ユエ@双極性障害2型/複雑性PTSD/離人症

22歳♀/大学中退→2回閉鎖病棟入院/料理が大好き/音楽を一日中聴かないと落ち着かない…

ユエ@双極性障害2型/複雑性PTSD/離人症

22歳♀/大学中退→2回閉鎖病棟入院/料理が大好き/音楽を一日中聴かないと落ち着かない/イヤホンは命/障害基礎年金2級/障害者手帳2級/精神科入院

マガジン

  • 瑠璃空に愛を。【連載小説】

    叶(かなえ)癒空(ゆそら)、20歳。精神科に足を踏み入れていった彼女を取り巻く人達との関わり。主治医として出会った人への憧れ、愛情、親子愛に揺られ、葛藤しながらも自分の人生を選び取った、ある女性のお話。

  • 2020/5/16〜6/13 閉鎖病棟に任意入院していた。

    人生で初めての入院が、閉鎖病棟という特殊な場所だった。出逢った人、学んだこと、感じた事や考え。あの刹那的な時を私はどう過ごしたのかーーー

  • うちの主治医は天然ちゃん。

    彼はそう、精神科医なのに天然ボケ?言葉足らず?デリカシーは宇宙の彼方へすっ飛ばした?! 3回に1回の診察で私は自問自答する。 このまま主治医と付き合い続けて大丈夫か?! 読者様にも、私と同じく主治医にツッコんでくれる人が居ますように(切実) あわよくば投げ銭を.........☆

  • 発達障害シリーズ

    WAIS-IVを受ける〜受けてからの色々。

最近の記事

  • 固定された記事

こんな私の自己紹介がいるかどうか分からないのですが。

初めまして。ユエです。 なんだかんだ、自己紹介をするべきかどうか迷いながらきたら、noteを始めて1年が過ぎました←遅い! 今更ですがユエってこんな人みたい、と読んでいただければ喜びます(私が)。 ーーーーーーーーーーーー ーーーーーーー 『現在の状況』 21歳♀ 理系大学中退→家事全般引き受けるという名の無職(ニート) 現在、閉鎖病棟入院中(2020/6/18〜) 2020/10/14より、医療保護から任意に切り替わりました。 現在、退院の目処は未だ立っていませ

    • 瑠璃空に愛を。 ⑥

      【癒空、22歳冬ー続ー】 世界は元旦を迎え、私は22歳になった。それでもまだ、私は閉鎖病棟に居るままだけれど。 「22歳になったよ、私」 年明け最初の診察で、意味のない報告をする。きっと興味のカケラもなく、私の誕生日など知りはしない彼に少しでも爪痕を残したい一心で。 「へぇ?あ...…本当だ、元旦なのねぇ誕生日。おめでたいねぇ」 カルテを見て、彼が少しだけ目を丸くして言う。 「おめでたいんだかどうか...…、」 「まぁ、それなら誕生日おめでとう」 「あら。あり

      • 瑠璃空に愛を。 ⑤

        【癒空、21歳冬】 入院した頃から、半年以上が経った。季節は冬に入りかけていて、私はと言うと隔離部屋から個室に移った。 4人部屋には戻りたくない、それなら退院すると駄々をこねてみた私に主治医が、大人しく入院継続してくれるならという交換条件で、完全個室がある特別病棟に入れてくれた。 特別病棟には最大でも14人ほどしか入らない。病院というより最早ホテルと言った方が近いだろう、と4人部屋とは比べものにならない、与えられた広々とした部屋の窓から外を眺める。 双極性障害Ⅱ型。通称

        • 瑠璃空に愛を。 ④

          「ここ......…、」 どこ、と小さく呟いた。答えは返ってこず、仄暗い月夜の光だけを頼りに見回した部屋は、入院していた頃に与えられていた4人部屋の一画よりだいぶ広くて、けれどどこか無機質で温かみに欠けていた。 それが見知らぬ場所にいる事の怖さに拍車をかけた。 「だれ、か」 居ないの、と恐怖に掠れる声を絞り出す。 コンコンーーーー こちらに向けて響いたノック音にひゅっ、と自分の喉が文字通り鳴るのが分かった。静かにして、いなければ。誰が何をしに来ているのか分かるまで

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        こんな私の自己紹介がいるかどうか分からないのですが。

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        • 瑠璃空に愛を。【連載小説】
          6本
        • 2020/5/16〜6/13 閉鎖病棟に任意入院していた。
          0本
        • うちの主治医は天然ちゃん。
          0本
        • 発達障害シリーズ
          1本

        記事

          瑠璃空に愛を。 ③

          【癒空、21歳初春ー続ー】 私は結局2日入院して、家に一番近い救急救命から退院した。 鈴原さんは最後まで私を気にかけてくれて、玄関口まで見送ってくれた。 「辛いだろうけれど死なないで欲しい」 私はゆっくり頷いた。少なくとも当分はもう、やらかさないだろうから。 今日は、臨時受診の日だ。救命がかかりつけに連絡したところ、退院する日にこちらに臨時受診をしてくださいとの事だった。 主治医は何と言うだろうか。泉さんは? 考えたくなくて、けれど母親が運転する車の中で頭に浮かぶの

          瑠璃空に愛を。 ②

          【癒空、20歳秋】 季節を超えて私はまだ、呼吸をしていた。あの子も。 もう習慣づいた毎週の病院帰り、眩しい程に澄み渡った秋空に手を伸ばす。あと何日経てば、私はあちらへゆけるだろうか。 そんな事を考える時間が少しだけ、減った。 そんなあたり、精神科は全く無意味、無力というわけではないのだな、と失礼にも実感した。偏見が残る精神科に良い感情を持たないのは、事実通っている自分でさえそうなのだ。縁のない他人からしてみれば、理解出来ない物に他ならず、理解できない物を人は嫌悪し遠ざける

