見出し画像

親孝行強化月間は感謝スキルを磨く機会

昨日は、毎年恒例の「親孝行強化月間」の勉強会でした。
木村石鹸は毎年4月は親孝行強化月間と位置付けた取り組みを行ってます。


この取り組みも、今年はなんと20年目を迎えます。

取り組みといっても、実際は、親孝行しましょうということで、社長(今は、社員全員に一万円を支給する、というただそれだけ僕)から、です。

特に、何に使ったかの報告もさせてないですし、チェックもありません。たまには親孝行について考えてみてよ、と促すだけで、そのお金をどう使うかは、本人に任せています。

ただ、5年に1回は、社員全員から親孝行をテーマにした作文を集めて、それを文集にする、というよくわからない決まり事はあります。5年に1回なので、親孝行強化月間20周年を迎える今年は、文集を上梓する年でした。

この取り組みについて考えてみた脈絡のない文章

facebookやらtwitterに、考えてることをだらだらと書いてみたのが以下です。親孝行強化月間とはなんぞや、というのは、僕がこの取り組みを引き継いだ2年前から考えてきたことでしたが、最近、なんとなく分かってきたような気がしました。

------------------

さて、僕はこの取り組みを引き継いだわけですが、最初はなんかなぁとあまりその意味も意義もわかってませんでした。

社員に親孝行を推奨するってのは何なんだろうと。あ、もちろん、何らかの理由で両親に親孝行できない人もいます。「親孝行」というのはあくまでも象徴的なもので、簡単に言えば、自分がお世話になった人に感謝しようと促してるわけです。必ずしも「両親」と限定しているわけではありません。

とりあえず、続いている取り組みなので、そのまま僕は引き継ぎましたが、この数年やめるべきか続けるべきか結構悩んだんですね。で、その中でなんとなくこの取り組みの意味とか意義みたいなものがぼんやりとわかってきたわけです。

それは、これは親孝行を通じて「感謝スキル」を身に付ける取り組みなのだなということでした。 自分が今生きているには必ず両親がいます。その当たり前のことに目を向けて見ること。そうすると、このことは凄いことだと思えてくるわけです。そして「当たり前のこと」に感謝の心が芽生えるわけです。

感謝というのは、誰もが後天的に学んでを身につけていくもので、なので、僕はこれを「感謝スキル」と呼ぶことにしました。親孝行強化月間は、年に1ヶ月でも、1日でもいいから、当たり前のことがどれだけ凄いことかを感じ、感謝する機会を提供する、つまり「感謝スキル」を磨く場なんじゃないかと。

この感謝スキルの向上は、人生の幸福とどこか関係してるところがあるんじゃないかと思うわけです。親父がこんな取り組みを続けていたのは、多分、親孝行をさせたいというより、親孝行を通じて社員に感謝スキルを身につけさせたいということだったのではないかと。

幸福には経済面や仕事の充実感、さまざまな人間関係と、色んな要素が絡み合いますが、その中でも日々どんな心遣いで生きるかも重要だと思うわけです。何事にも感謝できるスキルがある人は、多分、精神の充実度も高いんじゃないかと。なぜなら、感謝とは「足るを知る」に繋がってるからです。

なんか、トートロジーっぽいですが。思いつくままに書いてるので、取り留めも脈略もなくてすんません。でも、感謝って行為の根底には、物事の充足感や充実感に繋がるヒントみたいなものはあるように思えます。

親父はよく親孝行できる社員を育てたいと言ってますが、これはある意味、社員の感謝スキルを高めることであって、それは「社員が幸せになる」ということとほとんどイコールなのかもしれません。

今回、社員に一万円を支給する際に添付したメモ

以下は、社員に一万円を支給する際に添付したメモに書いた文章です。基本的には上で書いたことと似たようなことを書いてます。

-------------

今年も親孝行強化月間がやってまいりました。この取り組みも今年が20年目を迎えます。平成最後の4月に、親孝行強化月間が節目の20年を迎えるというのも、何かの縁のようなものを感じます。あ、もちろん次の元号になってもこの取り組み自体は続けていくつもりですが・・・

父(現会長)は、よく、

10年、偉大なり。
20年、恐るべし。
30年、歴史になる。
50年、神の如し。

という格言を口にします。どんなものでも「続ける」ということは大変なことです。「継続は力なり」という言葉があるように、まず、ほとんどのことは「続ける」ことが難しいのです。

木村石鹸はこの2019年で95年目を迎えますが、木村石鹸の中の数ある取り組みの中でも、もっとも長く続いている取り組みの1つが、この親孝行強化月間ではないかと思います。

「続ける」ということには、もちろん、経営者の強い意志が重要であるには間違いはないです。しかし、それだけで10年、20年と同じことを続けていくことは簡単なことではありません。時代の変化は激しいですし、ある時代では賞賛された価値観が、ある時代では無用なものだと忌み嫌われることもあります。例えば、昔は、社員の住所などを共有するということは、当たり前のように行われていました。年賀状やお中元、お歳暮などのやり取り、あるいは緊急連絡などにも必要なので、社員の住所録を会社がつくり、社員に配布するということは一般的でした。しかし、今は、個人情報保護の観点から、そういった行為は好ましくはない状況になっています。

そうです。続けていくには、そういう時代の流れや価値観の変化みたいなものにも寄り添って、適合していけなければならないのです。

その意味では、「親孝行強化月間」という取り組みが、この20年という「恐るべし」期間に渡って継続できたとうことは、それはある意味、木村石鹸という会社の価値観に、フィットしてきたものであったこと、それが「木村石鹸らしさ」形づくる重要な要素であったからではないかと思うのです。 そして何よりも、時代の変化が激しい中においても、「親孝行する」という行為や価値観の重要性が全く損なわれなかったという背景があるように思われます。

