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「伝えたかったことば」と「待っていたことば」(一言追記しました)

ここ1週間でまさかの自分の過去と向き合うことになり、というか
「今年は向き合わなかった問題と対峙することになる」と何度も言われていたのに
まさかこのことだとは思っていなかったのです。

前にこんなnote書いたのは何かの報せだったに違いない。

失くしたはずの小学校5年生の時の記憶が次々と思い出され
そのフラッシュバックと闘い、その時の気持ちやトラウマと対峙することになったのです。

それをちゃんと導いてくれる友達がいたのが本当に救い。
彼女のことばで言えば「背中を押した」のですが。

ここからは、私がずっと「聞いてほしい」と言い続けてきた話の正体。
そう、いまだに聞いてほしいから書いておくという自己満足noteです。

フラッシュバックのきっかけ

本当によくある話の「既読スルー」が全てのはじまりでした。

「無視」
それは私が小学校5年生で家でも学校でも受けた行為とおんなじでした。
少なくとも小学5年生の私はそう感じていました。

家族も友達も「そんなことをした覚えはない」というのかもしれません。
「無視」は存在や行為を「なかったことにする」こと。
「なかったこと」にすれば「そんなことをした覚えがなくなる」んですよね。
だからきっと誰も覚えていないと思うんです。

〈ぼくは、小5、6、今もいじめられて、かげで悪口やなかまはづれをされています。ぼくの存在って、存在なんてなくなればいいと思います〉
〈学校は、いじめがないって言ってるけど、いじめられていたぼくはなんだろう。きょうとう先生からもれんらくない。だれも先生は、こない、ぼくは、学校でじゃまで早くてん校してほしいだと思う〉

この記事がずっと気になって何度も読んでしまったのは、
「なかったことにする」という行為が何よりも自分にとって辛かったことだったからでしょう。

「無視」って「消えてほしい」という願いだから。

小学5年で「消えてほしいという願い」を一身に受けた私は「自分を消す」ことにしたのだと思います。

「自分の中から自分を消す」
記憶を消す、人格を消す、、、

私は「自分」を「無視」して「なかったこと」にしたんです。
(これは友達の指摘です。。。ほんとうにそうだった)

この時に消した私と今いる私は一緒だけど、一緒じゃない。
「表にいる自分」はいつまでも「消した自分」を無視し続け
「消した自分」は「表にいる自分」を恨み続けていたのです。
だから、私は自分が大嫌いになりました。

「表にいる自分」は「無視されない」ために
色んなことを頑張り目立とうとする子になりました。
勉強が一番わかりやすく、小学校5年生の時はオール5をとって。
学習発表会の劇でも良い役を取りに行きメインキャストの1人になっています。
「無視されない」ように、目を反らせない目立ち方をするようにしたんです。

高校で部長をやったり、大学の部活でも渉外やって連盟役員までやって
最近でも集合写真の時に真ん中に行くのは「無視されない」ためなのでしょう。

小学校5年生で失くしたもの

あの頃、私が失くしたのは「安心できる場所」だったのだと思います。
「無視されない」ために「頑張る」ことがなくても「存在して良い」場所。
そんなものは、あの時から一切なくなりました。

頑張るのに疲れた時に休む場所。それを失くしたんです。
休んだら忘れられる、無視される、存在しなくなると思っているんだと思います。
それはいまでも。

だから、身体が壊れても、心が壊れても、休んではいけないと思う。
頑張らないと話を聞いてもらえない
頑張らないと愛されない
頑張らないと価値はない

頑張らないと消えてほしいと思われる。

私が頑張ってきたのは、消えてほしいという願いを消すためでした。
だから、頑張れなくなると、私は消えたいって思うんだと思います。

ずっと探していたもの

頑張って頑張って、自分が「存在する場所」を作ろうとしてきました。
人の目に触れて、無視できないくらいに「ここにいる」って見てもらうために。
頑張っていないと見てもらえないから。
見てもらえなくなったら、見えなくなったら、また私はいなくなってしまう。

でも頑張り疲れた時にはどこにも「存在」できなくなってしまう。
何度も。
何度も何度も何度も。
何度も何十回も何千回も何万回も
そうやって自分を消してきました。

ただ私が探していたのは、疲れた時に休める場所だった。
頑張っていなくてもちゃんと迎えてくれる場所だった。
頑張っていなくてもちゃんと自分を見てくれる人だった。

「居場所がほしい」何度も言ってきた。

それはただ自分を認めてほしいってことじゃない。
頑張っているのを認めてほしかったんじゃない。

ここにいる。
それだけを認めてほしかった。
私が見えているって言っててほしかった。

居場所じゃなくて本当に探しているのは、
疲れたら休める「帰る場所」だったんです。

追記)「帰る場所」って「私が私でいられる場所」でしょ?だそうです。

「伝えたかったことば」と「待っていたことば」

考えてみたら、このことば自体を数年言ってないし聞いてもいなかったんです。
誰からも言われることはないし、私にはそもそも言う機会もないんです。
本当に小学5年生の私が失くしたことばなんだから
10歳になるまでに、何度も使っているようなありふれたことばなんです。

でも小学5年生からずっと本当の意味で言えなかったんですね。

ずっとずっと言いたかった。
ずっとずっと誰かに答えてほしかった。

昨日、自分で自分にそのことばを投げかけて
自分で自分に答えたら
それだけで涙が止まらなかった。

誰かと言える・言い合える場所を
言い合える人を
ずっと探していたんです。

頑張らなくても行っても良い場所で。「帰る場所」で。


「ただいま」 「おかえり」

読んでくれてありがとう!心に何か残ったら、こいつにコーヒー奢ってやろう…!的な感じで、よろしくお願いしま〜す。