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世界を旅した私が、サステナビリティコンサルになる理由 #ポスト旅人キャリア

世界一周の旅から帰国して7ヶ月。
2024年4月から、サステナビリティ・ESGコンサルタントとして某監査法人に勤務することが決まった。
旅を経て、どんな思いでこのキャリア選択に至ったのかを綴ってみようと思う。


はじめに

世界一周後の旅人を見ていると、いろいろなキャリアの歩み方があるようだ。

代表的なものとしては、

・日本で会社員に戻る
・フリーランスに転身
・海外ノマドワーカー
・ワーホリや現地就職などで海外移住
・リゾバ

などだろうか。

最近は日本の安月給や停滞感に嫌気がさして、ワーホリで海外に飛び出す若手も多い。
リゾバで早く貯金して、また海外へ、という人もよく見かける。

しかしそんな中でも私は、日本を拠点に、会社員に戻ることを決めた。
それもただ旅前の勤務先に戻るのではない、大きなキャリアチェンジを決断したのだ。

世界を旅した私は、なにを思って、サステナビリティコンサルになるのか ーー。

1章:資本主義社会をどのように生きるか


1つ目の理由、それは、資本主義社会を脱することができないなら、誠実な経済活動に寄与したいと思ったからだ。

世界一周の旅に出る前、わたしは資本主義に疲れていた。
常に120%成長目標が課され続ける営業の仕事をしながら、心身を蝕まれていき、忙しい業務に人生のほとんどの時間をとられてなんとか売り上げを達成しても、自分に振り込まれる額面に景気の良さは無い。

誰かの心の健康や、大切な人との生活を犠牲にしてまで、会社と株主のために”成長”するのが資本主義の是なのであれば、いっそ資本主義世界から脱してしまいたい

そんなふうに考えるようになり、流行りの脱成長やポスト資本主義といった言葉に安易に興味を示すようになった。
そして、きっと「成長」「効率」「利益」を追求しなくても幸せになる社会が、世界のどこかに広がっているはずだといいう期待を抱いて、私は旅に出た。

しかしそれは思い違いだった。
私は予想に反して、旅を通して下記のことに気づいたのだ。

①資本主義は、誰も抗えないほどに地球を支配していること
②仮に抗えたとして、代替となる仕組み、つまり社会主義が機能するとは限らないこと
③自分は資本主義の構造的強者側にいること

経済成長の裏で、未だに寄生虫のいる湖で水を汲み暮らすケニアの村人。
ブラジルの高層ビル群のすぐ隣に広がる、巨大な貧困地区。
駐在員街のすぐそばで、群がってくる物乞いの子供たち。

そういった誰が見ても明らかな分断に限らない。

世界中どの大陸でも、出会う旅行者は誰か。
それは大抵ヨーロッパ人か、中国人、韓国人、日本人であり、
そこにたとえばベトナム人やタイ人やエチオピア人はいない。
(低中所得国にも超富裕層は一定数いるので、そういう人は高級ホテルにいけばいるのかもしれないが。)

クルーズに乗ったらどんな人がいるか。
乗客は北米の人かヨーロッパ人で、
配膳や清掃等のサービススタッフはインドネシア人やフィリピン人だ。
その逆はない。

ケニアの村人や貧困地区のブラジル人や、クルーズで出稼ぎをするフィリピン人が不幸だと言いたいのではない。
一人一人の暮らしを見に行けば、中にはお金ではない心の豊かさがある人もいるだろう。それは尊いことだ。

しかし、機会には差があるのだ
どう頑張っても教育を受けたり仕事を選んだりできない人と、
ちょっと頑張れば大抵の機会は獲得できる人。
その違いを生むのは結局「資本」だ

私がたかだか4年ちょっと働いて、節約旅ながらも世界一周ができるのはどういうことか。
歴史や国際政治を背景に、資本の力によってどうしようもないくらい巨大な格差が生まれているこの世界で、「構造的な強者側」に運良く生まれることができた。
そんな私が、「資本主義に疲れた」なんていうのは、甘えだと思ったのだ。

