つねに愛を、の難しさ(人にも自分にも)

色々とストレスフルな状況が重なり、ついにKO。
週明けから、過敏性大腸炎発症であります。
お腹のもやもやがしばらく続いてたので、まずいなとは思っていたのですが…。
とりあえず漢方を飲み、おとなしくしている。あと納豆とビオフェルミンもばっちり揃えた。腸内環境を整え、今週中には小康を得るのが目標です。

弱い自分がいやになるけど、いやがったところでこの体と心からは抜けられない。
若い頃はこんな時「死にたい」と安直に思っていた。でも一番よく当てはまるのはこれだ。

(画像は当該ページにリンク)

岡野さん、好きな歌人のひとりです。柔らかで率直な言葉の使い方に心掴まれております。

これ、人類なら1度は思ったことあるのではないだろうか。わたしは1億回くらいあります。
つまりは、受け止められるまで待って、という心持ち。
わたしはメンタル弱めな上にどんくさい。なので、何かきつい事が起きて対応するときって大抵、反射的に動いてその場をしのぎ、その後いろんな痛みにおそわれる、というパターンになる。痛くてのたうちまわっている時に、死にたくなるんですねー。

多分もう、精神的に強くはなれない。
既にいい歳ですが、人生ここまでひ弱できてしまったので。
なのでもっと賢くなって、自分を守れるようになりたいのです。知性と教養をごくごく吸収して、良質な身体と頭脳を手に入れたい。ただ、削られてる状態だと本も読めないので、まずは元気にならなくてはならない。
自分で自分を抱きしめる気持ちで、自愛につとめます。
さっき、友人とのやり取りの中でようやく泣けたので、少しは良くなりつつあるのかもしれない。

……
ストレス要因のひとつは、自分がかんじやすすぎることなのだと思う。

子どもの時、親からは「あんたは周りの顔色ばっかりうかがう子」と言われていた。そんな言い方酷くない、おかーさん?と思うけど、当時は家庭環境が良くなくて、びくびく生きていたから仕方ない。
色々調べたら、HSPというやつらしいです。ハイパーセンシティブパーソン。
人より五感が敏感にできていて、人や物、雰囲気などから受け取る情報量が多いそうな。ほかの人生をやったことがないのでよく分からないけれど、人混みが苦手とか、人の気持ちが何となく分かるってのは、この気質が原因だと思われる。
周りの感情が自分に入ってくるのが辛くて、若い時はわざと空気を読まないようにしていたものだ。流石に何十年も生きてれば慣れましたが。
ただ、この気質だからこそ、音楽やお笑いや小説や、色んなカルチャーの素晴らしさを存分に味わえているのも事実だ。
アートを愛でるという、人間として生きることの喜びを最大限にもたらしてくれるこの身体や心が、基本的には好きです。「メンタル最弱」な人生はけっこう大変だけど。

まあ、元々コロナ禍があって、主に仕事面で振り回され、疲れ果てていました。そこにあれこれ降ってきたので、この結果なんでしょう。
こういうのも二次災害って言うのだろうか。言いたいですけどね。

……
ところで、前回のエントリで書いた「愛を減らす」問題は、取りあえずのところ解決した。
近しい間柄の人と、努力したけど気持ちがすれ違ってて辛かったが、さらなる話し合いの結果、和解できた、という話です。
こちらの状況を分かってもらえたし、相手の気持ちも理解できた。ディスカッションに応じてくれて、本当に良かったです。

ただ、その後の日常を過ごしているうち、やはりていねいな微調整、大事に至る前の「ヒヤリ・ハット」な段階での、細やかで質の高いコミュニケーションがもっともっと必要だなあと感じてもいる。
つまり今はまだ途上な関係性なのだ。
とはいうものの、完成された人間関係なんてありえない。あってたまるかよ。とも思っている。

なので今後も、「ん?」と感じたら早めに報告相談するとか、つねに感謝を伝えるとか、相手(や自分)を大切にするとか、そういうのをコツコツ積み上げるしか、やれる事はない。
地味に地道に信頼を構築していくのが王道であり、最短最強ルートです。

この、「つねに」ってのがやっぱり難しいです。エクセルでも作ってチェックしようかな…。がんばります。

先週、ストレスマックスの時に食べたビーフカレー。溶けた牛肉とミニ玉ねぎが大変に美味しかった。

楽しいことを楽しいと、素直に思える心と身体を保ちたい。自分らしい幸福を生きたいです。

サポートいただけたら泣いて喜び、創作活動に活用します。