見出し画像

波紋 : short story


外に出ると、
昼間と夜の気温差が激しく、
夜霧を作り出している。
薄く立ち込めた霧で、
街頭の灯りが幻想的に広がっていた。
月影もなく、
霧のせいで星もまばらにしかなく、
木星だけが刺す様な光を放つ。
それなのに、
肉眼で確認しにくいはずの昴の位置だけは、
見る事が出来た。

子供の頃、
弟と
「もうこの星は最後なんだ。
 次に生まれる時は、
 あの星に生まれるんだ。」
と、昴を指し、話した事がある。
太陽が一つでなく、
とても眩い星。
あの時、
どうしてそう思っていたのかは
分からない。

そんな考えが浮かんでいたのが、
ただ不思議でしかない。
でも、あの時は、
この星は最後…と言うのが、
当たり前のことの様に思っていた。

この世界は、
分からない事だらけなのだ。



そう言えば、
絢と言う子は、
私にとって
とても不思議だった。

絢の持つ気配も不思議だった。
人間の気配とは違う
森の気配の様なものを持っていた。


絢は離婚し、
養育権を放棄し、
子供は夫の家族と暮らしていた。

休日前夜の仕事終わり、
「明日、子供に会うのが怖い。」
と言う。
子供がもう、
自分を忘れているのではないかと
不安らしかった。
「大丈夫だよ。」
と言うと、
少しだけほっとした顔をしたけど、
本当にほっとしたのかは、
分からない。
カラコンを入れて、
黒目がちな瞳は、
感情が読めなかった。

休み明け、
「大丈夫だったでしょ?」
と、聞くと、
「大丈夫でした。」
と、笑顔だった。
「だけど、
 別れる時、泣いていました。」
と言う。

絢の言葉を聞いて、
母を恋しがる子供が頭に浮かび
胸が苦しくなったけれど、
絢の言葉はどこか湿ったところがない。

「今の彼と子供と3人で暮らせば?」
と、私が言うと、
「彼と娘と一緒に会ってたこともあるん 
 です。
 …でも、
 私がだめなんです。
 たまに会うくらいがいいかな〜
 って、感じなんです。」
と、バッシングを受けそうな事をさらっと言うから、私は冷や冷やする。

絢は、
夫が単身赴任で、
頼る人もなく一人で娘を育てていた。
もしかしたら、
母と言うものに自信がなくなってしまったのかもしれない。
自分と暮らすより、
祖父母の元で暮らした方が幸せだと思ったのかもしれない。

でも、
単に、
彼を選んだだけかもしれない。
その彼さえ、
寂しさを埋めるための手段なのかもしれない。

泣き縋る子供に
胸は痛まなかったのだろうか?


絢は、
母子家庭だった。

絢が子供の頃、
娘と同じ様に泣き縋っても、
母は抱き上げることなくいたのではないだろうか?
絢は
それが『普通』と受け入れたのかもしれない。

私の母も、
泣き縋ろうと抱き上げる事はなかった。
しかしそれを
私は受け入れる事が出来なかったから、
涙は、
嬉しい涙を流してほしい
…と、余計に思ってしまう。
悲しい涙は胸が痛んでしまう。

でも、
絢と自分を比較することなんて
無駄だ。
人は、
同じ本を読もうと、
同じ事が起ころうと、
心に浮かぶ波紋は人それぞれだから。

カラコンの黒目がちな瞳からは
一切、
絢の本心は
読み取る事が出来なかった。

全ては絢自信が選んだ事だ。

私は
「そうなんだ。」
と、どうとでも取れる返事をした。
深く踏み込む事はしない。
物分かりの良さそうな年寄りみたいだと
自分の事を思った。
でも、
正解なんてない。
まして、
絢自体を分かっているわけではないから。

みんな、
何かに翻弄されて、
未来が見えないものなんだなぁ…なんて、
液体の中に微細な気泡が漂うな、
危ういようで、
しっかりと存在している、
漂う感じを味わった。


「どうして?」
「さぁ。
 この世界は、
 分からない事だらけだよ。」
その感じが、
足元から重力を切り離す感じがする。
霧はますます濃くなり、
頬に水分が張りついた。



この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?