「からみってなんだろう?」

こんにちは!
今日も今日とて書き綴ってゆきます。

久しぶりに文字を書き連ねています。4ヶ月ぶりくらい…?
別の様々な媒体でかなり色々と書いたりしていたのですが、友人の不幸に直面してから文が書けなくなっていました。

何を書いたら良いか分からん、、というか。
自分の言葉が人を殺すこともあるのか。なんて考えたりもしました。


しかし良い出会いや啓示があり、こうして新しく “note” という媒体にて書き綴ることにしました😌
こういう発信媒体ってどんどん増えていて、個人個人の力が強くなっているのを感じたり、感じなかったり。まぁ色々と。。


インスタみたいな写真投稿にも手を出しましたが、如何せん自分との相性が今一つでした。
やはりこうして書き綴ることが好きです。なぜかって、書く人の思想が一番表われやすいから。
発信の仕方にも、相性というのがあるものです。これはどうしようもない。


現状を書き進めてみると、なんだか頭が整理されてきました。面白い。
この間、ご飯を食べていて感じたことでも書こうかと思います。


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辛いものって好きですか?
ダメな人は本当にダメだし、好きな人はドン引きするくらいに好きなもの。
私はそこそこの辛党と自負しています。目が醒めるんですよね、辛いものを食べると。



一つウンチクを。
辛みって痛覚です、痛み。これって結構 衝撃ですよね?
辛いもの食べてる時って、要は自分の舌をぶん殴ってるんですよ。

痛めつけてるんですよ?自分を。
それで美味い美味い言ってるのだから、正気の沙汰で無いなと思いました。。
なんて辛党の私が言ってみたり…。


これを知った上で、「じゃあなんで辛いものが好きなんだろう?」と考えました。

すると急に分からなくなりました。自分の舌を痛めつけて何がしたいのでしょうかね。。

でも、そう思いながらも、私は日々辛いものを食べるわけです。
美味い美味い言いながら。ヤバいヤツだな。

あの刺激が好きなのか?
はたまた他に何か理由があるのか?
考えたけどよく分かりませんでした。なんでか分からないけれど、兎に角好き。




でもね、このあいだ理由が分かりました。
4人でご飯を食べている時に。超シンプルでした。




その理由とやらを書く前に、その時 同時に気づいたことを書いておきます。


ご飯って、「誰と食べるか」「何を話しながら食べるか」で味が変わるんです。
これもかなり驚きでした。

「話を肴に酒を呑む」
なんて言われたりしますが、ご飯でも同じことが起こるわけです。

【誰と】【何を話すか】

で、脳が感じる味覚って変わるんです。
面白いですね。なんだか楽しくなってきます。


良き方々と、良い雰囲気で、静かに、でも賑やかに、話題に花咲かせながら食べるご飯って、この上なく、とんでもなく、美味しく感じるんです。
当たり前といえば当たり前。でもなかなか気づけないことです。

そして、そういう状態の時って、”味覚も研ぎ澄まされてゆきます”。
本当に些細な、微妙な違いですが、それでもはっきりと分かるのです。
「こんな味が隠れていたのか」
「まるで違うものを食べているようだ」
こんな風に感じられるのです。




話を戻しましょう。辛みの話ですよ。
というか繋がってきましたね。

その時、溶き卵が入った辛麺が出たのですが、それを口にしてみて気づきました。

「あれ?唐辛子って味があるのか」

と。


別に、カプサイシンだけが唐辛子のアイデンティティではないのです。
辛み以外にもちゃんと味があって、それが別の食材の味を引き立てたりするのです。
ただ、辛みに隠れているだけなのです。

舌を痛めつけること以外にも、唐辛子には役割ってモノがあるのです。
だから、「辛い(痛い)けど美味い」という感情が湧き上がるわけです。
もの凄く納得できました。辛み以外の美味さってモノが引き立つから、辛いモノって美味しいんです。




誰かと卓を囲みながら、楽しく話しながら過ごすと、ほんの些細な違い( “機微” とでも呼びましょうか?) に気づけるものなのです。

別にご飯だけではありません。
日常のありとあらゆる場所に、そういう些細な気づきが溢れています。

気の合う人と、時を忘れるくらいに、時間を共有している時にこそ、気づけるのかもしれないです。

こういう気づきには価値があると思うし、それをこうして遺すことにも、もちろん価値があると信じています。



ほんの小さなこと・機微にも敏感になりながら、しっかり生きましょう?
そうすれば、人間のほんの一瞬程度も人生にも、価値が創造されるはずです。
人との接し方すら、如実に変わってくるはずです。
小さな気づきから、大きな変化に繋がったりもしますので☺️



こんな気づきを書いてみました。
うーん、まだまだ拙い。
でも、文章という形態に落とし込むことにこそ、意味があります。
そうやって積み重ねることで、やがて重みが出てきます。重厚で濃厚な “自分” というモノが。


これまでは、「何か書かなきゃ!」みたいに ある種の強迫観念に囚われていましたが、今は違います。

「書きたい時に書きたい事を綴る」

本当にこれだけで良いのだと分かりました。
そういう心持ちで、自分の中の何かを形にしてゆこうかなと思います。

気が合うようならご飯でも行きましょ。
もちろん辛い物を食べに。


今日はこの辺で!

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