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自社ブランドのおかげで

中小下請けメーカーが一念発起して、自前で最終製品まで作って、自社ブランドだ、自分たちで売っていくんだーみたいな動きは、ここ数年すごーく活発だと思う。これは中川政七商店さんが手がけたコンサル事例などに顕著だけど、地方の工芸品を現代雑貨にリニューアルしてメディアにバンバン取り上げられるみたいな成功事例がいくつか出てきたことが、1つのきっかけになってるんじゃないかと思う。

背景的には、オーナー企業の代替わりがこの数十年急速に進んで、若い経営者・後継者が増えたこともある。シュリンクする市場に対して、新たな一手を講じるみたい場合に、自社ブランドってのは、ある意味一番最初に思いつく手段だ。

木村石鹸もこの五年ぐらいそんなことで、自社ブランド立ち上げ・強化をやってきた。うまくいってるいってないは何と比較するか次第なところもあるけれど、個人的には及第点には達してるかなと思ってる。売上とか認知度とかそういう尺度からというよりは、社内での重要性だとかプレゼンス的な側面でのことだけど。

五年前にこの取り組みしてなかったら、実は去年なんか結構悲惨なことになってたんじゃないかと思う。去年は既存のOEM事業がいきなりかなり凹んだのだ。取引先が減ったとかそういうことではなく、取引先さんで展開してる商品がなぜか売れない。商品にも寿命があるので、少しづつ売上が落ちていくのは仕方ないことなのだけど、そういう想定を遥かに超えて、先方の担当者でさえもなぜそこまで落ちるのかが分からないというレベルでの落ち込みだった。

OEMの場合は、売り方や商品の魅せ方などは、基本相手さんのことで、僕らはあーだこーだ言うことはできるけど、それはあくまでも外野のヤジみたいなもんだ。そのチャンネルにおいての販売方法や見せ方は、先方の方がずっとプロで、その先方がなぜ売れないのか分からないとなってるのだから、僕らがどうこう出来るわけもない。

で、この落ち込みをカバーしてくれたのは、自社ブランドだった。


正確に言うと、自社ブランドの売上だけではなく、自社ブランドから派生して広がった新しい商品やビジネスみたいなものを引っくるめてのことだけど。海外チャンネルも、自社ブランドだけではないけど、自社ブランドがあったお陰で展開が広がったり。そういうの引っくるめて、自社ブランドを手がけたことで救われた。まぁ、自社ブランド始めた時から、いつか既存の事業がどんと落ちる時がくるんで、その時のために事業として基盤をつくっておく、ってことは考えてたわけだけど、正直なところ五年で実際にそういう事態に見舞われるとは思ってはなかった。10年ぐらいかけてゆっくりゆっくり進行していくのかな、いや、進行していってほしいなと淡い希望を抱いていたのだけど、そうは問屋が卸さなかった。

まぁでも、もし仮に自社ブランドを始めるのが2-3年遅かったら、去年の既存事業のダメージに対して、自社ブランドがまだまだカバーできるレベルには達してなかった可能性が高く、そうなると、まったく評価は逆で、自社ブランドが「お荷物」になってて、真っ先に止める事業としてやり玉に挙がってた可能性は高い。

事業に「たられば」を言っても大して意味はないのかもしれないけど、何ごともタイミングだなぁと思う。その意味では、今のところはギリギリ「間に合った」という感じなのかもしれない。振り返ってみると、けっこう恐いことではあるけど。

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