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瑠璃空に愛を。 ⑥

【癒空、22歳冬ー続ー】

世界は元旦を迎え、私は22歳になった。それでもまだ、私は閉鎖病棟に居るままだけれど。

「22歳になったよ、私」

年明け最初の診察で、意味のない報告をする。きっと興味のカケラもなく、私の誕生日など知りはしない彼に少しでも爪痕を残したい一心で。

「へぇ?あ...…本当だ、元旦なのねぇ誕生日。おめでたいねぇ」

カルテを見て、彼が少しだけ目を丸くして言う。

「おめでたいんだかどうか...…、」

「まぁ、それなら誕生日おめでとう」

「あら。ありがと、先生」

そんな日常を過ごす日々。それがいつまでも続けばいいと、思うのは事実で、でもそうはいかない。

「ねぇ、」

「はい、」

「私はいつ退院出来るの?」

「退院したいの?」

「え?」

冗談かと思って聞き返したけれど、彼は至って真面目な顔で言葉を続ける。

「ここにいれば叶さんは傷つかずに済むでしょ。家に帰ってお母さんと暮らすより、ここにいる方が辛い思いだってせずに過ごせる」

「そう、だけどーーー」

そうじゃない。私の居場所はここじゃない。それは先生が一番良く知ってるはずだ。

「退院して、やっていけるの?自傷もせず、自殺もしないって約束出来る?」

「.........…、」

「叶さんは嘘をつかないと思ってるよ。だから今、叶さんは黙った。だからこそ約束してくれる時まで、僕は叶さんを退院させてあげられない」

「それで私が、ずっと.....…」

約束出来なかったら?
背中をヒヤリと冷たい何かが伝う。

「病気の所為で、叶さんを失うわけにはいかないからねぇ」

それはあなたが主治医だから、でしょうと言いかけてやっとの思いで口を閉じる。言ってはいけない。望んではいけない。想うだけなら自由だけれど、相手に求めてはいけない。

「いやだ」

初めての拒絶だった。これ以上、ここには居られない。小さい私が、私を責める。

わたしは死ぬ思いで頑張ったのに。あなたは優しくしてくれる人達に囲まれて、なにもせずに呑気に生きてるだけで、と泣きながら責め立てる。

それは正しい。正しいからこそ、私は何も言い返せない。

「これ以上は嫌です。小さい私が20年の間必死で築いたものを、私の身勝手で壊していくんです」

そんなのは耐えられない。涙を零した私に、机に置いていた彼の腕がピクッと動いた、ように見えた。

「ごめんねぇ」

最後通告だった。泣きながら診察室を後にする私に、ナースステーションから看護師が飛び出してきたのが見えた。

「叶さん、大丈夫?」

首を振って走り出そうとする私の手をパシッと掴んだ看護師に全くもって理不尽な怒りが湧いてくる。

「離して!!!!」

「叶さん、落ち着いて。またハードに行く事になっちゃうから、ね?」

ハード。隔離部屋。私が半年ほど入っていた部屋。
無機質で冷たくて、誰からも隔絶されて。解放時間が徐々に長くなっていったとは言え、夜は半年間ずっとあの独房みたいな部屋でひとりきり。

「っーーーー」

力なくその場に座り込んだ私を、なんだなんだと他の入院患者達が遠巻きに見ている視線が飛んでくる。

「お部屋に行こう、叶さん」

支えてもらいながら部屋へと戻ってすぐ、ベッドに包まる。現実逃避したい時、私の居場所はいつだってベッドの中だ。

「なにか先生とあった?」

「........…、退院、させてくれないって」

言葉にするとまた涙が頬を伝っていく。

「退院したいよね」

見えないだろうけれど、毛布の中で頷く。

「水澄先生は叶さんの事、とても可愛がってるよ。いつもすごく心配して...…、気にかけてる。叶さんの事、僕がいない間もちゃんと見てあげてね、よろしくねって何度も念を押して.….こんな事言ったらダメだけど、ちょっと普通の患者さんの域を超えてると思う」