確かにこうして格差を生む資本主義がベストだとは思わない。
しかし逆に、社会主義で最高にうまく行っている国があるだろうか。
社会主義国では経済は停滞し、崩壊につながりやすい。
行き過ぎの資本主義は格差を生むが、現状の最適解であり、
そして地球を支配している資本主義は、私や誰かが抗って動かせるようなものではないことを、旅を通して腹落ちさせることができた。

資本主義社会から逃げられないのならば、その仕組みの中でどう生きるか
たまたま機会を獲得できる場所に生まれたならば、その立場を資本主義社会の負の解消にどう還元できるか
資本主義社会の中で、犠牲になるべく加担せず、日本という国に生まれた使命を果たしたい。

1年かけてじっくり自分と世界に向き合った結果、そう考えるようになった。

2章:産業国としての、環境への責任


2つ目の理由、それは、産業大国に生まれたものとして、地球への責任を感じたから。

世界一周のハイライトのひとつだった、南極渡航。
世界最南端の都市から船で48時間かけてたどり着いた地球の最果ては青く輝き、私を含め全ての船の乗客を魅了した。

それと同時に、目の前でみたこの美しい大陸の氷が、刻一刻と溶けていっているという事実に恐怖を感じた。

南極だけではない。パタゴニアと呼ばれる南米の南端エリアには多くの氷河が存在するが、そこへ足を運んでみると、ガイドの解説やミュージアムの展示、あらゆるところで地球温暖化と氷河の融解の危機をしきりに伝えていることに気づく。

危機を引き起こしているのは、紛れもなく私たち人間で、
しかもそのほとんどは、工業化の進んだ経済大国が加担したものだ。

温室効果ガス排出量ランキング上位6位を占める
中国、アメリカ、インド、ロシア、日本、ドイツ。(世界銀行2023

これらの国を出身とする人は、乗船した南極クルーズの乗客の9割を占めていた。
自然破壊を代償に経済を発展させ、その富で南極行きの権利を手にし、なんて美しいのだろうと感動している。
その自然が、自分たちの手によって失われていくというのに。

そのままではあまりにも無責任ではないか。
産業大国に生まれ、南極をこの目で見た者として、
この自然を守り抜こうと努力する責任があるのではないか。

単純な興味で訪れた南極での体験が、使命感に変わっていった。

3章:50歳でどんな姿でありたいか


3つ目の理由、それは、50歳になった時にありたい姿を考えたから。

その背景には、パナマでの60歳の女性との出会いがあった。

彼女は、その時代ではまだ女性としても相当珍しかったであろうITを大学で学び、シングルマザーとして一人息子を育てながら、ITエンジニアとして活躍した。かつては任天堂とも仕事をしたことがあったという。
60歳を迎え、リタイア後も、個人事業主的に、IT企業のアドバイザリーを務めている。

まだ息子が幼かった頃、パートナーと別の道を歩み息子を引き取ることになった際は、不安でたまらなかったという。
海外出張もある仕事をしながら、息子を育てることは決して簡単ではなかったと教えてくれた。

しかし今は息子は立派な大人になり、素敵な一軒家に息子と愛犬2匹と暮らし、これまで訪れた国々で集めた工芸品をコレクションとして飾って、還暦を迎えてもナイトクラブで手持ち花火を持ってお祝いするような楽しそうな人生を送っている。

そのような人生を歩めたのはなぜか。それは彼女が専門性を磨き、長く続く信頼関係を構築してきたからだ

彼女は自立し、自由を手にしているように見えた。
そして、わたしも20~30年後、そのような姿でいたいと思った。

もちろん、何よりも今を大切にハッピーにいられることが大事だけど、
それと同時に中長期で人生プランを考えようとできる年齢になったのかもしれない。

50~60歳を超えても、仕事の引き合いがくるような専門性、
家族を支え、おしゃれや海外旅行をいつまでも楽しめる経済力、
家族との暮らしや旅に時間を使える時間の自由、
いつか海外に暮らしたいと思ったときに通用するようなグローバルなスキル。

