Vtuber なんぞなもし?

という話を植え替えておきたかった。
コピペしたら長くなってしまったので、余談を先に置いておく。

これを呟いていた時に念頭に置いていたのは企業アカウント、特にシャープさんのような方でした。

今付け加えるなら、一時期 Twitter を席巻した学術たん bot 界隈(宇宙物理学たん bot さんは Vtuber になりましたね)だとか、少しだけ見かけたクッパ姫なりきりアカウント、その成功例と言っていい石田三成を筆頭とした武将なりきりアカウントなどと比較してみるのも面白いような気がします。

なんどもリプライツリーが展開されるので以下は転載。

例えば、私とでっさんにも馴染みのあるゲーム(10月18日付記: LoL のこと)の配信者が最近 Vtuber として話題になりましたが、 Vtuber としての彼のファンは「転生したから前世のことは関係がない」とか「着ぐるみの中身を知ろうとは思わない」という旨を発言していました。 

彼らが着ぐるみの振る舞いとして彼の配信を楽しんでいるのであれば、他のファンについても同じことが言えるでしょうか。例えば「 FPS でスーパープレイを繰り返す猫又」や「動画を投稿する傍ら漫画も連載する園児」、「動画編集や作詞作曲も自身の名義で行うアイドル」などです。 

いずれも活動の全般を一人で行っているとは考えづらい Vtuber ですが、彼らの人格についてもファンは前述の彼のそれと同じような一種のお約束を持って動画を視聴しているように思えます。そこについて触れるのは野暮で無粋であり、上手く騙されるのがファンであると。 

Vtuber については、動画の投稿だけでなく SNS 上での振る舞いまで含めた娯楽として成立しています。Vtuber が日々の出来事を投稿すること・ Vtuber 同士が SNS 上で交流すること。彼らの動画のネタやコラボの動向には SNS での活動が深く関わっています。 

ここで、例えば先のような猫又や園児やアイドルが SNS 上で落書きを描いたと絵を投稿する時、ファンは中の人が描いたと認識するのでしょうか? Vtuber としての彼らが描いたとお約束を守るのでしょうか? 

絵師に依頼した絵なのでは? SNS 運用に関する特別な担当者がいる可能性は?しかしこれらの問いは一つの前提に立っています。
そもそも複数人体制で投稿している彼らの中の人とは誰を指すのでしょうか。 

多くの場合、我々は中の人 = 発声者であると認識しています。しかし、ディレクターが継続的に関与する場合や SNS での活動が活発である場合、先に上げた特別な技能が個性になっているの場合、我々の想像する"中の人"像は実際の発声者を超えたところに結ばれるでしょう。 

個々のファンが中の人だと思っているものそれぞれにズレがあり、それを許容する緩衝材として中の人への禁忌性やお約束が作用する。あれはネタ、これはマジという各々の認識のすり合わせを行うとファンが共有する Vtuber という人格は崩れてしまうのではないか。 

Vtuber として活動することは「誰へでもなれる」と喧伝されますが実際には違います。"のじゃおじ"こと"ねこます"さんも前者として受容されたものの、長年活動してきた後者としての人格は邪魔だとファンから誹謗され、前者は広報用のみへ転換し後者は鍵垢として転生しました。 

今後、彼らを創作する方法論・運用論が立ち上がってくるとして、"中の人とは誰を指す"のかはその核になる部分であると思います。転生・着ぐるみと認識されている以上にそれが中の人の周りを漂う陽炎のようで、その扱いを掘り下げるメディア論が語られるべきかなと思いました。

以上、転載。


この記事が参加している募集

読んでくださりありがとうございます。ぜひ感想をシェアしてください!