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高校生クリエイターが20歳で会社をつくるまで 【中編】

みなさんこんにちは。株式会社IDENCEの板谷です。

前編を公開したところ、全然連絡を取っていなかった小学校時代の友達や顔見知りではなかった高校の後輩をはじめ、予想以上に色んな方からリアクションをいただけてとても嬉しく思っています!

後編楽しみにしてます!という声を頂戴してしまったので、やる気の冷めないうちに頑張って更新します。(追記:下書きを始めてから1年以上経ってしまってました、すみません、、、)

さて、前編では中学校編まで書きました。
中編では主に高校時代について触れていこうと思います。



映像が人生の中心になった高校時代


文化祭でプロジェクションマッピングに挑戦してみる


中学からエスカレーター式に岡山県立岡山操山高等学校に進学しました。

高校入学で一番楽しみにしていたのは、文化祭「松柏祭」にめっちゃ関われる!ということ。中高一貫で中学生も同じ文化祭に参加できるとはいえ、運営しているのは高校生徒会中心だったので、ほんとに見ているだけという印象が強かった。

なので高校生になったら文化祭の映像は全部俺が乗っ取る!!と意気込んで入学しました。

2016年夏、文化祭シーズン到来。
細かなことは覚えてないのですが、中学から映像で目立ってきたお陰で、例年生徒会が作ってきたオープニングムービーを僕が作ることになっていました。勝手に乗っ取り成功です。

とはいえAeを自由に触れる技術レベルでは到底ありませんでした。内心かなり焦っていたことを覚えています。
これは今でも変わりませんが、当時からやんなきゃいけない状況を先に作って追い込むスタイルで勉強してきました。

授業が終わったら真っ先に帰宅して、毎日のようにYouTubeで文化祭のオープニング演出を漁りまくります。
そんな中で衝撃的な企画を見つけます。

高校の体育館でプロジェクションマッピングをしているではないか。
しかも恐るべきクオリティ。しかもコメントで質問したらめちゃ丁寧に答えてくださる。

これを俺もやるしかない・・・!!
すぐに奮闘の日々が始まりました。

全くワークフローがわからず、検索しても何もヒットしないので完全自己流で挑みます。

毎年文化祭で使っていた高校所有のプロジェクターはあまりに古かったので、家電マニアだから欠かさずチェックしていた、中学保有の無駄に5000lmあるプロジェクターを、仲の良かった先生に無理言って借りてきました。(まじでありがとうございました)


冒頭はスクリーン領域に収めて普通のOPムービーっぽく振る舞いつつ
スクリーン飛び出す!!(プロジェクターの最大領域)
初心者すぎてシェイプレイヤー自体をスケールさせてるので線の縦横比が汚い

で、プロジェクションマッピングをほぼワンマンで成功させました。
気温理由で先生に直前で暗幕開けられて明るすぎたし、解像度不足甚だしいし、マッピング精度甘々だし、全然雑魚なんですけど、でもあれは成功でした。今思い出しても気持ちいいくらいの歓声に包まれ、映像最高!!!って、更に制作にのめり込むきっかけを与えてくれた体験でした。


さんまさんに人生を変えられる

そしてマッピングを成功させた年が明けてすぐ、2017年お正月のこと。
たまたま「さんま・玉緒のお年玉 あんたの夢をかなえたろかSP」を家族と見てました。

番組最後に応募待ってるよーって出てきて、こういうの応募したことなかったんだけど、何故か行けるのでは?!という自信が湧いてきて、応募してみたんです。

当時応募した文章が残ってました。Appleメモ神だね。


謎の予感は的中、TBSのディレクターから電話がかかってきました。オンラインで一回ミーティングしたあと、直接話を聞きたいとのことで、なんと岡山まできてくれました。


懐かしいね
写真撮ってるところに突撃されるっていうあるあるシーンやらされた


プロと一緒にマッピング作りたい!
一緒にやれるならNAKEDがいい!
そんなことをしゃべりました。

この時はまだ夢が叶うかは決まってませんでした。
そして次、いよいよ東京に呼び出されます。


丸の内まだ工事中だ!皇居周りの景観、ほんと田舎者の憧れる東京像すぎて最高ですよね


残ってた写真これだけでした。東京行くこととか滅多にないし、1人で行くのなんてもちろん初めてだったので余裕もなくて当然です。
1人新幹線、ワクワクしたな〜

到着後すぐ面接があるとのことで、担当ディレクターとTBS本社へ向かいます。ほぼ行ったことのない東京。初めてのタクシーは丸の内の景観からスタートです。贅沢。

面接自体は30分くらいだったのかな。
やけに圧迫面接で、1人で東京頑張って出てきた高校生相手に何やってんだ?正気なのかこの人たち?とかイラついてたの鮮明に覚えてる。