それらを積み上げていこうと決意したのは、ちょうどWBCマイアミ直後。
大谷翔平のマンダラチャートを真似ながら、パナマのビーチでメモ帳にプランをひっそりとしたためた。

4章:日本という国の魅力と、私のライフスタイル


最後に、なぜ拠点を日本に置いたのか。
それは、日本ほど魅力と可能性に溢れた国はないと、再認識したからだ。

1章での気づきにも通ずるが、世界66カ国への渡航を経験した今、ユートピアは存在しないという結論に至った。
先進国でも新興国でも、ヨーロッパでも北米でも中東でもアフリカでも、どんな国も、当たり前だがメリットとデメリットはあって、100%完璧な国なんてない。日本で感じる停滞感も、多少の差はあれど一定の発展を遂げた国にはしばしば存在するし、親世代よりも手取りが上がり社会保障を受けられる未来は期待できないことも、日本だけでなくグローバル共通の課題であることも知った。

日本は、ジェンダーや国籍などの人権意識が究極的に遅れているし、子育てを応援する政策も社会風土も足りないし、憤ることもたくさんあるけれど、
それでも政治経済は比較的安定しているし、一応民主主義は機能しているし、公教育も一定の品質だし、安全でインフラは完璧、ご飯も美味しいし自然も美しい。

3章で述べたように、専門性や経済力を積み上げていくには、
もう少し母国で腰を据えて、獲得できる機会を活かし、付加価値の高い仕事をしていくのが良いのではないか。
そして海外に頑張って長期で住むことよりも、定期的に旅や旅行を楽しむスタイルのほうが自分たちには合っているのではないか。
夫とも話し合いながらその結論に至った。

ただこれについては、いろいろなステージによって気持ちも変わり得る。
少なくとも現状は、1~3章で述べたようなキャリア面を考えて、日本という素晴らしい母国を楽しもうという判断になったということだ。

おわりに

以上のことを、帰国後数ヶ月かけて、自分の中でじっくりと整理した。

資本主義の中で、環境や人権を犠牲にしない経済活動が行われるように、その変化の一端を担える仕事は何か。
いずれ経済や時間の余裕を手にするためにも、グローバルな視野で物事を捉えながら、自分の専門性を磨ける仕事は何か。

その中で出会った仕事がサステナビリティ・ESGコンサルの仕事だった。
業種も職種も未経験で、実際これからどういった案件に携わり、どんなことを学び感じるのかは、これからのことなので正直わからないことも多い。
しかし今はこうして、旅出発前〜帰国の期間を通した経験を自分で整理することができてすごくスッキリしているし、やる気が漲っている。

一年世界旅行なんかして仕事に戻れるの?と聞かれるが、私の答えはここに記述した通りだ。
私自身初心を忘れないためにも、このように文章にまとめてみた。

正直、ここまでの考えの中には、矛盾や理想論も大いに含まれていると思う。
誰かの犠牲に加担したくないと言いながら、自分は専門性と経済力をつけたいなんていうのは、大変身勝手な考えだし、
日本が資本主義の中で恵まれている側なんていうことも、いつまで続くかわからないところまで来ている。

簡単に変えられない世界の構造の中で、結局は自分も必死で生きていかなければいけないし、そのためには善行と身勝手さの折り合いをつけて歩んでいくしかない。

様々あるポスト旅人キャリアの中で、私はこのような選択をしたが、
人生は結局は自分が幸せでいられるかどうかが一番大事だ。
でも、自分が幸せでいるために、誰か/何かを搾取してはいけないし、したくない。
そうやって考えをシーソーのように行ったり来たりさせながら、バランスをとって必死に生きていくのだろう。

世界一周旅人が、帰国後日本で会社員に戻るあり方は、おそらく本当はメインストリームだと思うが、その様子はあまり発信されることがなく目立たないので、私のポスト旅人としてのキャリア選択が一つの体験談としてどこかの旅人と旅人を応援する人の何か参考になったらと思う。

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