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“ゆふいん”の由来

ゆふいんに興味を持った方が抱くよくある疑問、
「”由”布院?”湯”布院?どっちが正解?」
の疑問にお答えします。

結論から言うと、盆地の中と川西地区、塚原地区を「由布院」、それ以外の盆地の外を含めた旧由布院町域が「湯布院」です。

とは言うもののイメージが難しいですよね。
実はその背景にある、ゆふいんの歴史を知ることできっとイメージがつかめるはずです。

少し記事にお付き合いいただいて、明日から使える豆知識にしていただければ幸いです。

「由布院村」から「湯布院町」へ

行政区分として、いわゆる“ゆふいん″と呼ばれる地域は現在大分県由布市に属していますが、平成の市町村合併前には“湯布院町”という町名が行政上の区分となっていました。

とすると「湯布院」の表記が正解なのでは?
と思われる方も多くいらっしゃるかと思いますが、ちょっと我慢してもう少し歴史を遡ってみましょう。

この平成の大合併の前、昭和の大合併が1953年以降に行われました。
この合併の動きの中で1955年に、現在の湯平地区にあたる「湯平村」と、現在の盆地を中心としたエリアにあたる「由布院村」が合併をすることとなり、湯平村から一字をとった形で「湯布院町」が誕生しました。

少しややこしくなってしまいましたが…つまり、近代以降の「ゆふいん」の歴史を遡ると、“由”と“湯”、2つのアイデンティティが存在してきたということがわかります。

“ゆふいん”の由来とは

そもそも“ゆふいん”という地名のルーツは奈良時代まで(!)遡ることになります。

「ゆふ」は、楮(こうぞ)という和紙などの原料となるの植物の皮から取れる”ゆふ”という繊維から木綿を作っていたことから、「院」は院と呼ばれる大きな蔵がこの地域にいくつもあったことから、「ゆふいん」という呼び名が広く知られるようになっていきます。

こののち平安時代に入ると、上記のように古くから「布」を作っていたことから、また物事の始まりという意味をもつ「由」の字が当てられ、ついに由布院となりました。古くは万葉集の歌にもその地名が登場します。

いまでこそ温泉地として広く知られる“湯”布院ですが、実はそのルーツには温泉の要素は含まれていないことが読み取れます。

現代から約1300年も遡った奈良時代にルーツをもつこの地名。
偉大な先人たちの感性によって名付けられた大変美しい響きのこの地の名が、1世紀以上経った今でも多くの人々に親しまれおり、これからも愛される名として後世まで引き継いでいきたいです。

さて現代では

さて、現代。
「湯布院」と「由布院」、このように複数の表記がある場合の使い分けはどのように行うべきか。

答えは大変シンプルで、平成の合併により由布市になる前の旧湯布院町域をさす場合を「湯布院」、昭和の合併により湯布院町になる前の旧由布院村域をさす場合を「由布院」と呼ぶのが通例となっています。

簡単に言うと冒頭でも書いたように、概ね盆地の中と川西地区、塚原地区を「由布院」、それ以外の盆地の外を含めた旧由布院町域が「湯布院」ということです。

例えば観光ガイド本などはこのあたりを参考にしながら読んでみるとエリアの距離感も掴みやすいかもしれません。

由布院盆地には田園風景や街の営みの風景の魅力がありますし、塚原エリアには雄大な自然が、湯平には古くから栄えた湯治場の情景など、それぞれのエリアに独特の魅力があるのが由布院です。

それぞれの“ゆふいん”がもつ魅力を、あなた自身の感性で楽しみ、好きになっていただければ、とても嬉しく思います。

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