それだけ大事に思ってるんだと思うよ、と言われて、少しだけ退院出来ない悔しさが救われた気がした。例えそれが、私を宥める為の方便だったとしても。

「叶さんも水澄先生の事大好きだよね」

主治医に抱いてはいけないはずの想いを見透かされたような気持ちになって、けれど否定しても嘘っぽく聞こえるだろう。

「好きですよ」

「聞いていいか分からないけど...…ライク?ラブ?」

「それを聞いて、どうするんですか」

「......…いっそ先生と結婚したらどう」

「はい?」

素っ頓狂な声が出て思わず布団から顔を出すと、看護師と視線が合う。冗談を言っているような顔ではないからこそ、頭が混乱する。

「きっと先生も満更じゃないと思う。あとは叶さんの気持ちが一緒なら、」

「勝手な事を言わないでください。あの人が私なんかを選ぶはずはないし、あの人の為にも選んで欲しくもない」

選んで欲しい。でも、振り向かないで欲しい。他でもない先生の為に。
中途半端に大事にされても辛いだけなのに、どこか私はそれで満足している。

他のどの患者より、少しだけ特別にはなれている。それで、良いじゃないか。先生が主治医で居てくれる間は、ずっと一緒だ。

「僕は別に思いつきで言ってるわけじゃないよ、叶さん」

「そう聞こえますけど、」

「この間先生の部屋で、勉強会をやったんだけどね」

話が飛び過ぎて意味が分からない、と言った顔をした私に彼ーーー宮崎さん(笑顔が胡散臭いと私は常々思っている人)が続ける。

「叶さんがあげたんだってね、あの折り紙達」

「あぁ....…、あれは」

あれから青薔薇以外にも、幾つか折り紙の作品を渡した記憶を引っ張り出す。

「大事そうに机に飾ってあったよ。極め付けは、」

叶さんからの手紙、と宮崎さんが面白そうな表情を浮かべた。

「何処にあったと思う?」

「え...…何処って引き出しかどっかじゃないんですか」

「ドアに貼ってあったよ」

今度こそ息を呑んだ。なんで。どうして、先生。
たかが一患者があげた手紙に対して、そんな事までするの。どうしてギリギリで私にあなたを諦めさせてくれない。

「だから、どうかなと思った。叶さんは感情を抑えて隠すのが得意だけれど、先生はそうじゃない。あの先生は、自分の感情に素直過ぎるほど素直で、率直。でしょう?」

頷いた私に、宮崎さんが小さく笑った。

「僕は叶さんの本音はきっとずっと見透せない。でも別のアプローチで検討をつける事は出来るよ」

「わた、しは」

言ってはいけない。喉まで込み上がってくる溢れるほどの、なにか。
黙れ、私。言ったらおしまいだ。

「......…好きなんだね」

呟かれた声に、私はゆっくり首を振った。
声にならない言葉を宮崎さんは、読み取ったようだった。

「そっか。果報者だねぇ水澄先生は」

ベッドの上で起き上がって号泣する私を、宮崎さんは落ち着いたらナースコールして、と言い残して1人にしてくれた。


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宮崎さんと話した後、私の気持ちを知った先生からいつ、主治医を変えようかと切り出されるかとビクビクしていた私だったけれど、1週間経っても彼は何も言ってこなかった。宮崎さんは、何故か胸に秘めて黙っていてくれたらしい。

だから、特別私と先生の関係性が変わる事はなかった。当たり前だ。


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【癒空、22歳初春】

今日は、数日に一度来てくれる母親との面談日だった。こちらに負担をかけないように、と微妙にぎこちない気遣いをしつつ、話す母親に少しだけイライラした。
それが相変わらずの自己嫌悪を煽る。またそれが、母親への怒りへとなり、そんな理不尽に怒ってはいけないと私の中の誰かが諌める。
遠い所を数日おきに来てくれるだけでありがたいじゃないか。

私は両親を嫌い抜けない。子どもは親を嫌いにはなれない。特に、母親は。生物学的な繋がりが深く、それ故にシンプルなはずの情緒が、この世に生を受けてから歩んできた道のりで形成される心の中で、複雑になっていくのを私はただただ傍観していた。

両親は確かに私を愛してくれていた。昔も今もそう、思っている。
例え、理不尽に手を上げられたり暴力を受けても、それでもその行動や言動の裏に愛情を感じたのは、愛されたいと願うが故の思い込みでは無かった。私はそういうところには、人一倍敏感だった。

