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私の人生はなんでいつもこうなんだろう?木山愛深さんとの出会い 2

鬼より怖いゆうあの目にも涙

※アメブロで2014年に書いた「自分史」を加筆・再考し掲載しています。


「愛深さんってね。

笑顔がとてもステキで癒される。
ブログのお話もとても女性性アップする内容やねんで。
そしてわたしも女神になりたいなーって思ったりするねん。」

Aちゃんから教えてもらった木山愛深さんのブログ

ヘーとかフーンとか思いながらも
読み始めた私でした。

最初に目に留まったもの。
それは

今まで

私が生きてきた中で「こうあるべき」と思っていたものではなく
どこか「心に蓋をした上に否定して生きてきた」事柄がそこにありました。

「女性として生まれてきたからにはみんな女性性を持って生まれてきている」

「はぁ?」って感じです。
・・・・そっか・・・・・・?
えと・・・・

↓ここからは過去記憶として当時のわたしに根強く残っていたものです。↓

母親から幼い頃に言われた

「あんたが生まれてきたときに女の子ってわかったとき
『あーかわいそう、またこんな(陣痛の痛い)思いしないといけないんや』って思ったわ」

という母の言葉をずっと

「ネガティブ感情のみ」で引きずっている子どもでした。

母は、本当に気が強くって

ポンポンと私の傷つくことをいったり
わたしの大切にしているものを壊したり捨てたりする人でした。

そして

特に「女の子らしいもの」に関しては厳しかったのです。
ほんとはフリフリといっぱいフリルのついたお洋服着たかった・・・・・けど
言えませんでした。

私が小学校のころ

母は頼まれて私の友だちのセーターを編んであげるお仕事をしていたのですが
白やピンクのかわいい柄や、チョウチン袖のオーダーにこたえながら

「こんなん、全然かわいくない、アホみたいにみえる」

なーんて言葉を聞いていました。

そして

私はいつも
ショートカット(もしくはオカッパ)。
襟付きのシャツと半ズボン。
男の子のような服装・格好。

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スカートをはいても紺色のプリーツスカートとブラウス。
(制服か)
をさせられていたのでした。

親の言葉では

「スキのない賢そうにみえる私でいること」
「ボーイッシュで男の子のようにみえること」
が「我が家での普通」だと思っていたのです。

思春期以降はそれでも

アイドルのような容姿やファッションに憧れました。

人並みに着てみたいお年頃。

でも
少しでもそのようなものを身に着けていると

「浮わついている」

「パンパンみたい」←わかりますか?
娼婦のことです、ものすごい時代の表現なんですけど(笑)

「そんな格好してるからロクに勉強もできない」
まあ、本当に勉強はできなかったですが。

さらに母親の機嫌がよくないと

ふわふわにかけたパーマを突然切られたり
洋服をビリビリに破られていたりしました。
「あんたにはこんなのは似合わない」ってね。

そんな中

男性になりたいとは
思ったことはなかったけど

「女性」であることに
どこか窮屈さを感じていました。
男だったらもっと窮屈じゃないのかなとかね。

「女性性溢れる」って

姿かたちだけでは決してないのだろうけれど

今までのわたしって
女性なのにぜんぜん女性として生きていないよね・・・・。
・・・・!!?

だから人生うまくいかないんだ。

きっとそうだ!!
「女性性」について
あまりに否定的に生きてきたから
何をしてもかわいくないといわれてたし
結婚してもうまくいかないし
ず~~~~~っとセックスレスで!!!


死んだ主人に裏切られて
子育てもうまくいかなかった。

それは絶対に
親のせいだきっと( 'ェ')

あらま。

(まだまだこのレベルです・注目!)

