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行きたくないー #8月31日の夜に

「8月31日の夜に」むけて当時のことをふわりと思い出した。
そういう日常にいる少年少女たちへ書き残しておこう、と思った。

子どもの風邪は一気に悪化する。
というのは、よく聞く話。
大人が体調悪くて無理するのとは別で、子どもに無理をさせると一気に全身症状になって命にかかわることもあるそうだ。
いやまぁ「大人も体調悪いの無理すんなよ」とは思うけど。

そんな話から思い出した「からだ」と「きもち」を大事にできなかった話。

イジメにあっていた

わたしは小学4年から中学2年にかけてイジメに遭っていた。
小4の時、夏の課外合宿にむけた練習合宿に一度も参加できなかったことや
それ以外でも夜遅いテレビ番組をことごとく見れないことで
クラスメイトとの「情報量」や「情報の内容」に差ができてしまい
それで「変な子」と思われたことが最初の原因。

練習合宿も、夜遅い番組も、体調不良につながるから無理だった。
放課後に校庭であそぶ…という普通のことが「体調管理」にしばられて全くできなかった。

そう、からだが弱かった。
すぐ風邪をひいてしまう、そんな子どもだった。

だから、ほかのクラスメイトと同じようにはできなくて
同じようにできないと…それを指摘して「変だ」って言ってくる頭の悪い子はいるんだよね。
当時はその頭の悪い子に対抗できるほど話ができなかったから
そのままイジメに発展してしまったわけ。

小学4年前半から始まって、後半は別の子をイジメてたその頭の悪い子も
小学5年にその別の子が不登校になると、またわたしをイジメるようになった。
この時点で誰かをずっとイジメないと気が済まない狂った子だったって気づければよかったな。
狂っているのは、変なのは、わたしじゃなくて、あの子だった。

そしてそれはどんどんエスカレートして
小学5年の最後には「制服を盗む」というところまでいって、親の知るところとなった。※小学校から制服がありました
最初は数百円の文房具から最後は数万円の制服まで、わたしのありとあらゆる持ち物は、あの子の持ち物になっていった。

わたしの物持ちの良さや物を捨てられない気質、なくなってしまうモノへの愛着というのは、自分のものが他人に盗まれることの悲しさからうまれているように思う。

行きたくない修学旅行

そんな中でやってきたのが「修学旅行」だった。
その修学旅行の事前学習の期間からずっとわたしは風邪をひいていた。
特に気管支をやられるようなタイプの風邪だったと思う。

行先は、冬の白川郷と金沢。
静岡の温暖な気候で育ったわたしたちは当然、雪国の寒さなど知らない。
その中で気管支に病気をかかえて「修学旅行」に行く。
当たり前のようにドクターストップがかかった。
冒頭に書いたように、いつ症状が激しく変化するかわからない。
肺炎になり命の危険があるかもしれない。

書いてきた通り、イジメのさなかなのだ。
わたし自身、修学旅行など行きたいわけがない。
ドクターストップはたぶんわたしには天の恵みのようだった。

それでも、わたしには修学旅行に行った記憶がある。
白川郷の真っ白な景色の中で孤独に打ちひしがれた痛烈な記憶。

思い切って母に聞いてみた。
校長先生が「行かないと後悔する」と強く言って説得されたそうだ。
「むこうで寝ていてもいいから」と。

そもそも修学旅行の時間のほとんどは「移動」であって
宿泊地に事前に入って寝ているなんてできる日程じゃなかった。
しかもその移動中は担任の先生の近くというだけで「車両後方の補助席」に座らされて、眠れる環境じゃなかった。
しかも無理やり連れだした校長先生は、同行しなかった。

わたしは「窓際じゃないと車酔いする」とか「体調が悪くて補助席はつらい」とか訴えた。
それを担任には一切聞き入れてもらえなかった。
そもそも「修学旅行に行きたくない」という訴えも言葉にすることすら許されてなかった。
その手前でクラスメイトにいじめられていることも言う機会すらなかった。

修学旅行のバスでなにも聞き入れなかった周りの大人たち全員に対して
「死ぬなら死んでもいいや」と思ったことを覚えている。

白川郷に着いてみんな思い思いの「ともだち」と一緒にめぐっているなか
わたしは誰とも一緒にならなかった。
誰の輪にもいれてはもらえなかった。

誰もわたしの話を聞いてくれない。
わたしの気持ちは大事にされていない。
わたしのからだも大事にされていない。
わたしは独りぼっちだ。
誰もわたしを仲間にしたくない。
ここで死んでしまって全員がわたしにしたことを後悔したらいいのに。
そういう痛烈な想いが、白川郷の真っ白な雪景色となって刻まれる「修学旅行」だった。

修学旅行で学んだこと

たちかえってほしい。
校長先生は「後悔する」からとわたしを修学旅行に無理やり参加させた。
その「後悔」は誰がするものなのか。
校長先生、、、井上先生、あなたの後悔じゃないですか。

井上先生は小学1年のときの担任の先生だった。
でも1年生の時のわたしを取り巻くクラスの状況と、修学旅行に行くときの状況はまるで違っていたはず。
それを理解したうえでの発言だったのだろうかと大人になったいま思う。

わたしが小学校の修学旅行で学んだことは「自分を大事にしないこと」だった。
もしくは「他人の言うとおりにして自分を殺すこと」でもいい。
「わたしさえ我慢すればこの場が収まる」という自己犠牲精神だった。

その後の10年に大きく影響をした体験だったかもしれない。
わたしはこの頃から自分を殺し続けて、最後に命を絶とうとした。

話を聞いた母から「修学旅行中、生きた心地がしなかった」と聞いた。
わたしがどこかで倒れるかもしれない、と。
それをいま聞けて良かったなと思う。正直涙が出るほどうれしかった。
反面、当時わたしと母の本心で決めていたらどうだったんだろう、と思う。

「死んでやろうか」と思ったわたしと
心配で「生きた心地がしない」母がいた修学旅行。
それを「後悔」と呼ばずに何だと言うのか、30年近くたっても疑問しかない。

さいごに

これを苦しさの中で読んでいる少年少女たち。
どうか「行きたくない」という自分の気持ちを大事にしてください。
「行きたくない」けど「行く」って頑張んなくていい。
誰が見捨てても周りの大人が無理やり押し付けてきても
自分が自分を大事にすることを、自分の気持ちを見捨てないことを、
がんばるならそっちをがんばってほしい。
「行きたくない」ならその気持ちを貫くようがんばってほしい。

これを読んでいる苦しい少年少女の親たち。
どうかほかの大人の高説に説得されないでください。
聞くのは子どもの意志だけで十分です。
子どもの話よりほかの大人の話のほうが「もっともらしく」聞こえます。
でも大事なのはいまその時点での子どもの気持ちを聞いてあげることだと思うんです。
「行きたくない」はSOSだと思います。
そのむこうにもっとずっと傷ついた心がある。
わたしにはそれが「誰も話を聞いてくれない」でもあったから。

読んでくれてありがとう!心に何か残ったら、こいつにコーヒー奢ってやろう…!的な感じで、よろしくお願いしま〜す。