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私の人生はなんでいつもこうなんだろう?木山愛深さんとの出会い 4

「愛深依存」のままでは自分の人生の舵はとれません

※アメブロで2014年に書いた「自分史」を加筆・再考し掲載しています。


・・・を書いたのは2015年の5月。
このころの状況を書いた記録があります。

★ ★ ★ ★ ★

前話 にみなさま、様々なご感想ありがとうございました☆
「ホッとした」「よかったね♪」

そうです。たくさん大変なことがあったけど

今あるしあわせを最初に引き寄せた発端は

不幸せに突き落とした張本人と思っていた主人だったのでした。

この、天国からのギフトに

後味わるーい感じがして心彷徨ってた期間もね・・・・。
なんか・・・・・わかりますか・・・・・ワルクチイイスギダヨ( 'ェ')ネー

★ ★ ★ ★ ★

このあと。

本当に改めて主人への思いや
やっぱりあった「罪悪感」とちょいと向き合うことになります。

そして、悲しみとも。

書いたことで
気付いたことも

「向き合ってみよう」と改めて思うことも
「なんでこんなに自分のこと責めちゃうんだろう」

いろんな感情と向き合うときがくるのかもしれないです。

だから「自分史」って深いのだと思う。

本来「あったできごと」以外にはなーんにもないこと。
こうやって「感情をもって生きる」のが人間なんですよね。


でも私、こうやって結構人間くさく生きていく自分。
キライじゃないです。
セラピストっぽくないかもしれないけど(w


ここからは、
「しっかり前を向こうとしていく私の立ち止まりっぷり」を丁寧にお話していきますね。


ちょっと遡りますが
主人が亡くなってから様々な人に心配かけている(自分ではあまり覚えてない)頃

よーく顔をみにやってきてくれる知り合いの方がいました。
ほんと、パンやら、草もちやら、おから炊いたのやら・・・・

あ、食物しか覚えてないや・・・・( 'ェ')

たまに、お花とか、いい匂いのする石鹸とか(全部書かなくっていいか)

あまり毎日のようにたずねてきてくれるので

あるときその友だちに

「あのね、いつもいろいろ持ってきてくれるけど・・・・

きっとわたし、これからもなんにも返されへんねんか」
って言いました。

そしたら彼女はね

「ん?ゆうあちゃんの顔みれたらよかったーって思えてるから、そんなん思わんでええんよ。

もし、返せる日がきても、あたしじゃなくって、他の人に返してもええと思うねん。
ゆうあちゃんの言葉がほしい、笑顔がみたいって人、いつかきっと出てくると思う

・・・忘れてたわ、こんなことがあったことさえも。
そしてなんか今涙でそうになった。(笑)

でももちろんそのころは

なにいってんだ( 'ェ')と思ってました。

本当はあとから「この子になにかあったらどうしよう」っていてもたってもいられなかったのって
聞きました。
感謝やなあ・・・。

で、私はといえば。
ボヤーンと「そんな日(私が人をちからづけるような日)がきたらほんまに、

「わたしってすごい、生きててよかったーっ」て

思えるかもしれんなあ・・・・っていうふうにも思ったんですよね。

Aちゃんが教えてくれた木山愛深さんのサイト

本当に豊かな女性性溢れる愛深さんの姿が映っていて
私はどんどんひきつけられて行きました。

そしてまさかの

叶っていたおつきさまの願い事・・・・・(はやっ)

私の潜在意識になにが豊かさを引き寄せるものがあったのか

いまだに確実な理由付けができないのですが
つまりはこういう理由であれ結構本心から

「おつきさまありがとう・・・・」←はなはだゲンキンではありますが・・・・・

と言える私がいました。(っていうかならないってありえないよね?)

タマゴが先かニワトリが先かって話なんですが

とにかく
愛深さんのもとで願えば
他のこともきっと叶うんじゃない?
と思ったのです。

でも

残念、ゆうあちゃんの巻~♪
そこからはなかなかそうはいきませんでした。

息子のことで泣き

引越しでストレス倍増し
好きな人のことでグダグダし
両親のことで泣き疲れ
ついには妹にも見放され

↑全部自分の撒いたタネとはいえこれだけよくあるな。

愛深さんのことは尊敬するステキな方ではあるけれど

当時の私には
まだまだ根強いクリアしなければならないポイントがありました。

それは「人になんとかしてもらおう」という依存心
とても大きかったこと。

そもそも

人生うまくいかない原因を
両親のせいにしている人なので

なにかあるとすべて自分には関係ないことのように
被害者ぶってる私は

どれだけしあわせになりたくても

愛深さんのブログやメルマガを読み続けても
「自分で」「自分を変えようとしないと」
人生変わるわけはないのですが

相変わらず「自分で人生の舵をとる」ことがわかっていない私は

ほとほと「いい年した困ったちゃん」の枠を超える

タイヘンなコドモオトナでした。

それはもちろん愛深さんへの依存度もハンパなくって

たとえばね

ショップで購入したブレスレット
「切れちゃったです~~~」
「もうなにか怖いことが起きるかもしれないです~~~」

・・・って泣いて電話してました。( 'ェ')

その都度愛深さんは、丁寧に接してくださるのですが
当時からお忙しかった愛深さん。

なんって迷惑なのでしょう・・・・。

※よい子はまねしないでね

ほかにもいろいろありますが

このような状態を

名づけて

「愛深依存」←ゆうあ的造語( 'ェ')

と読んでみました(誰がよー)

※宗教じゃないです。

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今、愛深さんのショップで購入したパワーストーンには
ブレスレットが切れちゃったときなどのフォローメールがちゃんとついてくるのですが

私みたいな人

たくさんいたのかもしれないけど
それって本当に迷惑な話。
でも紛れもなく私も
その一人でした。
ほんとごめんなさいの過去です。

それでもね

愛深さんは
丁寧に丁寧に
お話を聞いたり質問に答えてくださったりしていたのです。

すごい人だなあ・・・・

憧れる気持ちはどんどん大きくなりました。


お会いしてみたいし
話をきいてもらいたい。


こんなに一生懸命でタイヘンだった私。←まだこんな感じ
両親も私にはひどくって
怒りも収まらない
かわいそうな私。


でもこのままでは
ダメに決まってる。


そのころ両親への怒りは
本当に長く長く、日ごとに大きくなって続いていました。
主人に対しても・・・・・。

変わろうという決意はあっても

八方ふさがりでした。


いつしか私は愛深さんのセッションを受けようと
思いはじめます。

受けたら・・・なんか変わる?(これも依存的だとも!)

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