↑回想終わり_| ̄|○ il||li

残念ゆうあちゃん

そうです。

人生の舵をとるのは?
「自分」
ここでも自分の人生のうまくいかなかったことを
完全に親のせいにしているわたし。

もともとのこの思考が大きなピンチを作ってきたとは
このころまだ全く思っていません・・・・。

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木山愛深さんは

「お月さまパワーを使ってしあわせを引き寄せる方法」 についての提唱もしておられました。

今でこそ

おつきさまがだいすきで
いくつか記事も書いている わたしですが

そのころの私は

「お月さま(宇宙)に願ったら何でもお願いが叶うなら
みんなしあわせになってるはずだ( 'ェ')」
みたいなー

どーしよーもないんです、ほんまにどうしようもないんですけど。
ものすごく結構安易な気持ちで
でも・・・・
やろっと♪とは思いました。

なのでおつきさまの項目はとくに

黙々と読み進めていました。

ちょうど私がおつきさまへのお願いを始めた頃の

木山愛深さんの過去ログを発見しましたよ。
これです。

新月には

テーマがあって
そのときのテーマは「過去からの荷物をおろす」

次々浮かんでくる

親への怒り、恨み。

ゆるすではなく

おろしましょう。
もう、背中からおろしていいんだよ・・・・。

当時のゆうあ的
「大得意の不屈ネガティブ思考」ではこのように解釈しました。

そっか

親には(怖いし)いえないけど
宇宙にいえばいいんだ

・・・で、言ったら

一体どうなるん?
↑まだまだそんな感じー_| ̄|○ il||li

でもね

新月の夜には
遠隔ヒーリングをうけました。
新月の夜の遠隔ヒーリング。

ところがところが
瞑想していると
どんどん両親への思いが沸き出てきますあせる

あのときこうだったよね?
そうそうあのときもこうだった
いつだって両親は
私に対して冷たかったひどかった
このひとたちはわたしのこと
本当にきらいなんだ。。。。
生まなかったらよかったのに。
わたしなんていなかったらよかったのにー

怒りや悲しさばかり溢れました。

涙が止まらないし
嗚咽まででます。
なんなんだーこれ・・・・
どんどん息まで苦しくなっています。

そしてその日は

そのまま眠ってしまいました・・・・。

===============

このメルマガで愛深さんが書いておられるのは、

湧き上がってくる感情を
溜め込むのではなく
宇宙に消してもらうこと

なんですよね。

ところがね
当時私のしていたことは

どちらかというと

こちらでしょうね。

↑回想していて改めて思いました・・・・(笑)

今だからこうだったんだーって言えるけど
ほんと読んでみているっていうのと
できているっていうのとは
全く180度違うことになってしまうわけ。

(残念すぎる、わたし・・・_| ̄|○ il||li)

睡眠中にさらにきっと

強化された両親への怒り。←だめじゃん・・・・
これはたしかに
わたしの当時の現実を作り出している
とてもとても大きな心の岩盤でした。

ただね

今だから言えるんですけど

私自身はね

これを「はっきりと意識するための作業」でもあったと
今は思っています。
心をデトックスし尽くさないと
いけない状況までいっていたのではないかなあ・・・・。

もやもや・・・・と

「今ある現実が親のせい?そっかなーそうなのかもしれなーい・・・・」

ほど簡単ではないガンコ物のもちまえさと
それくらいの程度では私は当時心を傾けなかったのではと思うのですよ。

そしてね

だからこそ
「最初からできなくっても だいじょうぶ。」
っていうのも

今のわたしには
わかりますよ~・・・・

受け取るのは自分だし
その時期やタイミングも自分で決めているのかもしれないし

自分だけでは
わたしはやはり難しかったかな・・・・。

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号泣から目覚めた朝

もちろん

パンパンな目で起き上がったけど

ちゃんと机にあった

お願い事の紙の中には
忘れもしない
(すべてなんとも自己中心的な文章ながら・・・)

「たくさんのしあわせを感じて生きています」

「お金の不安を手放しています」

(↑生真面目なので

結構約束守って書いているんですよー )
などと書いていました。

☆余談☆そう、お願い事はもう叶ったように

現在完了形で書くんですよーーーー(笑)

そしてね。

その10日後。

読者のみなさま

ほんとにほんとに

長らくお待たせいたしました・・・・・

ついにあの

最初の奇跡が起きたんですよ。
みんなの謎
「ゆうあ 3500」解決へ

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方や妹は、発表会でマドンナでお嫁さんの衣装を母が手作りしてました。
かわいかったなあ・・・・

そしてどえりゃ~「妬んで」ました!w

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