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好きなことを書く

激務すぎてしばらくここから遠ざかっていた。
まあ今も残業中だけど。

書く仕事をしている。
でも好きなことでない。

今書いているのはTHEビジネスなこと。よくやってると思う。
ひとからお金をいただくのは大変だ。社会の価値に合わせないと経済という幻想に入れない。

本音を言えばほとんど興味がない。
負けず嫌いと知りたがり精神だけがエンジンだ。

私の好きなもの。

ひととひととの付き合いの中からこぼれ落ちるもの。言えないこと。喜びもかなみしみも怒りも。
そういうこと。
そのままだとお金にはなりにくい。

ひとは好き?いやそうでもない。

人見知りで、基本的にひとが苦手。嫌いじゃないけどちかづくのはいや。一人の時間がないと死んでしまうし、できるだけ人間関係をシンプルにしたい。余計なつきあいはしたくない。そんな暇があったら小説や詩を読んで空想と幻想に遊び、心に残ったことを書き連ねたい。
それがあたらしい物語になったら素敵。
人との距離は文字を介するくらいがちょうどいいのだ。

それでいいと思っている。

しかし。

いま自分は中小企業で管理職をやっている。いろんな人の間に立ち、板挟みになり、根回しをする。
いまだにしんじがたい。子どもの頃のわたしがみたら、きっと呆れるだろう。今の自分も呆れてるけど。
年齢や立場で仕方なくつとめている。
ただ部下をかばったり守ったりするのはけっこうやる。たのしく。
自分がやられるのはやだけど、人に気遣いするのはけっこう好き。なんでだか。

人の気持ちを考えるのは好きなのだ。距離はほしいけど。

でも基本的にわたしは一般社会から乖離している。
うつくしいもの、言語や音楽や物語や絵画。あるいは食べ物や自然。
そのなかを戯れながら生き、死にたい。

疲れたなあ。

久しぶりにお気に入りのカフェに行けた。

そういえばceroのライブに行った。
当たり前だけど素晴らしかった。アンサンブルの質の高さよ。
ゆるみなく美しさを追求していた。感銘を受けたし、わたしもそうありたいとつよく思った。

古いタイプの芸術愛好家であるわたしは、かけたものをベースに考えてしまう。「欠落があるから表現したくなる」理論の信者だった。
ceroは違う。フラットなのだ。欠落も過剰もない気がする。心地よい緊張感とラブがある。
尊敬する。ものすごく。

読み始めた本。


河合隼雄はいい。
思い詰めていたこころがすこしだけほぐれる。

…………

色々あるけど、やっぱりなにかつくりたい。
ジュンパ・ラヒリみたいな孤独が書きたい。逃げられない透明な孤独。わたしはインド系アメリカ人ではないけど、彼女の描く世界をとても近しく感じる。
あとは町屋良平さんみたいな青春。一見明るく見えるけどかなしみをたたえた若い精神の群像劇。

かなしい話とたんたんとした話が書きたい。
心のなかのユートピアをしんじて、世界から積極的にずれていきたい人のお話。
敵がこないと全然展開する気がしないけど。
わたしのいまいる世界は敵になるんだろうか、彼らにとって。

まあマメに色々書いてタネを作ります。

サポートいただけたら泣いて喜び、創作活動に活用します。