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ムダなものを100個作る

一ヶ月前くらいに韓国料理屋で友だちと
「わたしムダなもん100個作るわ」
みたいな話をしていた。

今年、散々「クリエイティブ」やら「アート」やらを言われてもう心底ウンザリしていて、そのへんの愚痴を共感してくれそうな人たちに「クリエイティブとかアートとかウザい。カッコいいと思ってんな。あと日本語使え。発音違うわ」と喚き散らしていた。

作品って作ったからと言って腹の足しになるわけでもないし、どちらかといえば「ムダ」の部類だと思う。なくても生きていける。でもあったほうが確実に人生は豊かだし、創作活動できる場があるのはそれだけ社会に余裕がある証拠だ。そんなのはわかってる。作品そのものに罪はない。

ただ、"クリエイティブ" やら"イノベーション"やら言ってる人たちって「作りたいから作る」んじゃなくて、「周りから一目置かれたいから作る」っていうのが多くてイラッとする。だったら「自分ってすごいでしょ! わかってるでしょ! もっと見て!!!」って言ってもらったほうが気持ちが良い。テメエに「クリエイティブっていうのは……」と説き伏せられなくても何がそうでそうじゃないかは判断できるわ、うざっ。

と、この一年そういったことが溜まってたんだけど、先日ふと「知人にウケたネタとかを作品にしようかな」と思った。あんまり得意じゃないこともしなきゃいけないけど、「このまえ韓国料理屋で宣言しっちゃったし、ムダなもの100個作るか。どーせムダだし」と開き直ってつくることにした。

そんなこんなで今のところ毎日ひと作品作っている。やり始めると見えてくることはかなりたくさんあって、それでやっと「世間一般で言われていること」が理解できることもある。「これってこういうことなのか」「さすが先輩たちは違う、ナルホド!」とありがたい気持ちになる。そして一旦作り始めると、「あ、次はこれ作ってみよう」と次々ネタが思い浮かび始める。

私の作品なんて全然稚拙だけどいいのだ。だってまだまだよくわかってないし、わかりたいから作ってるわけだし。そもそも人に見せるためには作ってないので、あまり反応がなくても気にならない。それにどうせ、私の作品なんて作ったからといって世の中のためになるようなものではないのだ。だからこそ好きなように作ることができて気が楽で、楽しくおもしろい。

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