「親孝行強化月間」の本質は、僕は「感謝スキル」の向上だと、最近気づきました。親孝行を考えることは、自分が今、生きて、生活しているという当たり前のことに、どれだけの人たちの支えや貢献があったのかに想いを馳せることです。それは一言で言えば「感謝する」ということです。そして、この「感謝」という行為は、実は、スキル(技術)という側面があり、日々改善、成長させていけるということに最近気づいたのです。

当たり前のことに感謝できる人は、人生をより豊かに過ごすことができるのではないでしょうか。コップに半分水が入っている状況を見て、「あぁ半分しか水がない。なんて不幸なんだ」と思う人と、「半分も水が入っている。なんてラッキーなんだ」と前向きに捉える人がいるように、どのような状況や境遇でも、それに不平不満の気持ちで向き合う人と、感謝の心で向き合える人がいます。どちらの心が豊かでしょう。どちらの人が周りの人たちの共感を呼ぶでしょうか。

感謝のスキルを高めるには、日々、「当たり前」のことに目を向ける、感謝するということが大事ではないかと思います。 親孝行強化月間という取り組みは、まさに、そういう気づきを得られる場であり、感謝スキルを向上させるためのきっかけなのではないかと思うのです。

1年に1か月でも、1日でも、自分が生まれて、生きている、そのことには、必ず両親がいて、その両親にも両親がいて、先祖があるということ。そんな当たり前のことが、実は、奇跡的なことであること、そんなことを考えてみる、ということは、決して無駄なことではないと思います。そういう心遣いの積み重ねが感謝スキルの向上を果たしてくれるのではないでしょうか。

私自身も、決して、感謝スキルは高くありません。まだまだ至らぬ点が多々あります。この取り組みを通じて、私もまた、皆と一緒に感謝スキルを高めて、より精神的にも豊かな人生にしていきたい、そんな風に思っています。

2019年4月 代表取締役社長 木村祥一郎

感謝スキルと幸福についての関係性

どちらの文章にも、「感謝スキル」という言葉を使ってます。 感謝することを習慣にしたり、その技量(って言い方は微妙ですが)を高めていうことは、人生の充実や充足、幸福みたいなものに繋がってるのではないか、というのが、ぼんやりと考えたことでした。

あまり、感謝感謝なんて言い出すと、それこそ安っぽい歌謡曲の歌詞みたいで、感謝インフレで感謝の価値も下がりそうですが、実際には、感謝は、いくら感謝しても減ることもないし、使いすぎて価値が下がるなんてこともありません。

「感謝する」ことや、感謝の「心遣い」は、取り組めば取り組むほど、育まれ、むしろ豊かになっていくものではないかと思います。

また、感謝というのは、何か良いことがあったとか、感謝する出来事があったから感謝するのではなく、むしろ感謝する心遣いが先にあるからこそ、良いことや、素晴らしい出来事があるのではないかとも思います。

なぜなら、極端に言えば、この日本に生まれたということにも感謝できるし、今、普通に生活できているということにも感謝できるわけで、私たちの身に回りには感謝できることで満ち溢れてるからです。そんな当たり前の日常や生活に感謝できる心遣いが、「感謝すべき出来事」を現前化させるのではないか、と。

(※いやいや、大震災、大災害や不慮の事故や事件に見舞われた人はどうするんだ、という突っ込みはあるかもしれないし、そもそも、こういう考え方の前提には、「誰か」や「何か」と比較して、自分は恵まれてる、優位だ、みたいなそんな意識があるんじゃないか、その意識の方が問題じゃないのか、というような意見もあるとは思います。 その辺りは、僕もどう捉えるべきかは正直、まだよく分かってないです。考え中です。)

あまり言いすぎると、ちょっと怪しい人に思われてしまうわけですけど、ただ、この考え方は、言わば、「足るを知る」ということと似てるな、ほぼ同じだなと感じたんですね。

ある方からこんな話を聞きました。オランダは世界でも幸福度の高い国として有名です。ただ、その方がオランダ人の研究者に話を聞くと、オランダでは、幸福度が高いから、人生は最高にハッピー、幸せいっぱい!みたいな感じではないということです。まぁ、当たり前でしょうけど。どっちかといえば、まぁ、現状は悪くもないし、不幸でもないので、これで「とりあえず」は十分かな、というような感覚だということを仰ってたそうです。なので、その方は、それは日本で言うところの「足るを知る」というようなものでしょうか、と尋ねると、まさにそんな感じだと、言うことでした。

そんな話と絡んで、なるほど、「足るを知る」ということと、幸福というのは、何か関係があるんじゃないかなということを考えるようになりました。そして、「足るを知る」というのは、感謝という心遣いの延長にあるなと。

人生の成功とは何かとか、幸福とは何かなんて考えだすと、それこそ「沼」に引きずりこまれてしまいそうなので、この辺りでやめておこうとは思うのですが、会社は社員を幸せにしなければならない、社員は幸せにならなければならない、ということは、親父が口を酸っぱくして言ってることです。親孝行強化月間というのは、「ご両親」や「お世話になった人」に安心してもらう、喜んでもらう「だけ」の取り組みではなく、社員一人一人が、幸せになるためのもので、幸せになるための心遣いを得る場なのかもしれないな、なんてことを考えたわけです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?