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語学のキャパは決まってる?

最近ありがたいことに毎日英語を話す機会があり、オフィシャルな場面もスタッフとのちょっとしたやりとりも英語でやっているおかげで、ちょっとずつ勘が戻ってきている。気がする。

しかーし、やはり落ちたなスピーキング。

よく言われるように、スピーキングだけはやったかやってないかに影響される。リーディングやライティングはあまり変わらないってか、いきなりやれと言われてもそこそこできるが、スピーキングはそうはいかない。話すのは一瞬だから、その一瞬で文を組み立てて、口から出すのは慣れ以外の何ものでもない。やればやっただけ慣れる、やらなければ忘れる。

よく思うのだけど、語学というものはキャパが決まっている。私は特に英語を勉強して、その後スペイン語をかじり(かじっただけ)、ミャンマー語を学び、と結構いろんな言語に手を出した。そのたび思うのが、英語が強くなったときは日本語が弱くなり(マジで)、スペイン語がちょっと入ったときには英語が弱くなり日本語もさらに乱れ、ミャンマー語を勉強した時は英語がガンガン抜けていった。

つまり100という容量は決まっているのではということ。

ただ、言語を一つ習得すると、その言語の構造を学び、必然的に日本語というものへの理解も深くなると思う。だから日本語力自体は落ちるかもしれないが、日本語への理解が深まるため上手くなる部分もある。私は確実に英語を習得した後の方が日本語の表現力が上がった気がしている。あくまで気がしている。同じようにミャンマー語習得の際は英語への理解と日本語への理解が深まったと思っている。あくまで思っている。

そんなわけで、昨日の研修で思ったこと。それは日本語で理解していないことを英語で説明できるわけがないということ。ある程度日本語で理解していたつもりだったけど、まだ慣れない分野の話を英語で研修していたからか、説明しているときに自分が話している英語がどんどんと意味不明になっていったように感じた。というか途中、絶対意味不明だったと思う。でもそれは英語力ってよりかは日本語で聞かれたとしても同じ目に遭っていただろうと思うと、私の言語力でなく、その分野への理解度だったのだと言える。

といういいわけをしたかった。ははは。

英語ができると外の世界とのコミュニケーションの幅が広がる。英語を学んだことで言語への理解が深まった。英語を身に着けてから、日本語に関しては小説を読んで深く文章を感じられるようになった。そしてそして、外へ出たら日本人とのコミュニケーションが面倒くさくなった。というか日本人は面倒くさい人が多いことに気づいた。

良いことずくめだ。

それにしてもインコかわいいな~触りたいな~