの人にしてもらったことを記していたのだ。そして1番多かったのは金銭的な事だった。○○(自分の子供の名)から幾らもらったと。

そして最後のページに書いてあったのは私の母親の名前だった。

「○○○から〜円もらった。」

それが最後のページだった。祖母はテレビを見つめていて、私はそっとノートを元の場所にあるところに置いた。

私は葬儀が終わった後、母親にこの事を話した。おばあちゃんのノートを見たよ。そして最後にお母さんの名前でお金をもらったと書いてあったよ。母親はそのようなノートがあることを知らなかったらしい。話を聞いて黙っていた。大事な形見だったと思うが、行方知れずになってしまっていた。

私は祖母がどんな気持ちでそのメモを書いたかと思うと、心が詰まる時がある。してもらったことを忘れたくなかったのだろうと。そしてそれが短くも少女のような字体で優しさを感じさせた。どんな形で子供たちを愛していただろうと。愛にはいろんな形がある。決して常にそばにいることだけではない。遠く離れても、時には忘れられても、忘れても、その人のしてくれたことを見守り、思い続けることもまた愛情の形であると。

あの淡々とした文章が、私は忘れられない。そして私は今愛情の形を考えている。

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