MVVはないけれど、「社員が一番自慢できる会社」の意味
ふと考えたことを言葉にしておきます。ただ、まだ考えがきちんとまとまってるわけでもなく、きちんと筋が通ってるわけでもないです。
会社経営にとって、ミッション/ビジョン/バリュー(MVV)の重要性を否定する気はまったくありません。きちんとMVVを定め、社員がそれをきちんと解釈して行動し、事業もMVVに忠実であれば、そこには凄い推進力が生まれるでしょうし、一体感も出てくると思います。
ただ、MVVがなければ絶対ダメかというと、そうでもないような気もするのです。明確な将来像や、自分たちの存在理由、使命みたいなものがなくても、魅力的な経営や事業は成立するのではないか、と思います。
木村石鹸には、経営理念と社訓があります。正直、経営理念と社訓は何が違うのか、それぞれどんな役割なのか、僕には分かりません。昔、親父の時代に社員からの意見をくみ上げて、作っていったそうです。どっちが社訓でどっちが経営理念なのか、僕も未だによく間違えます。
この経営理念と社訓は、MVVの要素が混じり合ってると思いますが、どちらかというと「ビジョン」要素はかなり弱く、「バリュー」に偏りつつ、多少、「ミッション」要素が加味されてる感じでしょうか。
「バリュー」要素という意味では、自分たちが守る価値基準や規範みたいなものもそうですが、自分たちがどういう存在でありたいか、在り続けたいか、ということに比重がのっかかってる気がするんですね。
あまり細かくテクスト解釈をしても仕方ないので、ここではやらないですが、僕自身、木村石鹸に戻ってから、ずっとこの経営理念や社訓と、会社の文化や目指すところについて、どう位置付け、解釈するのか考え続けてきました。
目指すべき姿や、実現したい社会みたいなビジョンを掲げ、そこに向かうというのは、凄く求心力があるし、素晴らしいことだとは思うんですが、そういう「方向」や「目的」へのベクトルを強化する仕方ではなく、今ある状態や、自分たちがどういう存在、状態で在り続けたいかを基準にして事業や経営をやるというのもあるんじゃないかなと思ったんです。
「DoingではなくBeing」みたいな言葉もありますが、ニュアンス的には近いでしょうか。あるいは「旅行」ではなく「旅」とか。目的地があるわけでもなく、旅そのものが目的であり、そこでの体験や経験に価値を見出すとか。うん、何を言ってるのか自分でも良く分かりません。
自分がどんな仕事をしていきたいか、その中でどんな人とどんな関わり合いを持ちたいか、社会とどういう関係でいたいのか、そんなことをモヤモヤ考えています。
例えば、当たり前だけど、出来れば「正直でいたい」と思うわけです。でも、「正直」で居続けるというのは、これはこれで意識してないと難しいんじゃないかとも思います。何が正直で、何が正直でないか、なんて考えだすと大変なのですが、ビジネスの中で、正直さを貫いていくというのは、覚悟の問題もありますが、環境や状況も大きいなと思うのです。
木村石鹸は、今もかなり正直な会社だとは思うのですが、そうはいっても、正直でいられなくなるような状況や環境に追い込まれる場合もあるだろうと。そういう状況でも正直で居られるためにはどうしたらいいのかと日々考えるわけです。それは財務基盤がモノを言うかもしれないし、あるいは、社員の性格や誠実さみたいなものかもしれないし。自分たちがこうなりたい、ああなりたいという姿よりも、こういう存在で在り続けたい、そのために、どんな事業でどんな社員で、どんなポジションが必要なのか。そんな風に考えてます。
ありたい状態や姿をだーっと上げていくと、どれもこれも皆、そんなの当たり前だろうというようなものばかりにはなるんですが、これら1つ1つをきちんと吟味していくと、こういう状態を維持するのが難しい環境とか状況みたいなものは沢山あるなと思うんです。
だから、ビジネスの在り方としても、自分たちがそうありたい、あり続けたいことから逆算して組み立てていくということも、一つの方法としてはありかなとも思うのです。
