カンダユウコ

英語の本の翻訳をしています。日々考えていることや大事な記憶をどこかに書きとめておきたく…

カンダユウコ

英語の本の翻訳をしています。日々考えていることや大事な記憶をどこかに書きとめておきたくて noteを始めました。

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ある朝目覚めたら名前がなくなっていた

一年ほど前から、大事なものをなくすようになった。 最初は腕時計だった。 それまでにも何回かなくしたことはあった。 いつどこで外したのか、いつもよく思い出せない。 朝、顔を洗うとき濡れないように取り外したのか。車に乗ったとき、手首に日焼けあとがつかないように外したのか。あるいは金具の留めかたが甘くて寝ているあいだに自然に外れてしまったのか。洗面所や車の中を探したり、ベッドキルトをパタパタはたいたりすると、3回に2回くらいは見つかった。 ではそれ以外の、能動的に探しても見つ

    • 『夕暮れに夜明けの歌を──文学を探しにロシアに行く』ブックレビュー

      ことばで表しきれないことを、画家は絵で、音楽家は歌で、ダンサーは踊りで表現するのでしょうが、たぶんこの本の著者、奈倉有里さんは、言葉で表し得ない瞬間をそれでもことばで伝えようとして、このエッセイを書いたのではないでしょうか。 この本は、平たく言えば20代の頃のロシア留学記です。 留学と聞くと、「勉強」や「学び」や「交流」といった言葉がまず思い浮かびそうですが、それらの耳慣れたワードではとうてい括りきれない何かがこの作品の中には満ちみちています。 著者がロシア文学を〝お勉強

      • ふと思い立って陶芸の町まで車を走らせた。

        ふと思い立って陶芸の町まで車を走らせた。 20年ほど前、父が見て感動していた濵田庄司記念館を再訪したくなって。 あのときはピンとこなかったけれど、こういう場所のよさがやっとわかる歳になったみたい。 民藝家具の置かれた古民家。暗い内部から庭に目をやると、四角く切り取られたまぶしい新緑が絵画のよう。 静寂と陰影。 濵田庄司はここで暮らし、作陶した。 濵田氏の作品はもちろん、友人バーナード・リーチの作品や世界の民藝陶器も見られる小さな展示館です。 It’s a beautif

        • 校正は好きな作業のひとつ。

          校正者との対話が始まる感じがして、日常のざわざわが遠のくのがいい。

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        ある朝目覚めたら名前がなくなっていた

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          明けがた ひとりの時間をすごす

          早起きするようになったのはいつからだろう。 子どものころから私はとにかくよく寝る子だった。夜更かししてもしなくても、平日の朝は母に何度も声をかけられないと起きることができなかった。 中学から高校にかけては休日の起床が昼前になった。十代は毎晩のように深夜ラジオを聴いていたから、一週間の睡眠不足を週末で一気に解消しようとしていたのかもしれない。あの頃は夜中の二時三時に寝たとしても、遅刻しないで登校できるエネルギーがあった。日曜日もいったんは六時とか七時に目が覚める。でも、吸い取

          明けがた ひとりの時間をすごす

           現在形と二人称の不思議 : 『鴨川ランナー』ブックレビュー

          時間があんまりなくて、気づくと一年も投稿していない。読みたい本を何冊も買ったのに、ほとんど積ん読になっている。積ん読されなかったわずかな本の中の一冊を、note 復帰をかねてご紹介します。 米国人グレゴリー・ケズナジャットが日本語で書いた小説『鴨川ランナー』。暇をみつけて少しずつ読んでいけばいいやと思っていた。たぶんこれも最後まで読み切れないまま図書館の返却期限がくるんだろうなと思っていた。が、夜寝るまえに開いてみたら二晩で読み終えた。たいていの夜は、本を開いても一日の疲れ

           現在形と二人称の不思議 : 『鴨川ランナー』ブックレビュー

          枇杷の葉で布を染める ある染織家のこと(子育てのことも少し)

          枇杷の葉で絹布を染めたことがある。 先日ふと思い立ってその布を見たくなり、よそいきの服をしまったチェストの最上段の抽斗(ひきだし)を開けてみた。 色をなんと表現すればいいのだろう。ピンクを数滴落とした輝くベージュ。ごく淡い朱色と金色を抱えた肌色。しっくりくる言葉がなかなか見あたらない。温かくて、深みがあって、けれど初夏の果実のみずみずしさ、みたいなものもあって。 ずいぶん前から草木染めの色に惹かれていて、いつか染めを体験したいと思っていた。それでも、近くによい教室が見つか

          枇杷の葉で布を染める ある染織家のこと(子育てのことも少し)

          ヨガのあと、女友だちと

          正座になった私たちは頭上にまっすぐ伸ばした両手をゆっくり下ろしてくる。 肘が胸のあたりにきたところで両手を前に差し出して、腕で円を描くようにしながら良い「気」を胸元に引き寄せる。抱きかかえる。 最後に合掌。 「ありがとうございました」 先生のひと言が静かに響き、生徒たちも同じ言葉を返すと、一時間半のヨガ教室が終わる。 体と心がゆるんだ直後はみな放心したようになり、ほとんど言葉もかわさずヨガマットを丸めている。 世界じゅうの音が陽の光に吸収されたような、小春日和のようなひとと