          【瑠璃空に愛を。】 ①

          【プロローグ】 母は、強くやさしい人だった。 堪えようのない脆さを持っているのは確かに感じるのに、それをおくびにも出さず真っ直ぐ前を見てーーーーーそうして誰かを追いかけているような。 そんな母の背を眺めて時折、父が寂しそうにしているのも気づいていた。 私は、私達家族は、母にとってなんなのだろうかと問いかけを口にしようとしては飲み込んだ。 程よくバランスの取れた均衡で私達、3人家族は成り立っている。けれどその均衡は、優しい春風ひとつで吹き飛ぶ。母が崩れ落ちたら、私達はどう

          普通じゃなくてもいい、自分が自分であると確信が欲しいだけ。

          っていつもいつも思うのだ。 双極性障害の気分の波がくる度に思うのだ。 特に躁状態から鬱に転落していく時期。時期というか、波が激しいので数日から1週間単位で躁鬱が入れ替わるので、時か。 分かってる。上がったら下がる。増えすぎたら生成過程にブレーキがかかる。ホメオスタシス、動的平衡に基づいた生物の身体は正直だ。気分だって脳の病気なんだから、ホメオスタシスに従うのは不思議じゃない。 けど。私の身体なのに、って思うのだ。 つい昨日まで、読みたい本をたくさん読んでいて、何かよ

          普通じゃなくてもいい、自分が自分であると確信が欲しいだけ。

          青薔薇を我が愛すべき主治医へ。

          そういえば、閉鎖病棟に入院してる間に ちょっと、嬉しかったことがあったんです。 うちの主治医って、ちょっと人と37度くらい違う感性をお持ちなんですけどね。 去年の夏頃にちょうど私に折り紙ブームがきてまして。 youtubeで折り紙で作る立体的なバラ?の動画があったんですね。 そう、これこれ✨ で、その時軽躁だったのもあって、まぁー朝から晩までバラを折り続けて、ついに極めました。 多分2日ぐらいで。褒めてくれ(笑) それでこんなのいきなり何故って、主治医にあげたか

          青薔薇を我が愛すべき主治医へ。

          綻ぶ前の蕾だった。今でも大事な、恋です。

          ちょっと歪んで生きてましたけれど そんな私にも、甘酸っぱい青春に足を突っ込みかけた時がありました。 中学2年。 帰りのバスの路線が同じ、男の子がいて。 一緒にいて、単純に楽しくて 友達として好ましくて、 だけど男友達以外としては見てなくて でも向こうが違った。 「俺はお前が好きだから」、と メールの返信が返ってきた時のこと 今でも覚えてるよ。 君の想いには応えてはあげられなかった。 ごめんね。 だけど、優しい甘酸っぱい恋愛として ずっと私の心の中に

          綻ぶ前の蕾だった。今でも大事な、恋です。

          泣いて帰った受診日。

          黄色い錠剤が口の中で静かに眠る。 溶けて喉の奥に堕ちていく。 暑さに乾いた頬を 涙という血液が零れていく 血管の、身体の外で、 「くるしい」と 血が泣くように。 ーーーーーーーーーーーー ーーーーーー 幾度も通った道が 知らない日常の視界に見えた あの日 あの日の所為だ、と 初めて精神薬を処方されたあの日 私のなにかが変わった気がした 私は。精神病者になったの? ちがう、先週と何一つ変わってはいないよね? 手のひらに重ねた 処方箋が入ったビ

          辛い事を辛いと言えるのは。

          それは確かに幸せだと、私は思う。 私がそれを出来るようになったのは、 ほんの数週間前だ。 今、このnoteを書いている ほんの数週間前。 夏の終わりを感じさせる日の事。 一年ちょっとカウンセリングを受けていても、 私は心理士さんの前でなかなか上手く泣けなかった。 だけどその日、 何故か心から泣ける気がした。 涙が後からあとから溢れていった。 そもそも泣くのは嫌いだ。 泣いても何も変わらないから。 悲しいと思っても苦しいと感じても それでも、誰も助け

          辛い事を辛いと言えるのは。

          発達障害の前に、色々ありました。

          心の病気が世間様に認知されて、まだまだ間もない。 発達障害だって、障害者雇用枠だ、福祉だって理解され始めているけれど 無条件に受け入れてもらえる状態を整えるのは難しい。 人が作り上げる社会は、やっぱり異物を嫌うままなのだ。 たいていの人は、それでも普通にやっていけるのだろう。 普通だから。 だが、一度自分がみんなとは違う、アチラ側の世界にいると気づいたら 今まで生きてきた社会は、とても苦しいものに見えるだろう。 人間とは身勝手な生き物なのだ。 私もまた、どん

          発達障害の前に、色々ありました。

          小さな私のジュエリーボックス。

          たくさんあった。 好きなもの、可愛いもの、大切なもの。 それらは物で、物質で、お金で買えるもの。 お金がなければ買えないけれど、 お金があるなら、割とすぐに手に入るもの。 小さな私は、大切にした。 メ○ピアノのTシャツ、メ○ピアノのポシェット。 小学校の同級生にもらったまめゴマのマスコットは淡い初恋とともに、ボックスにしまってあった。 青いリンゴの香りがする練り消しケース。 キャラクターものの筆箱、下敷き。 キラキラするラメが惜しげも無く使われている鉛筆セ

          小さな私のジュエリーボックス。