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王が起こした革命

『[新版]ハングルの誕生 人間にとって文字とは何か』野間秀樹著(平凡社ライブラリー)

この大層な副題のついた名著を紹介する前に、私自身のハングルとに関わりと、そのもどかしさについて書いておきたい。


80年代
今ほど韓国が身近にない中高生の頃からNHK講座などでハングルにふれいて、ずいぶんとやさしい言葉だなと感じていた。大学に入ると先輩が韓国の貿易会社に就職し、バイトの斡旋などをしてもらったが、入社したばかりの先輩もなんだか簡単そうに韓国語しゃべってる。

その後私も鉄鋼会社に就職すると、最大貿易相手国は韓国だった。鉄鋼業は戦後賠償の絡みなどもあって現代韓国鉄鋼技術は日本で学んだ技術者が多い。貿易も韓国との結びつきが強いせいで韓国の会社との交流が多いのだ。そんなゆかりでちょっと勉強しちゃおっかなと、テキストを買った。たしか、「漢字で覚える韓国語」といった風な軽い入門書みたいな類だった。韓国語の語彙の7割が漢字語であることに衝撃を受けた。さらにはそのうち多くの語彙は、明治以後の文明開花で日本で漢字に変換された西洋概念だったりする。語彙の多くは共通していて音が多少違うだけだ。つまり日本語話者にとってめっちゃ簡単な言葉のだ。少なくとも当時そう感じた。

90年代
ところが就職して数年後に韓国でいわゆるIMFショック(1997)が起こった。アジア通貨危機の流れを受けて韓国経済も破綻寸前まで落ち込んだ。その結果、韓国向けの輸出が突然無くなった。つまり韓国語を学ぶモチベーションが消えたのだ。でもその頃にはハングルは少し読めるようになっていた。韓国文化や歴史の本などはよく読んだ。

2000年代初頭から中国経済が大爆発し、私もしばらくは中国語の世界にのめり込んだ。ちなみに短期間北京の語学学校に行ったことがあるが、クラスの生徒の半分は韓国人留学生だった。韓国学生が就職を有利にする必須外国語が日本語から中国語に変わってゆく時期であった。もちろん英語習得は前提条件だ。国家経済が外国需要に大きく依存する韓国では大企業に入るなら外国語は必須なのだ。切迫度が違う。こういう変わり身を国家単位でできることは韓国の強みだと思う。映画「国際市場で逢いましょう」おすすめ。

中国語がある程度できるようになると、もう一度韓国語をやりたくなった。仕事も韓国との交流が増えていたし、韓流なんて言葉も中国語から輸入されてブームになったし、日韓ワールドカップもあった。韓国女性アイドルグループの活躍のおかげで、小学生だった娘のクラスで行きたい国人気ランキングで第2位になったと聞き驚いた。おっさんたちのお忍び旅行先ではなくなった。

そろそろ学習再開しどきかなと考えて初めてレッスンに通う。ハングルを覚えたり、検定も受けたり、雑誌も購読したりした。でも正直なところいまいち夢中になれないのだ。理由はいくつかあるが実践で使う機会がないことがおおきい。

日本に駐在している韓国の方々は日本語ペラペラだし、出張に行っても、タクシーでも、ホテルでも、買い物でも韓国語で質問しても日本語で返ってくる。みんな日本語うますぎる。つまり旅行者程度の用事をたすためには韓国語をしゃべる必要性がない。後年家族を連れてソウル旅行をしたが、当時高校生の娘はスマホとインスタだけでソウルを自在に動き回って目当てのカフェにゆき、写真をとり、ファションアイテムや化粧品をなんなくゲットした。韓国語知識ゼロでも十二分に楽しめるのだ。ちなみに私はカフェもコスメもどうでもいいので、家族を西大門刑務所に連れて行ったけどね。

仕事においては学習の糧にとわざわざハングルで書いた資料を読んでみるのだが、電子辞書で調べた言葉がことごとく漢字語で、辞書の説明も淡白で、未知がひらける喜びが少ない。むしろこんな語彙もいまだにわかっていなかったのかという「くたびれもうけ」感が強いのだ。

同音異義語も多いだろうに。だったら漢字使ってくれよと泣き言が出る。漢字語をハングルで書くのは日本語をカタカナだけで書いてるようなものだろ?中国文化の影響をなくしたいのはわかるが、片意地をはらずに使っちゃえばいい。今の若い子たちは自分の名前の意味もわからない子が多いと聞く、そんなの歴史の喪失じゃないか、てな具合に恨みごとまで言いたくなる。