          ヨガのあと、女友だちと

          キノコの生態に過去の自分を思い出す 読書の体感

          先日、私はあるひとのnoteを読み、ほとんど忘れかけていた感覚を思い出しました。 読書のときにおぼえる「体感」というものを。 そのひとは『植物の私生活』という翻訳書を読み、キノコの生態にぐっときたといいます。 キノコの生態に? そうです。彼女はキノコの生態にほろほろと涙まで流したというのです。 これだけではきっと要領を得ないと思うので補足すると、要するにその『植物の私生活』の叙述が擬人化を用いることで実に生き生きとした効果を生んでいるため、読み手はあたかも植物の生態がひと

          キノコの生態に過去の自分を思い出す 読書の体感

          あるnoteへ、求められてもいないのに書いた返事–––なぜnoteを書くのだろう

          目が覚めたとたん、「ああ今日はちょっとだめかも·······」と思う朝が私にはあります。 たいていの日は、お天気にかかわらず、夜明け頃に目が覚めるともうそのあとはどう頑張っても眠れない質(たち)なので、さっさと服に着替えて朝のルーティンに入ります。 が、何か月かに一度、今日は勘弁してほしい、今日はダメかもと目覚めたとたんに感じる朝があります。部屋の空気にゆるく圧されている感じの、そこはかとなく重たい気分。外がどんなに晴れていようと掛け布団をはねのけられない朝があります。 理

          あるnoteへ、求められてもいないのに書いた返事–––なぜnoteを書くのだろう

          家族はつらいよというお話 『靴ひも』(新潮社)レビュー

          なんだか私はいま、一杯いっぱいだ。 他人の家のややこしい事情を夜通し聞かされて、もういい加減寝かせてほしいなあと思っているところに「ちょっとこれ、どう思う?」とか問いつめられているような気分。 どこの夫婦、どこの家族にも大中小の問題がひとつくらいはありそうなものだけど、ドメニコ・スタルノーネの『靴ひも』(関口英子訳、新潮社)で描かれる一家の話はなかなか濃厚だ。 ”もしも忘れているなら、思い出させてあげましょう。” この小説は妻から夫へのこんな言葉で始まる。 あなたは妻子の

          家族はつらいよというお話 『靴ひも』(新潮社)レビュー

          こどもの情景 女の子が18歳で海を捨てる決心をするまで

          水路沿いの道は長い。 長いけれど、時間があり余った小学生三人にはちょうどいい暇つぶしの道だ。柵も何もついていない水路を左に、自分たちの首元くらいまで伸びた草むらを右手に、わたしたちがめざすのは海。 浜辺にたどりつくのに何キロの道を何分くらい歩くのか、時計も携帯ももっていない小学生には見当がつかない。わかっているのは遠いということ。けれど夕飯の時間には家に戻れる距離だということ。 長くて、単調で、静かな道だ。 道端のエノコログサを抜いてだれかの首筋をくすがったりしながら、カホ

          こどもの情景 女の子が18歳で海を捨てる決心をするまで

          夏が溶けてゆく

          8月に入ってから暑さで脳が溶けている。 ほんとうに溶けているのかどうか見たことがないので知らないが、体感的には溶けている。溶けて血管に沁みだして全身に回ってしまっているから、たぶんいま私の頭の中はただの水みたいなのしか入っていないだろう。 水といってもクリアではない、少しにごった感じの水。 澄んだ水が欲しい、体の内も外も全身が透明な水を欲している。 そんな気がしてくるほどの暑さだ。 年々それがひどくなってゆくように感じられるのは、私が歳をとりつつあるからなのか、温暖化で地球

          夏が溶けてゆく

          一瞬の驚き ものをつくるということ

          新宿区の舟町というところに、かつて小さな画学校があった。 アートの世界に強くあこがれていた私は、二十代の二年間、週に三日ほどそこの夜間クラスに通った。私なんかが通うことができたのは、選抜試験がなくて授業料も安かったからだ。 生徒募集がはじまるというその日、私は早起きして豪徳寺から電車に乗った。都営新宿線の曙橋で降りたあと、どんな街並みをどのくらい歩いたのかは思い出せない。憶えているのは真っ白な校舎に外階段がついていたことと、その佇まいがあまりに瀟洒で、外国の街角に紛れ込ん

          一瞬の驚き ものをつくるということ

          掌篇 『化粧ポーチを捨てる』

          子どもふたりを風呂に入れたあと私は夕食の準備をしていた。 今日は金曜日。ほんとうなら家族四人で夕食のテーブルを囲む日だけれど、今夜はいらないという電話が四時ごろ夫から入っていた。 「ああそうなの、わかった」 ならば用意するおかずの量も少なくてすむ。大人の男がひとり減るだけで調理の負担がずいぶん減る。が、もちろんそんなことはおくびにも出さない。「悪いね」と電話のむこうの声が言う。 なるべく体にいいものをと有機野菜の宅配を始めたのは、下の子が喘息で、あまりにも体が弱いからだ。体

          掌篇 『化粧ポーチを捨てる』

          遅れてきた手紙

          本棚の整理をしていたら、古い本のあいだから何かがするりと落ちた。 淡い水色の封筒だった。手紙が入っていた。 几帳面な、だけど独特のクセのある字体に、ああ、あのひとが·······と数十年前の顔を思い出した。 そのころ私は大学四年生で、ある大学の理工学部の研究室で秘書のアルバイトをしていた。 たぶんいまは派遣の人がやっているのだろうけれど、そのころは大学の学生課に「教授秘書アルバイト」という募集の貼り紙がしてあるような時代だった。インターネットなどまだない、多くの事務処理

          遅れてきた手紙