もちろん、そのありたい姿みたいなものが、社会的にも意味あることで、存在を認めてもらえるようなものでなければならないのは言うまでもありません。「楽して儲ける」ということを最重要視して、そのために組み立てるビジネスは、そりゃ確かにビジネスしてる人にとってはありがたいかもしれないけど、そこを目指してる会社を周りの人たちが応援してくれるとは思えません。
社員が一番自慢できる会社
去年のちょうど今ぐらいの時期に、マネジャー陣を中心に現場の人間も何名か混じってましたが、「木村石鹸をどんな会社にしたいか?」というブレストみたいなことをしました。
そもそもは、そういうブレストが本題ではなかったんですが、本題をやるのに、まず、木村石鹸が目指す方向や価値観をこのメンバーだけでもしっかり共有しておくべき、ということで、急遽やったわけです。
最初は、具体的にこんな会社だといいな、みたいなアイディアをどんどん出して貼りだしていきました。「商品が世界中で発売される」「ガイアの夜明けに出る」「給与が今の10倍」「給与は高く、休みは多く」。こんなのだったら良いなという妄想を書きだしていきました。
そして、最後にこれらを集約する言葉を一文にまとめる、という作業をしたんですが、ここである社員から出た「社員が一番自慢できる会社」って言葉が、皆一番しっくりきたんですね。
自然とこういう言葉に集約されるというのが、なんとなく木村石鹸らしいなと思ったんです。
主語が社員なんですよね。自慢できる、というのは誇らしいということでもあるだろうし、自分たちのやってることを正々堂々、自信もって「良いこと」だと言い切れないといけないだろうし、これはなかなか深いです。
そして、自分たちが一番自慢できる、というのは、よくよく考えると、ものすごく自律的なんですね。いつもお世話になっている近大の山縣先生の投稿で気付かされました。価値軸が「自分(たち)」なんですよね。
この軸から考えると、商品にせよ、事業にせよ、組織にせよ、一本筋が通るんじゃないかと思ったんです。
例えば、「社員(自分たち)が一番自慢できる」商品って考えたら、そりゃやっぱり不誠実なことは出来ないわけです。それはお客さんがどう感じるとか、どう捉えるとかよりも、まず、自分の気持ちとか心の声にどう真摯に向き合えるかにかかってます。後ろめたさみたいなものがあったら、本気で自慢なんて出来ないし。
お客さんに喜んで頂く、満足頂く、感動してもらう、みたいな軸もすごく大事だとは思うんですが、この商品って、自分たちは自慢できるんだろうか?という内省は、軸が「自分」だからこその厳しさを求められるところもあるなと思います。相手が「自分」だから、誤魔化そうと思えば誤魔化せるわけじゃないですか。でも、だからこそ、真剣に「(自分たちが)一番自慢できる」と自信を持って宣言できるようにするたには、相当な覚悟が求められるなと思うんですね。
会社や事業の在り方とかもそうです。社会のため、人のため、●●●のため、じゃなくて、「中のこと」がよく見えて、知ってる「社員(自分たち)」が「一番自慢でき」ないといけない、って考えると、これはかなり難しいことだと思うし、でも、本当にそうできれば、それは素晴らしいことですよね。表向きは良いことばかり言ってて、周りから凄いですねー、良い会社ですねーなんて言われてても、中をよく知る社員が自信持って自社を自慢できるのかどうか、それこそこのブレストで「自分の子供を働かせたい会社」なんて言葉も出てきましたけど、そこですよね。よく知ってる人や大事な友人や家族も働いて欲しい会社がどうか。
この言葉を軸にして、木村石鹸を捉えなおすと、経営理念や社訓で示された価値観ともうまくマッチするし、さらに今後、色々な判断や決定を下していく際にも、すごく重要な指針としてフィットするんじゃないかと感じてます。
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