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1日2万歩ロンドン:3日目

ロンドン旅日記3日目編です。
他の旅エピソードとロンドンのたべもののはなしもよろしければお立ち寄りください!

https://note.com/yu_da_chi/m/m716837d97874

今更ながらイギリスという国は、私にとって近くて遠かった。音楽や物語、建築やアンティークのインテリア、何より紅茶やショートブレッドなど日常的にイギリスの文化に触れてはいるものの、なぜか現地に行こうという思い立ちが縁遠く訪れることはなかった。
なので、絵画や世界史の資料、英国王室絡みのメディアで時折目にするウェストミンスター寺院という場所も、存在は知っているけど訪れることなどないのかもなと何となく思っていたのだ。

その気持ちは「興味がなかった」とは少し違う。例えるなら、「月は見えるけどきっと月面に行くことはないんだろうな」という気持ちとでも言おうか。その美しさに憧れるし色々なエピソードも知っていて、だけど何だか自分がその場所に行くことはないんだろうなとわかっているような、そんな気持ちだった。

ところがである。思いつきで来てしまったロンドン。
そして今日はその憧れのウェストミンスターに・・・行くのだ!
人生わからない。いつか月にも行けたりしてね。

例によって朝ごはんをたっぷり食べて、散歩も兼ねてウェストミンスター寺院までホテルから歩いた。2日前に到着したばかりの夜にも同じ道を歩いたが、やはり朝というのはとても気持ちが良いし、建物たちのディテールがよく見えて嬉しい。道すがら何だろうと思っていたこのモニュメントは、第二次世界大戦に因むものだったようだ。

昨日訪れたセントポール大聖堂も、詳しくは後述するがウェストミンスター寺院も、それ以外にもたくさん。ロンドンという街には戦没者たちを悼むための事物が多く見受けられた。これは来て見ないとわからないことだった。

そして到着したウェストミンスター寺院。しかし早く着き過ぎてしまったため、さらに周辺を散歩した。


何気ない街並みが本当に美しい。一概にこんなふう、と括ることができない多様なデザインの建物たちが並ぶのに、不思議な統一感が街全体を覆っている。

街の一角に教会関係者の方が使う衣装や小物のお店があって、普段間近で見ることのないディテールが見られたのは嬉しかった。日本のお寺の法衣に近い布のテクスチャに感じられてとても興味深かった。


ウェストミンスター寺院のチケットは日本から買って行ったが、これが大正解だった。当日券を買うこともできるが、施設が空いて間もない時間帯なのに長蛇の列だったのだ。為替のこともあり1人約7000円と高額に感じられたが、ものすごく詳細でわかりやすいポータブルのビデオガイドが無料で付帯したのは嬉しかった。


内部に入った第一印象は、狭い、だった。もちろん天井は高く高く、建物自体はものすごく大きい。だけど、所狭しと並んでいるのだ。お墓が。

そう、ウェストミンスター寺院の内部にはお墓がたくさんあるのだ。どうやって作るんだろうと思いたくなる美しいものをたくさん見たが、ほとんどがお墓や棺に因むものだったので写真は感動の大きさに対して非常に少ない。


シェークスピアのお墓
見事な装飾の棺



そしてそのような絢爛豪華な彫刻の施された巨大な棺だけでなく、壁や床など至る所に墓地がある。タイル1枚分に名前と生没年と職業が刻まれ(ガイドを見て知ったことだが、あの美しいフォントは職人さんによる手彫りで今なお作り続けられている)、鎮座しているのだ。最初は慣れなかったが普通に上を歩いていいものらしかった…とある一箇所を除いては。

その一箇所というのは、無名戦士たちの墓だった。第一次世界大戦で命を落とした英国の兵士、水兵、または航空兵の遺体が含まれているのだという。周りを赤い造花で彩られ、周囲をロープで区切られておりくっきりと目立つ。ここだけは踏んではいけないとアナウンスされていて、皆がそれを守って静かに祈りを捧げていた。

私がウエストミンスター寺院で見たかったものは、奥にあるレディ・チャペル教会の天井だ。中世英国建築の傑作と名高いその場所の特徴的な天井の装飾を、以前何かの本で見て心奪われていたのだ。
そして、いざ上を見上げて憧れの天井を見たあの時。



一瞬、ヒュ、と息が止まった気がする。まさかこの目で見られるなんて。涙も出ないほど驚き、また人間の手仕事の可能性に強く強く感動した。レースみたいな、花みたいな、繊細な、、というあらゆる美辞麗句が足りなくて、なんとか思いつく語彙でしっくり来たのは、骨みたい、だった。ひとつひとつが独特な形をしていて、無駄なく美しく組み合わさり、純粋な物質で構成された小さな宇宙だ。


その後も寺院内部や、回廊、庭園といった施設を満喫した。エリザベス女王が逝去された記念に公開された宝物展もチケットを買って入場したのだが、それぞれの展示物の素晴らしさはもちろん、一番感動したのは天井近くの高所から見下ろす寺院内部の景色だった。透明な光が溢れて、雑踏やさざめきたちが立ち上るのにただ静かで、建築はそのまま生まれてきたみたいに完璧だったのを見て、現代に生き特定の信仰を持たない私でも祈りの気持ちを覚えずにいられなかった。


その後同敷地内にある聖マーガレット教会も訪れ、こちらはこちらで違った静謐さがあっていいな・・・と思うなどした。
私は教会という空間が好きだ。建築・美術といったものに惹かれたのが最初のきっかけだが、次第に祈るという行為の意味を思うようになってからは別の観点(といってもうまく言葉にできないのだが、強いて言うならば目に見えないもの)でも教会という場所を愛するようになった。

午後は大英博物館に赴いた。言わずと知れた巨大な博物館で、その収蔵物の数の多さ、貴重さ、多様さ、そして価値・・・を巡っては平和なだけではない場所でもあるとも事前に心得ながら向かったのだが、中に入って改めてその美術品たちの数の多さや素晴らしさに驚かざるを得なかった。何か目標を定めて向かうには見たいものが多すぎるので、よく言えばめくるめく、悪く言えば手当たり次第に、片っ端から部屋という部屋を回って歩いた。どこにもかしこにも大小さまざまに誰かが作った何かがあって、それは素晴らしいことだと思った。


可愛かったオイルランプ。売店でレプリカが売っていた

同時に、自分がクリエイションというものをいかに特別視していたか気付かされた。創作というものは特殊な才能を持つ限られた人にしかできないものだと、だからせめて挑み努める姿勢が必要なのだと、長らく思っていた。しかし、もちろんそういった側面があるとはいえあの量の創作物を目の当たりにすると、とてもいい意味で当たり前のこと、特別じゃないことなのだと思わされた。美術館には夥しい数の美術品があったが、それらの背後にいったい幾つの遺されなかった創作物があるのだろうか。そしてそのどれもに、作った誰かがいる。

誰しもが何かを作り、形に残るものも残らないものもあり、そのどれもが尊い。流れゆく時代のなかで、祈ること、つくること。人間という動物が生きていく上で行う、数ある人間らしい行動のうちの、ふたつ。その二つの存在感を、この日ほど感じたことはなかった。そういえば私とイギリスという場所を結びつけてくれたのも、何らかの形での創作物だちだった。

特別なことではないという幸せ。その当たり前を短い人生で謳歌していこうと改めて感じた、そんな日だった。

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