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「不登校の子は、社会に通用しない?」に真っ向から反対します。

こんにちは、ドバシです。
不登校に悩む親子のサポートに取り組んでいまふ。

今回、「不登校」をネガティブに捉える方からよく聞く「不登校の子は、社会に通用しない」に反論を述べます。

明確な根拠をまとめたというより、思いを書いています。
良かったら読んでいただけると嬉しいです。

1.「落ちこぼれでしょ?」に拳を握った

5,6年ほど前のこと。

”生きづらさ”に寄り添うことに
キーデザインとして着手し始めた頃
ある企業のスタッフの方に
事業を一緒にできないか相談していた。

当時関わりのあった
通信制高校の話をすると
その方は言った。

「だって、あそこにいる人たちって落ちこぼれでしょ?」

当時まだ感情のコントロールも
そこまでうまくなかった自分は
心の中が一瞬で荒れ狂った。

目から涙が落ちるのを精一杯がまんした。
両手は机の下で痛くなるほど握りしめていた。

「ふざけるな」
「あなたは彼らの何を知っている」
でも大人として対応せねばならない。
頭の中はぐちゃぐちゃだった。

「学校に行かない選択をした子は社会に通用しない」
そんなことを言う人がいるけど
それは絶対にない。

断言する。
絶対にない。

2.あなたが言う"社会"と、あなたの知らない"社会"

学校に行く選択と行かない選択は
同じくらい価値のあるもの。

むしろ、行かないことを選んで
その道中をもがいている人のほうが
強くなれるのかもしれない。
自分の「弱さを知り、それを受け入れる」
そんな強さを持てるかもしれない。

目の前の理不尽、不条理に気付き
疑問を持ち、行動する。
これまでの人種が持たない何かを
持っている人なのかもしれない。

あなた(落ちこぼれと言った人)が
知っている社会では
彼らは通用しないかもしれない。

あなたの言う社会は
あなたの生きてきた
身近な社会でしかない。

あなたが知っている"社会"は
全体の数パーセントにも満たない。

彼らが、自分の通用する場(社会)と出会えるかどうか。
そこが大切だと思う。

ただ、あなたがそう言ってしまうのも
わからなくはない。


今の社会には義務教育がある。
小学校中学校と当たり前のように通い
高校進学だって100%に近い。

昔は遠い存在だった大学ですら
高卒者の半分以上が進学する。

むしろ今の社会では
「学校に行かない選択をした子は
社会に通用しない」
という意見の人のほうが
多数派だと思う。

原因はわかっている。

あなたの今までいた社会は
やさしくなかったのだ。

「学校に行かない選択をした子は社会に通用しない」

そんなことを思っていても仕方ない。
あなたの生きてきた社会では
それが当たり前だったから。

でも実際にいるんだ。
小学校中学校に行かずとも
今幸せに生きている人たちが。

役職じゃない。
稼いでいる金額じゃない。
高い車、豪華な家を持っているかじゃない。

たくさんの人に頼り頼られ
自分の好きなモノ・コトと出会えて
大切にしたいものがそばにあって
自分をそのままに受け入れてくれる人がいて

そんな出会いがあって

「生まれてきて良かった」

心からそう思えている人がいる。

3.大事なのは場ではなく、誰と出会うか。誰と歩くか。


そんな人も、学校に行かなかった当時は苦しんでいた人のほうが多い。

自分を差別する、いじめる人との出会い

学校で認められなかった
努力や我慢の日々

親からのDV、ネグレクト
家族の身体的・精神的な病による悩み

お金に余裕がなく小さい頃から
欲を抑えて生きていたこと

特性を持って生まれて
”普通じゃない”と言われ続けてきたこと

一人ひとり違った悩みを抱えていた。

誰にも涙を見せることはできなかった。
自分の感情を出すことは悪だと思っていた。
人を信じることができなかった。
信じようとしたけど裏切られて何もかも諦めた。
ずっと”いい子”でいなくちゃいけなくて
”頼る”事の意味がわからなかった。
変わりたい、けど、変わり方もわからないし
誰も助けてくれないから、動けない。
自分の人生に諦めていた。

