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性別を降りてアンドロイドは夢を見る

私は、おかえりアリスという漫画にハマっている。中学生女の子1人と幼なじみの男の子2人の物語。つまり3角関係の話なのだが、ある日男の子の1人が突然消え、戻ってきた時には美少女になっているのである。そして男の子同士の複雑な恋愛感情が絡んでくる。その時美少女になって戻ってきた男の子「アリス」は「自分は男を降りた」だけだと表現するのだ。あくまでも見た目は変わったけど、中身は自分のまま。でも好きな相手は幼なじみのもう1人の男の子。

私はこの言葉にハッとした。私は女性としての感情に振り回されるのが嫌で、どこかで、男性として生まれたかったと強く思っていた。でも男性になりたいわけではない。男性の大変さを知らない。そんな時に、この変わるという言葉ではなく、「ただ、降りたんだ」という表現が胸に突き刺さった。

男性の気持ちはや大変さはわからないけど、女性として生きることにも少々飽きてきた。それは女性を取り巻く環境、仕事、恋愛、結婚、子育て、、様々な体験を聞く。感情がなければ美しい感動や心を震わすような体験も失うだろう。色々な動画で素晴らしい景観を見て、もう生きているうちに行けないのだろうかと思う時もある。でも女性特有の感情はホルモンバランスの変化の影響が大きい。つまり、性格や人格と関係ないものに左右されるのだ。感情の起伏が起きる度に私は、これは私なの?私を左右するものなの?と問いかけてきた。

時々思い出す事がある。中学生の時とても仲の良かった男の子がいた。私は彼のことが好きだったかもしれないけど、喧嘩もしたし、彼が私の事を女の子として好きになってくれると思えなかった。高校生になってからは学校は違えど、通うバスが同じだった。ある日学校から帰ってくると、夜数人で、誰もいない水の入っていないプールのある公園で遊ぶ機会があった。そこで彼と2人きりになった時、彼は私に「中学校の時ずっと好きだった。お前は気がつかなかった。」と言った。私はどうしてもっと早く言ってくれなかったのかなと苦しかった。その時にはお互い付き合ってる人がいたし、その後彼は早々に結婚してしまった。そして20歳を過ぎてすぐに、彼が亡くなったことを知った。道路で衝突した2台の車のうち、1台が衝撃で仕事で外で作業していた彼に急に向かっていったという。電話で聞いて信じられなかった。上京していた私は友人にネットで検索してみてと言われ、地元の新聞記事を検索した。そこには彼の名前が表示されていたのだ。信じたくなかった。彼は若くして家族を残してこの世からいなくなってしまった。あの日の彼が私を見つめていた真剣な表情が忘れられない。私もあの時黙って彼を見つめていた。「私も貴方を好きになりたかったよ」と言えなかった。彼は走ってその場から去った。そこから私は人を好きになることの苦い思いを覚えていく。おかえりアリスは同時期の話になる。彼は私を忘れ自分の家族を見つめている事だろう。地元に帰りあの公園のプールで起きたことを時々思い出す。

今の私は大人になり、人を好きになることを超えて、愛する経験も幾つかは出来たのかもしれない。だけど苦しさも相変わらず相対してくる。冷静でいたい私にとって感情の起伏が辛いのだ。そして愛情のバランスがとれなくなった2人が簡単に別れを選べない場合もある。上手く行っている時愛情は素晴らしい、世界を光の様に輝かせてくれ、どんなに酷い状況でも力を与えてくれ美しさを与えてくれる。心に余裕を与えてくれて人生に生きる意味を感じさせてくれることだろう。そういった出会いはすべての万人に平等に、永遠に与えられるものではない。

突然だが、ロボット研究の権威である大阪大学教授兼国際電気通信基礎技術研究所の石黒浩教授が主張した「人間はアンドロイドになりたがっている」いう主張を知ってから、私はその意味を数年考えていた。シンギュラリティを突破し、AIが人間の知能を超え超知能へ、いつか人間はサイボーグから始めてアンドロイドに移行するのかもしれないと思うようになった。またはジェミノイド(モデルに酷似した外見を持つアンドロイド)であれば不老不死を得るという意味もあるのかもしれない。生と死の境目が今度もっと複雑になっていくのだろう。何年後かはわからないが。

ロボットの話をすると、長年ラピュタに登場するようなロボットデザインや巨神兵に惹かれていたのだが、同時に理由のわからない悲しみも感じていた。何故私はロボットやアンドロイドを見る時に悲しくなるのだろう?と不思議に思っていた。その答えを私が芸術の先生とお呼びする方にお尋ねした時、「実はロボットも実は簡単な形状で表す事ができるから」というものだった。東京工業大学の本川達雄先生が歌う生物学という面白い講義(歌)がある。生き物は円柱形で表現できるというものだ。(その歌はyoutubeにあるのだが聞いているだけで何故か元気になる歌である https://youtu.be/8igtaPD2nGo

ロボットも例えどんな複雑な形状でもそれはシンプルな形状の集合体なのだ。そのロボットの高度な技術が持つテクノロジーさとその形状に反するシンプルな形状であることの相違性が私に悲しみを感じさせていたというのだ。私はその時納得した。

だがある日私はもう1つの理由を思い出させた。それは私自身がアンドロイドになりたいという欲求をもっていたことだ。あらゆる欲求と感情にまみれた人間としての私に、無意識にさようならを告げていたのだった。でもこれは何も悲観的な話ではない。何故ならそれを思う時不思議なことに私はアンドロイドになってしてみたい事は、愛する人の側にいたいという事だ。

人間としての私は愛する人の側には感情が邪魔をして自分自身が鬱陶しく存在できない。喧嘩も葛藤もしたくない。愛情は生まれはするが、消えもする。長年愛し合うパートナーも恋人も結婚相手も存在するならば美しい。最後まで愛情で共に支えられる関係から私は残念ながら、手から砂がこぼれるように落ちてしまった側の人間だ。

例え感情を失ってもその人に安らぎを伝える事が出来るのなら、アンドロイドとして愛する人のそばにいたい。感情の失ったアンドロイドになれるのなら愛する人のそばにいたい。

まるで「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の小説やTHE GHOST IN THE SHELLの世界だ。サイボーグになるための治験に参加できるのならするかもしれないとまで思う。だけどその時私が対峙するものは、きっと人間の愛情や自己犠牲や自分を自分たらしめる魂を逆に探すことになるだろう。人間との境界線を探す為に。アンドロイドになって初めて感情を探す旅に出るのかもしれない。感情を捨てる為にアンドロイドになった私が感情を探すパラドクス。

そんなおかしな夢を、私は見ている。

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