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穴の底には

最近Twitterで回ってきた、児童文学みたいな記事。

(冒頭スクショは当該記事にリンク)
以下、引用です。

6年前、些細なことで母親と喧嘩をした当時10代の少年が、その怒りを鎮めるため庭に穴を掘り始めた。予想外に穴掘りにはまってしまった少年は、その後6年にわたり掘り続け、ついには地下に小さな部屋を作り上げた。自宅のコンセントから延長コードを伸ばし、部屋に電気を引いた快適な小部屋をSNSで公開

外出時の服装について親に注意を受け、拗ねた14歳の少年は、怒りを“庭に穴を掘る”とという作業にぶつけた。

強い力で叩いて岩を壊していく作業は、思いのほかアンドレスさんの心を落ち着けることができたようで、その日を境に毎日庭の地面を掘り続けたという。
(中略)
「最初の3年間は、どれだけ深く掘れるのかということだけを考えて掘り進めていました」と明かす。その後、ある程度の深さまで掘ると「ここで生活できる部屋を作れるんじゃないか?」と思い付いた

その結果が、上記スクショの部屋だ。wi-fi完備の快適空間で、友人と音楽を聴きつつお酒を楽しむ日もある。

まるで寓話だ。怒りから生まれたユートピア。

穴を掘る、というのは原初的な営みだ。人類は住居を得るため、獲物を待ち伏せるために穴を掘ってきた。豊かな暮らしやご飯のために。
あるいは、心の慰みのために?

検索していたらこんな話にも行き着いた。


「第198回 サドン ~穴を掘る~」より(スクショは当該ブログにリンク)

一部引用します。

精神的に追い込まれた僕は穴を掘りつづける行為に、なぜか、逃げ場を見出した。生徒たちの寮の隣には小さな空き地があった。そこを畑にするという理由で、僕は深さ1メートルもあるかという穴を次々と掘っては埋める作業を繰り返したのである。
(中略)
あのとき、汗だくで穴のなかから見上げた夕焼けと、夕焼けを背景にした生徒たちの笑顔がたまらなく美しかったのを鮮明に思い出すことができる。そして、穴掘りのおかげでどんなに辛くても夜はぐっすり眠ることができたし、思わぬ副産物で、その畑で育てたジャガイモは驚くほど素晴らしく、学生食堂のおばさんたちから感謝された。

怒りや悲しみを解放する「穴掘り」。単純作業の効能といえばそれまでだが、お二方ともストレスをバネにに新たな幸福を生み出しており、示唆に富んでいる。

…………
かと思えば、「穴」には秘密が隠れている、という伝承も多々。「王様の耳はロバの耳」では、理髪師が穴に叫んだ秘密が、民衆の知るところとなった。

こちらは熊野の民話。

(スクショは当該ブログにリンク)
一部引用します。

紀伊国熊野に大雲取、小雲取という二つの大山がある。この辺に深い穴が数カ所あり、手頃な石をこの穴に投げ込むと鳴り響いて落ちていく。2、3町(1町は約109m)、行く間、石の転がる音が鳴りつづけているという限りのない穴である。

その穴に餓鬼穴というのがある。ある旅の僧がこの場所で急に飢餓感に襲われ、一歩も足を動かせないほどになった。ちょうどそのとき、里人がやってくるの に出会い、「この辺で食べ物を求められるところはありますか、ことのほか腹が減って疲れています」というと、里人は「途中の茶屋で何か食べなかったのですか」という。

「だんごを飽きるまで食べました」と僧はいう。「ならば道の傍らの穴を覗いただろう」と里人。「いかにも覗きました」と僧がいうと、「だからその穴を覗 くと必ず飢えを起こすのです。ここから7町ばかり行くと小さな寺があります。油断したら餓死してしまいます。木の葉を口に含んで行きなさい」と里人。
教えのようにして、かろうじてその寺へ辿り着き、命が助かった、という。

穴の奥の妖怪の怒りを買った罰は、餓死であった。

柳田國男は幼少期、神社の、祠の前をいたずらに掘っていると古銭が出てきて、「真昼の空に幾つもの星が現れる」という幻覚を見たと語った。銭は、土木・建築の儀式に使われたものではと推察している。

(スクショはAmazonにリンク、参考はこちら)

幻覚体験は彼の気質によるところが大きいと思われるが、「秘密を暴いた報い」と捉える民話にも昇華できそうなところが面白い。

「穴掘り」に関して調べるうち、今回最も度肝を抜かれた話。

(スクショは当該記事にリンク)

現役山伏の筆者が、一晩穴の中で過ごした話。
「石子詰め」という、穴に罪人を入れ顔だけ出して石を詰め、少し離れたところから、大勢の山伏が顔めがけて石を投げ、最後に大きな石を落とし殺害するという山伏の処刑方法がある。元は修業・儀礼の一環であったと推測されるが、筆者・坂本氏はこれを「生まれ変わり」の擬似体験にしようと思い立ち、実行に至った。
興味ある方はぜひ読んでほしい。
自ら進んで穴に埋まる人もいるのだ。
3年前の胆振沖地震の際、停電で真の闇を経験したことを思い出した。

フィクションの世界だと、村上春樹は井戸から妻の元へ向かうし(「ねじまき鳥クロニクル」)、
小山田浩子は、へんな獣を追ううちに穴に落ちる(「」)。
心と心をつなぐ、トンネルとしての穴。

ルイス・サッカー「穴 HOLES」は、未成年犯罪者の更生手段としての穴掘りを描いている。しかし裏には幾層もの秘密と物語がある。家族や差別や卑しいはかりごと。
伏線回収のお手本みたいなストーリー。

人には本来穴を掘りたい、埋まりたい願望があるのだろうか。野生の生き物としての。
そんなことを思った。
個人的には、心的セルフイメージの真ん中にはだいたい空洞がある。井戸や泉が湧く深淵。元気のない時はブラックホールだが。
内臓にも骨にもある「空っぽな空間」を、無意識に感じているのかもしれない。

全然まとまってないですが、備忘録として。
穴と人類について、何らかの形で表現してみたいです。


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