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『春の川を渡れば春の人』 : 独り言



直木賞作家の玄侑宗久さんのお寺にお邪魔した。
枝垂れ桜にソメイヨシノ、真っ白な花の桜と、春が満開で、周囲には黄色のレンギョウが鮮やかだった。私の細胞たちがザワザワと忙しなく、水の表面張力がぎりぎりで今にも溢れそうなどうしていいか分からない感覚になる。
奥には11面観音のお堂があり、龍の彫刻が威圧感はないけれど、慈しんでくれるように門で待ち構えていた。
もう、私の細胞全てが春を吸い込みどんどん満たされて、どうしたら良いのか分からなくて、取り敢えず深呼吸した。

ふとした瞬間にモンマルトルの光を思い出す。
そうすると、不思議なことに、とても安らかな気持ちになる。
そんな感覚、他の人にもあるのか?

玄侑さんのお寺は、自然そのまま手付かずの様に仕立てられており、私が子供の頃の空気が残っていた。
雑草…名前も知らない草たちの間に踏み石があり、「人はここを通ってね」と静かに伝えていて、谷間の段々に作られた敷地は、なだらかでそこにも雑草たちがいる。谷を囲む様に枝垂れ桜が植えられ、ソメイヨシノの淡いピンクと枝垂れ桜の濃いピンクがなんとも言えず息を呑む。
人口過ぎない谷のお寺は、モンマルトルを思い出さなくても、安らかな気持ちになれた。

その空気と、普段私が過ごす空気は何が違うのか?

思うに、化石燃料の使用具合な気がする。
アスファルトに化石燃料がふんだんに使われた建物。かちかちに固められた四角い景色。
気化した化石燃料が空気に溢れているんじゃないかな?
きっと、化石燃料たちは、掘り起こされ日に当たりたかったんだろう…希望が叶ったね。

でも私は、土と雑草の道が好きだし、石畳と石と木の家が好き。
おまけに今日は、ピンクのグラデーションに新緑の黄緑、黄色、パステルカラーの色の洪水の春の川を渡って、私は春の人になっていた。


お寺に行く前に、知り合いのカフェでランチをした。
一人の女性がやって来て、相席してランチを食べながら色々話した。
本当は人見知りの私だが、とても社交的で話題は尽きる事がなく長居してしまった。
女性は理想的な暮らしをしている。
夫と子供と愛犬と…。
でも、何かが満たされず、カフェにやって来て話しをする。
不思議だな…と、思う。
生きるのに必要な全てを持っているのに。
「犬がいなかったらもっと殺伐としている。」
と、言っていた。
一夫一婦制は、あんまり役に立ってない気がした。
一夫一婦制なんて、男性が便宜上作ったものなんだろうな…そんな気がする。
カフェのオーナーが、
「作家さんなんですよ。」
と、私のことを紹介して、私の作った小物を女性に見せた。
「素敵。良いわね〜。」
と、女性が言った。
私は自分の作った小物を見ながら、可愛くて胸がきゅんきゅんした。女性のことなどもうどうでもいいくらいに。
売れるかより、胸が高鳴るかどうかが私には大切みたいだ。
大概の人が言う。
「作りたいけど作れない。」
と。
みんなが作家になったら困ってしまう😊
「そう言う趣味があっていいわね。」
と、どれだけの人に言われたことか。
私は多分、作家になりたかったんだと思う。この胸のきゅんきゅん以上に楽しい事があるだろうか?

この胸の高鳴りもまた、春の人だった。
春の光に満たされてぱんぱんになった私は、空に飛んで行きそうだし、この先楽しいことしか起こらない気さえする。




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