当時はそんな状況だった人も
いつか幸せになれる時は来る。

それはちょっとした出会いから始まる。

今まで目を見て話してくれる人すら
いなかったのに
「うんうん」
「それで?」
としっかり顔を見て興味をもって
真剣に話を聞いてくれる人。

勉強もできないし運動もできない。
何もできない自分と一緒にいるのに
楽しそうに笑ってくれる人。

気持ちを素直に出せるわけでもないのに
「だいじょうぶ」と手を握って
あたたかい笑顔をのぞかせてくれる人。

こんな最低な自分に
「甘えていいんだよ」と
手を差し伸べてくれる人。

約束を破っても、できないことがあっても
「いいよ」「おっけーおっけー」と
なんでも許して、いつも横にいてくれる人。

一緒に泣いて、一緒に笑ってくれる人。

なんにもしなくても
なんにもできなくても
自分で自分が嫌いでも
どんな自分にもOKを出してくれる人。

そんな出会いが人を変える。

この世の中に、"落ちこぼれ"なんていない。

いるとしたら
社会に「お前は落ちこぼれだ」と
判を押された人。

一人ひとりに価値がある。
一人ひとりの命に同じように重みがある。

絶対だ。絶対。

「生きる意味ってなに?」
「私に生きている価値なんてあるわけないじゃん」

そんな声も聞こえてくる。

答えのない問いに、今日は僕なりの答えを出そうと思う。

僕が考える人が生きる意味
それは「誰かの居場所である」ということ。

4.役に立つことだけが価値ではない。あなたの知らないところで、あなたは誰かの頭の中にいる。


「え、誰かの居場所?」
「居場所ってなに?」
「誰の居場所にもなってないから
やっぱり私に生きる意味はないんだ」

そんな声が聞こえてくる。

でもちがう。

気付いていないだけで
あなたの存在そのものが
実は誰かの居場所になっている。

居場所とは、安心だ。
キラキラ輝いていなくていい。
「つらいな」「疲れたな」
そんな時に思い出せる場や人。

居場所とは、希望だ。
目の前が真っ暗なときに
ひと筋の光を見せてくれる
「またがんばろう」と思えるスイッチ。

居場所とは、勇気だ。
「しんどいな」ってときに
「○○のためにがんばるぞ」って
自分の役割をつくってくれる存在。

私の話をすれば
私もしんどい時もある。
でも目の前にいる子どもや親御さんが
笑顔になってくれたことで
「またがんばろう」と思える。
私にとって子ども達や親御さんは
勇気の源(居場所)になっている。

