今年は今年で慚愧に耐えない

 ウリャオイウリャオイウリャオイウリャオイ(これはこの12月30日まで全くのノーアイディアで走る羽目になるとは思っていなかったなあ、ということを表現しています。それはそれとして今年のベストアルバム500など方々で見る様になったものの、そんなに聴いてなかったので3程引いて終わろうかと思います)

貴方が望む僕を僕は特に望んでいない
貴方の望みだけ注ぎ込まれているようだ

 一体どういうわけか今年全く望まぬことを続けるという、月曜早朝の近所の公園の砂場にひたすら拳を打ち付け、南米へ至ろうとするかの有様でございました。要するに誰もやりたがらない根雪の様になった仕事を一身で受けていた。やることはやるけど、感情の同化を求めるのはほんと勘弁してください。

 冒頭のオノマトペは実はアイドルソングらしいのだけれど、アイドルソングを聴いて「元気を分けて貰えた! 好き!」と云う感情を抱いたことがないわたしとしては何もわからない。

 わたしたちは神羅万象わからない。

 大体、一昨年くらいに「りんご1つとみかん1つ、足したらいくつ?」などと云う胎児でもわかりそうな「1 + 1 = 2」を危ぶみ始めたあたりからどうにもおかしい。……りんごとみかん、足せなくない? いえ、それを解決するのが線形代数というもので、あれそれと云う面白い性質があり……。

 わからないからわからないなりに調べてみようと飛蝗、魚類、植物、人間、鳥類、法律、人間を経巡るに、無限に連鎖するわからなさ。たぬきは絶滅してないのが不思議なくらい弱い生き物らしいですね。主な自衛手段が「美味しくない」以上のものがないのだとか。過酷な世界でございます。

 何だか楽典に手を出して取り憑かれた様にEマイナーペンタトニックを、ただそれだけを弾いていた時期もあった気がします。5ブロックあって、12フレットからまた同じかたちになるんだよ。ペンタには12音あってね、エレキは最強のアコースティック楽器なんだよ(倍音装置が本体とアンプとエフェクターの3つがあるから)……誰か助けて!

 『理科系の作文技術』からテクニカルライティングをまとめ、ビジネス文書の標準化などを行ったり、その流れでずいぶんビジネス書とか望まぬ読書を強いられたりもしました。そもそも『理科系の作文技術』自体目が滑る文章なのはどうなんだろう。「日本語でも冷厳な論理を記することが出来ると信じる」等、ある語族は母語以外の方法で考えることが出来ないのではないか、というある種自我論の様になる中盤で目をハサミで貫きたくなった。

手に入れるのが勝利なら
手放すのは敗北でしょうか
ちょうどこんな月の夜
刻を告げる鐘の音を聞いた
残響は空っぽのわたし
全部見透かしている様で

 今年一番格好良いロックンロールだなって思った『躍動』から。よし、退職エントリは「あの鐘の音を聞いたから」にしよう。実家から突然電話がかかってきて、曾祖父さんの遺言が「信仰心を持って欲しい」と云うものだったと聞かされ、ああ、わたしはなんて空疎なのだろうと崩れ落ちそうになる、科学の徒であることです。科学で扱えないことがあることは知っている。でも何が出来る? そんな欠落を抱えている芸術家もいるんだな。

 信仰心、信仰心……シモーヌ・ヴェイユの話、します? 『工場日記』はおそらく過労からくる明らかな抑うつ状態が読み取れて、だいぶん無理していた時期、意識が曖昧になっていた自分と重なって辛いです。

 生まれて初めて演劇というものを見に行くなどもした。壇上の連中も客席の連中も救われねぇなあ……でもそうとしか生きられんもんなあ……。小学生のころ、どうしてもどうしても『シラノ・ド・ベルジュラック』の劇が観たくて駄々をこねるも連れて行って貰えなかったのを思い出したぞ。どうして『シラノ・ド・ベルジュラック』を観たかったのか思い出せないし、食が細い以外は手間がかからない子だったらしい旨を総合して考えると矛盾が生じるのだけど。
 長じて文庫で読んだ『シラノ・ド・ベルジュラック』はとても染み渡りましたが、ロクサーヌというのはシラノが想いを寄せるほどの女ではないのであって、シラノはロクサーヌを介してクリスチャンへ愛を囁いていたのではないかと余計なことを述べていたのはご存知塚本邦雄。なんもかんもあいつが悪い。

明けない夜も歌が途切れないように
当てなく迷う夢がもつれないように

同じ孤独を見てたあなたならわかるでしょう

 わたしたち、きっとナイトウォッチなのであって、救われてはいけない。

なんかくれ 文明とか https://www.amazon.jp/gp/registry/wishlist/Z4F2O05F23WJ