それに韓流ドラマも韓国アイドルも一切関心がわかない。語学雑誌もエンタメ中心だし、レッスンの先生も生徒もイケメン俳優のことだと盛り上がるが、私は一切ついてゆけない。ヨンさまもグンさまもチャングムも観てないしね。てなことで結局2度目のトライもフェイドアウトしてしまった。ちなみに最近では「愛の不時着」が家庭にも浸出してきて、妻はヒョン・ビンがどうのこうの言ってるが観る気になれない。

長い前置きの後でやっと『ハングルの誕生』の話に入る。初めは平凡社新書版読んだ。

ハングルに対する認識が一変した。脳内パラダイム変換だ。この小さな本にここまで濃縮された知のエキスがつまっていることに驚いた。そして改めて学習意欲が湧いてきた。

その新書が今回平凡社ライブラリーに入ることになり大幅増補されてパワーアップして[新版]として再登場した。

目からウロコポイントは数多あるがその中でも驚きなのが<正音>エリクチュール革命のくだりだ。

知らない人にはなんのこっちゃと思うかも知れない。正音つまり後年ハングルと呼ばれる文字は15世紀に世宗大王によって創製されたのだが、当時書かれていたものは全て漢字漢文であった。

「十五世紀朝鮮の知識人たちにとって漢字は、いわば生そのものであった」P202

「両班の子弟は、この世に生を受けるや、漢字で名を授けられ、漢字で世界を知り、漢字で友と語り、漢字で詩をしたため、漢字で国家を論じ...」P202

こんな漢字だらけの世界に新しい文字を創る。これはまさにエリクチュールの革命だ。

「王は最高権力者であるから<革命>などとは言えない?  違う。王が<正音エクリチュール革命>で戦う相手とは、王などとは比較にならないくらい強大な相手であった」(P204)

強大な相手とは漢字漢文文化の歴史だ。4000年の歴史と文字の蓄積。

このエクリチュール革命の手に汗握る闘いの知的描写は活劇にも勝る。[新版]ではなく[劇場版]を作ってほしい。

ではこの革命を何故起こしたか。そのひとつの理由は漢字漢文では「この地の<声>が書けない」ことP234

知識人は漢字漢文でできた制度、文化のなかで生きている。しかし民の声=言葉は書き表せない。民の声を文字に書くためにハングルを創った。

以前取引先の韓国人に言われた言葉を思い出した。彼曰く、韓国という国が、強国に囲まれたあの場所で生き残り、独自の文化、言葉を保っていること自体がひとつの奇跡なんだと。たしかに中国、ロシア、日本、アメリカと強大な国家が半島にせめてきた。それでも残った。それにはこのハングルの誕生が大きく寄与したはずだ。


ハングルの文字自体のありようについてもワクワクするエピソードがたくさんある。

ハングルを初めて見る人はその縦線横線と丸と四角だらけのシンプルな字形に注目するだろう。

この形は筆で書くことを拒絶しているのだという。なぜか?

「文字を文字として成り立たしめるための、筆、紙、硯、墨といった文房四宝に象徴される<書く>修練や技法と、『愚かなる民』とは遥かなる距離がある。正音は、筆を知らぬの民が、小枝で地に刻むことも似合わぬ文字ではなかった」P297

ソン・ガンホが世宗を演じた映画「王の願い」ではハングルを覚えた少年が砂に文字を書いて女官とコミュニケーションとってたな。

しかもその文字は
「活版印刷も創製時から射程に入れていた事は、明らかである」P297

そしていまスマホで文字を書く時代だ。キーボードでも書きやすいハングル、そもそもが音からできているハングルは音声入力にも適してる。

「王羲之(三〇七?ー三六五?)を頂点とする書のありかた、書の美学に対する根底的な反逆となる。山水画の世界にコンピューター・グラフィックスが出現するようなものである」P299

このあたりは美術家でもある著者野間秀樹の真骨頂かな。

まあいくら書いてもこの本の魅力は伝え切れないのでぜひ読んでほしい。

ハングルや韓国語にとどまらないスケールの大きさを皆さんにも感じてもらいたいので、著者の野間秀樹さんにお願いして対談イベント企画しました。お相手は新進気鋭の言語学者辻野裕紀さんです。

1/12(水) 20:00-22:00
「言語からの応答」
本屋B&B
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