あなたは必ず誰かの居場所になっている。

家族の笑顔を引き出している。
友達の笑顔を引き出している。
知らない誰かの笑顔を引き出している。

あなたが生きていること
それだけで誰かを安心させている。

あなたがただ生きているということを求めている人がいる。
あなたががんばって生きているのを見て「自分もがんばろう」と思う人がいる。

信じられないと思う。

でも絶対にいる。
なかなか見えない。
なかなか出会えない。
出会えていても
感じるのが難しい。

でもあなたがこの世からいなくなったら
悲しむ人が必ずいる。

「そんな人いないよ」

そう思う人がいるかもしれない。
でも今あなたに見えていないだけなんだ。

あなたは今余裕がないと思う。
自分を押し殺して
一生懸命何かに耐えたり
頑張ったりしているけど
それが報われず
誰も認めてくれず
心に余裕がない状態。

心に余裕が出てきたときに見えてくる。

「え、じゃあ心の余裕ってどうつくるの?」

そう思った人もいると思う。
余裕をつくりたいけど
つくり方がわからなくて
諦めている人もいると思う。

やり方は様々ある。

例えば、今日の終わりに
「ありがとう」を思い出してみること。

これは僕の最近のありがとう。
・自転車をこいでいるときに、歩道で待ってくれた車の運転手さんに、ありがとう。
・ご飯誘った側なのに遅れてしまって、でもほんとに気にせずに「いいですよ」の一言で済ましてくれたあの人に、ありがとう。
・風邪を引いたことを知って、わざわざLINEをくれて、ほっこりさせてくれたあの人に、ありがとう。
・もうだいぶ昔のトラブルのことなのに、覚えていてくれて「あれどうなった?」と心配してくれた先輩に、ありがとう。
・しばらく会っていなかったのに、まるで昨日会ったかのように「こんにちは!」って笑顔で声をかけてくれた方に、ありがとう。
・今日僕と会って、話しかけてくれたあの人に、ありがとう。
・今日僕と会ってもいないのに、僕のことを頭の中に浮かばせて、何か考えてくれた誰かに、ありがとう。


実は毎日、ありがとう、と思えるタイミングはたくさんある。

でも日々の忙しさの中で見過ごしてしまう。
意識の外になってしまう。

でも今日一日を冷静になって振り返ってみると、実は必ずある。

もし今日やってみて
出てこなかったら
それはそれで自分自身に
◯をしてあげてほしい。
思い出せないくらい
今日を必死に生きたのだから。

また明日やってみてほしい。
それを繰り返してみてほしい。

そうすると
自分が支えられて生きていることに気付く。
自分を想って
動いてくれている人の存在に気付く。

それが心の中に余裕をつくる。

余裕が増えてくると
今まで生きてきた世界が
ちがう世界に見えてくる。


不登校に話題を戻す。

「学校に行かない選択をした子は社会に通用しない」
は、絶対にない。

あなたが通用する
あなたを受け入れる社会は
必ずある。

あなたが絶望している”この社会”ではなく
あなたがまだ出会えていない”あの社会”に。

そしてあなたはひとりじゃない。

あなたを想っている人は必ずいる。
あなたが存在するだけで
喜んでくれる人が必ずいる。

実はあなたのそばにいるかもしれない。
あなたの見えないところで
あなたを思って微笑んでいたり
心配していたりしているかもしれない。

僕からお願いです。
今あなたが生きている"社会"は
最悪なのかもしれない。
でもあなたの生きるその"社会"は
まだまだまだまだ狭い。

世界には80億人の人間がいる。
その全員があなたの敵になることは
ありえない。

少なくとも私はあなたの味方だ。

あなたの顔も名前も知らない。
それでもあなたを想う。
あなたの代わりに泣く。
あなたの代わりに叫ぶ。

ここからは大人のみなさんへ。
まだ29歳のこんな青くさい人間が書いた言葉がどこまで届くかはわかりませんが、書かせてください。

5.子どもに「消えたい」と思わせる社会を変えなければならない。それが僕らの責務。


僕ら大人は、こんな社会を後世に残してはいけない。
ほんの10年しか生きていない子ども達が、生きることを諦め、自ら命を絶つ社会を残してはいけない。

「学びたい」
「変わりたい」
「友達がほしい」

そんな願いを叶えてあげられないこの社会は、私たち大人の手で変えていかなければないない。

だから
失敗しないための方法を教えるのではなく
失敗したときに乗り越えるサポートをしてあげてほしいです。
そしてその失敗から生まれたデメリットが大き過ぎたら、肩代わりしてあげてほしいです。

成功体験と同じくらい、いやそれ以上に失敗する練習が子ども達には必要です。

大人が上からアドバイスするのではなく
子ども達の心の叫びを
引き出してあげてほしいです。

真っ先に怒鳴るのではなく
本人の気持ちや背景を聴いて
諭してあげてほしいです。

がんばることの大切さだけでなく
がんばらないことの大切さも
伝えてあげてほしいです。

結果を出したことを褒めるだけでなく
その頑張った過程を
褒めてあげてほしいです。

悩みや愚痴をめんどくさいと思わずに
寄り添ってあげてほしいです。


彼らは、大人の応援を求めています。
彼らは、自分を受け入れてくれる誰かを探しています。

大切な時間を使って、最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。


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