父親はともかく、母親は確かに絶対、幼い私を愛してそして嫌っていた。自分で制御しきれない、激しい感情を私にぶつける事で自我を保っていたように、幼い私には見えた。
可哀想、だと思った。だから黙って、毎日のように投げつけられる痛みをあえて逃げる事なく受け止め続けた。
そうしなければ、共倒れだった。いや、むしろそれでも良かったけれど、その前に同じように苦しめてやりたいとも思っていた。

因果応報という言葉があるように、私が何をしようとそれは両親の今までの行いゆえだ。それは自信を持って言える。
幼かった私の心を壊し、未来や希望に溢れて色鮮やかなはずの毎日をモノクロにした両親になんの情けをかけろと言うのか。そんな事を言うのは、私には到底縁のない世界で生きてきたおバカで呑気な、所詮「他人」だけだ。
人は愚かにも自分が同じ立場になって初めて、自分が過去に発言した言葉を突きつけられ振り返り、そして悔やむ。それがいつまで経っても出来ない人には、尚更かける情けはない。

私は基本、冷たく「個」が強い。きちんと自覚している。だから多少、傲慢と言える隠れた部分は許して欲しい。決して両親のように、自分に抵抗出来ない弱者に狙いを定めて滅多刺しにはしないと誓うから。

「この間、殺処分されるわんちゃんのレポートがやってたんだけどね。もう可哀想で可哀想で観てられなかったのよ」

そう言う母親は、恐らくそう大して傷付いてなどいない。いやそれでは語弊があるけれど、要は彼女にとってもそれは自分の日常には関係のない場所で起こっている、「現実」だけれど薄い膜一枚に隔たれている「現実」だ。
そしてそれは正しいのかもしれない。世界は悲しみのニュースで溢れていて、それにいちいち感情移入していたらそれこそ精神を病む人が後をたたない。

だからこそ、私は黙る。自分に置き換えてみると上っ面の言葉だけをかけられるよりは、何も言われない方がまだプライドが傷つかずに済むと思うから。犬だって、必死で生を全うしようとしているのに、言葉だけの憐情など不要だろう。彼等が欲しいのは、私と同じ、傍で行動を示してくれる人の優しさだ。

そろそろ疲れた、と何かから逃げるように世間話を延々と続ける母親に、心の中でイライラを隠しつつ舌打ちをする。こちらを気遣う様子を見せながら、むしろ疲れさせている彼女が何がしたいのかさっぱり分からない。
そしてそんな自分に自己嫌悪する。遠い所を数日おきに来てくれるだけで有り難いと、そう思わなければいけない。私の中の、「感情」をずっと上回ってきた「理性」が噴き上がる冷徹な私を抑制する。

「じゃあお母さん、行くわね。また何か必要な物があったらまた連絡して」

「うん、ありがとう」

いつも通り、足早に私の先を歩いていく母親の背中を見ながら不意に、一瞬昔の記憶がフラッシュバックした。

無防備に背中を見せる両親の背中を、刃で刺し抜く夢。夢?いやあれは、記憶だ。「殺意」と言う名の幼い私に刻みつけられた感情の記憶だ。
幼稚園児が抱くには不釣り合いで、けれどそんな「常識」は被虐待児には通じない。それが理解出来る人は恐らく、同じ経験をして傷の手当をお互い出来る人だけ。

私は未だに親を許していない。許せなどしない、一生。小さい私がそんな事は許さない、と叫ぶ。

思い出したくない。でも、あの子が泣き喚いて訴える。それに応えない理由は私には、ない。私があの子を守ってやらなければ、言いなりになってでも気持ちを宥めてやらなければ私はいつか本当に犯罪者になってしまう。

両親を刺し殺して、私も死にたかった。あの地獄のような日々が終わるなら、なんだってすると覚悟していた。何度、キッチンへ飛び込んで包丁を手にしたか分からない。その度に息を深く吐いて、包丁置き場に戻した。
犯罪者になってまで断罪してやるほどの価値もない、あんなやつら、と言い聞かせて。


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