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進撃の巨人のワンシーン

 進撃の巨人が完結しましたね。もう2ヶ月も前のことですが。今日は筆者の進撃の巨人の印象的なワンシーンを紹介したいと思います。

 以下、進撃の巨人27巻のネタバレを含みます。

 進撃の巨人27巻の第109話「導く者」では、捕虜であった敵国(マーレ)の少年兵である「ガビ」と「ファルコ」が脱走し、主人公の国(エルディア)の孤児である「カヤ」と出会う場面が描かれています。

 カヤは、マーレによる巨人を用いた攻撃に巻き込まれて母親を失いました。ガビとファルコがマーレから来たことを見抜いたカヤは、二人を巨人による惨劇が襲った、かつての自分の村へ連れて行きます。そこで、声が出なくなるまで叫びながら巨人に捕食された母親が、何故そのような無惨な死を迎えたのか、何故それほど恨まれたのか、をガビとファルコに問います。

 ガビは「何千年もの間、エルディア人が世界中の人を巨人の力で支配し、蹂躙し、虐殺した」ことを理由としていました。「エルディアの罪を世界が忘れることはない」とも言っていましたね。それに対するカヤの返答は純粋でしたが、的を得ていると思いました。

「お母さんは誰も殺していない!!」

 ガビとファルコはエルディア人の先祖の犯した罪は、今を生きるカヤ達が償うべきだと考えています。カヤは自分も母親も何の罪も犯していないはずだから、何故あのような悲劇に見舞われるのかが分からないと考えています。

 
 このシーンを初めて見たとき、筆者は慰安婦問題を思い出しました。確かに日本兵たちはやってはいけないことをしたのかもしれない。しかし、今を生きる我々は、彼らに何もしていないはずなんです。安部元首相が銅像で土下座させられていましたが、元首相は何にもしてないはずです。だって生まれてねえもん。

 先祖の罪は先祖の罪なんですよね。それを未来の人間に押し付けるのは御門違いだと思ったのです。現在、慰安婦の方々に、今を生きる日本人の税金で補償がなされていますが、我々、その方々に何にもしてないですよ。顔すら知りませんし。何故、日本人の税金から補償されるのか分かんないですよね。

 進撃の巨人のカヤのシーンは、先人の罪を未来の人間に背負わす、現在にも見られる構造への「抵抗」だと思いました。普段は、作者のメッセージに鈍感なのですが、このシーンだけは初見でピーンときて印象的だったので紹介させて頂きました。


2021.08.28

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