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急な気づきと光

YouTubeをだらたら見てたら、心理学ベースの啓発系広告が上がってきてなんとなく見た。普段はスルーするタイプの成功なんちゃら的な

それがぐっさり刺さった。
いわゆる「思い癖からの解放」。自分のやりたいことに全集中できないのは幼少期の体験にあるよ、と。ありがちなリーディングだ。

恨みつらみ、被害者意識は人生を曇らせる。自分の心のうちが目に移る世界を作るから。
好転させたければ、メンタルの基礎となる親との関係を改善せよ、心からの感謝を伝えよと。
よくあるパターンです。

これまで3万回くらい見てきたタイプのやつだけど、「被害者意識」というワードが引っかかった。最近ずっとまとわりついてる感情なので。

思い切って思考整理をした。

わたしの人生を狭めているのは確実に恨みつらみ。自分の小ささ、自信のなさ、無責任さ、世界への恐怖心や不安を歪みとともに顕在化してる。たしかに。
かなしい事実をフラットに受け止めた。

ただ、周囲を許せるかというとそういうわけでもなかった。見下し思考の自分が現れた。
自分の思考がネガティブ世界を作っていたのは理解したが、どうしても腹の底から感謝が湧かなかった。特に親に対して。

根っこは幼少期の教育だろう。
わたしがわたしらしく生きることと、親がわたしに期待したことに大きな齟齬があったこと。親はわたしが期待と違うタイプと分かってたと思う。でも深く考えてなかったのではないだろうか。
わたしは根っからの空想野郎で、物事を大掴みするのが得意。哲学的思考も好き。何でも起源が知りたい。あらゆる思考や現象を解体したい。
人間観察にも自信がある。周囲からは面接官の才能があると言われる。気遣い的なワークも大好き。頑固でストレスに超弱い。パーソナルスペースは広めだ。
芸術を愛好するときに、その特性はとても役立つ。なので芸術全般をとても愛しているし、その周辺で生きていたい。協調性や社会性などない。空気は読めるけど。
でも両親は組織でうまくやれる普通の子に育って欲しかったのだと思う。世間ずれせず周りとうまくやれるような。矯正しようとしていた感もあるし、期待に添えない出来損ない(大意)と言われたこともある。

大いなる齟齬だ。

その行き違いに不満と愛情不足を感じていた。

多分違うのだ。愛情はあったけどベクトルが違って悪気もない。愛と思考は違うから。
地獄への道は善意でできているのだ。
突然そこに気がついた。

なんやかんやいってもやりたいことはやらせてくれた。言い出したら聞かない子なんで。
当時のわたしは、やりたいことに対して常にスケールダウンを迫られるのが悲しかったが。

ひとは理解し合えない生き物なんだな。
古田新太は「役者は脚本を誤読するもの」と言ったそうな。人生も然りだ。

わたしも、自分や周りを誤読していた。感情、思考、全てをごっちゃにしていた。
幻想なんすね、人間関係なんて。吉本隆明の対幻想を思い出す。

率直に言って、まだ許せたり心からの愛情が湧いてきてはいない。
愛を受け止めたらこれまでの苦しみはなんだったのかと思うから。アイデンティティの崩壊だな。
でも光が見えた。まだほっそいけど。

我ながらマイスペックに気づくのが遅すぎる。
自分を俯瞰したくてもできなかったのはこれが原因かもな。
まあいつだって今が一番若いので、ここからが始まりです。

パワー全開でやりたいことに邁進したい。
だからわたしはわたしの思考を整理して、素直な感情で生きる。がんばります。

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