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闘戦経

皆さまこんばんは、軍師の弓削彼方です。
今回は「闘戦経」と言う、日本独自の兵法書について解説致します。

この闘戦経と言う書物は、平安時代の末期に書かれたと言われる日本独自の兵法書です。
著者は大江家の人物で、大江維時もしくは大江匡房ではないかとされています。(先祖と子孫の関係)
大江家と言うのは朝廷の書物を管理する家柄で、古くから大陸から持ち込まれた兵法書である孫子や六韜などに目を通すことができた一族です。

孫子を始め中国の兵法では「兵とは詭道なり」と言って、相手の裏をかいてでもとにかく勝つことを上策としていますが、日本では古くから相手を心服させるには正々堂々と戦って勝つことが大事だと言う国風がありました。
孫子などの兵法書が日本国内にも広まりはじめ、相手を欺いてでも勝てばよいと言う考えが蔓延すれば日本と言う国がダメになる。
そう考えて、大江匡房が中国兵法の良い点を認めつつも日本の国風に合うように兵法を説いた闘戦経を著したと言われています。

肝心の内容ですが非常に難解です。
理由が二つあって、一つはすでに孫子や呉子などの兵法書を読んだ兵法の知識がある人向けに書かれていること。
もう一つが抽象的な短い文章ばかりだということです。
少し長くなりますが一つ例を挙げてみましょう。

「魚にヒレ有り蟹に足有り。共に洋に在り。曾てヒレを以って得と為さんか。足を以って得と為さんか」
原文にあるこれを現代語に直すと、「同じ海の生き物でも魚にはヒレがあり、蟹には足がある。それではヒレがあるのと足があるのはどちらが得だろうか?」と言う意味になります。
当然魚のヒレと蟹の足でどちらが良いかを問うているのではなく、「同じ海の生き物でもヒレを使って素早く動く魚と、動きは遅いが足で陸にあがることができる蟹がいる。どちらにも長所と短所がある」と言うことです。
そしてこれを戦場に当て嵌めれば、遠くまで攻撃できる弓と接近戦で戦う槍や刀の違いと同じようなもので、それぞれに長所と短所があり、戦場でどちらかだけが必要と言うことはない。
上手く弓と槍と刀を組み合わせて戦うことが大事であると言うことを伝えたい文章なのです。
この様に闘戦経に書かれている内容の殆どは、伝えたい内容がそのままではなく比喩された文章になっており、読み手側がその比喩された文章の意味を理解してから、次に本当に伝えたかったであろう内容を手繰り寄せると言う理解するのに手間のかかる形になっています。
全体的にこのような感じなので、闘戦経の内容は難解であると言っても差し支えないと思います。

ただ、その内容は物事の真理を突いていると言えます。
例えば兵とは詭道なりと言う相手の裏をかくやり方を完全に否定するのではなく、相手の裏をかくにしてもそれを成し遂げる実力を養う方が先で、実力が無いのに小手先の智恵ばかり付けても意味がないと説いています。
また孫子などと同じく、全軍が一丸となって行動することが肝要でその為には兵士の心を掴む必要があり、それには将軍が信頼・智恵・仁義・勇気・威厳を備えていなければならないと言う共通した考えを説く部分もあります。

闘戦経と言う兵法書は難解で、その内容を理解するには何度も読み直す必要がありますが、日本人の気質や考え方に沿ったものなので受け入れやすいものだと思います。
理屈として兵法書によくある敵の裏をかく、敵を欺いて勝利を掠め取ると言うやり方にが分かっていても、それに違和感を覚える人は闘戦経の方が合っているでしょう。

もし闘戦経を学ぼうと思うのであれば、原文と現代語訳だけのものではなく、その文章をどのように解釈すれば本当に伝えたかった言葉に辿り着けるかを解説したものを手にした方が良いかと思います。
皆さまの世であれば、書店に行けばすぐに良いものが見つかると思います。

今回は日本独自の兵法書であると言われている闘戦経の解説を致しました。
闘戦経では「この書は孫子と表裏する」と書かれており、孫子で実戦的な策や術を学んだ上で、闘戦経でその策や術を生かすための精神や実力を養うとされています。
兵法を学んでいる者がもっと広い意味で兵法の真髄を知ろうと思う時、この闘戦経が役に立つのであろうと思います。

さて、今回はここまでにしておきましょう。
それではまた次回、お会い致しましょう。



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