ディレクターと一緒にいきなりステーキを食べて、当時は知らなかったTOCの説明を何故か受けながら赤坂を歩き、ホテルに帰って寝ました。半沢直樹見た。(この辺りめちゃくちゃ記憶鮮明で怖い)

翌朝、日曜日。
ディレクターから帰る前にちょっと時間ある?
せっかくだからNAKEDの展示見ていかない?開店前のチケット貰えたんだよね〜とのこと。

そんなことある?ちょっと期待してました。

開店前に入れてもらったTOKYO ART CITY by NAKED @ 東京ドームシティー


流石のNAKEDクオリティに感動しながら展示を眺めていると、急に誰かの声が。


わざわざ作ってくれてたのほんと嬉しかった


都庁を見てください!って言われてどれが都庁なのかわからないままキョロキョロしてたら「夢当選おめでとう!」って。粋すぎサプライズ。
えっ、小塚ゴシック?ってちょっと反射的に思っちゃってたのは内緒。


ネットで拝んだことしかなかったイケメン村松社長の登場。
ほんとすごい経験させてもらってるな。。


こうして今ではお馴染みの(後編に続くことを匂わせておきます)代々木上原NAKED本社へ行き、ちょっと喋って村松さんとLINE交換。えぐい。

突如非日常が幕を開けました。


※ちなみに上で書いた圧迫面接は、絶対落ちたと思わせるためにやってたと聞きました。割と受かったと思ってました。


東京で過ごした夏休み

大阪行ったり東京行ったり、色んなロケがあってほんとに刺激的な日々。
絵コンテを書き上げ、ついに制作期間に入ります。

東京に寮の一室を1ヶ月借りていただき、夏休み期間毎日NAKEDに通って制作するというワケワカ贅沢プログラムを用意していただきました。。。いい番組すぎる。

寮長いいじいちゃんだった
私のデスク
構成作家を交えた企画会議もありました
芸能人出演の実写素材も自分で撮りました(写真はニッチローさん)
にこるんの撮影は制作会社の方が。初めて見るFS7に興奮していた。
プリクラ撮るという企画。ファンに殺されそう。恥ずかしい。
プロジェクター借りにキヤノンいったり。
人生初のC4Dチャレンジ。
基本サンプルプロジェクトで教えてもらいつつ、実作業は自分でやらせてくれました。
自分の会社の名前出てるのにこの自由度でやらせてくれるの、かっこいいよね。


TBS経費でご飯食べたりお菓子買ったりしていいよって言われて、滅多に外食とかしたことなかった当時からすると天国で、それも超楽しかった。

ほんとに夢のような夏休みでした。



ついに迎えた松柏祭当日


ギリギリまで作業しつつもコンテンツが揃い、ついに本番前日。
深夜の学校で機材設置と投影調整を行います。

去年とは桁違いの機材たち
調整ってこうやってやるんだーーって面白かった。これも実作業大分やらせてくれた。


そして本番当日。いつもと違って体育館に冷房が効いてます。
みんなには完全サプライズで挑んだので、なんだか会場はそわそわ。

それにしても村松亮太郎イケメンすぎる


実際のマッピングはこちらでご覧いただけます。(局から許可貰ってます)


ということで、TBSやNAKEDの皆様のお力をお借りして、2年目も大成功に終わりました。

今振り返ってもとてつもない企画で、本当に頭が上がりません。ほんとに人生変えていただきました。大感謝です。



映像で生きていく


そんなこんなで大変貴重な経験をさせていただき、映像で食っていく!と決めました。

映像業界ってブラックなんでしょ?給料安くない?
ネットの情報から、映像業界を志す踏ん切りがついていませんでした。

でも番組OA後にTwitterをフォローいただいたクリエイターの方々の中に、フリーランスを名乗っている方が多くいらっしゃって。

なるほど、企画も構成も制作も全部自分でできるし、仕事も自分のペースで請けられる。これじゃん!と、フリーランス映像クリエイターを志す日々が始まりました。


実績作り

そうと決まれば仕事を請けるために必要なことを進めます。
当時の自分には、学園祭みたいな映像ばっかりで仕事っぽい実績が一つもなかったので、学校に来たゲスト講師の方に連絡を取って、映像を作らせてもらうなど、結構頑張って動きました。

なぜか埋め込めないので画像で失礼
https://x.com/yuhiitadani/status/991278053161558016?s=20


この時 yuhiitadani.com もOPENしました。(今は会社のHPにリダイレクトしちゃいます)



岡山イノベーションプロジェクト


SFCを受験したい気持ちも固まってきており、AOの足しになるかなとの思いから、CMで見かけた「岡山イノベーションスクール」に応募。

HPによると、「岡山、備後の地から次世代を担う実業家を発掘、育成するためのスクール」とのこと。

地銀である中国銀行や、山陽新聞社が主催で行っている結構大規模なプロジェクトでした。

運の良いことに口だけは達者なので、何の経営知識もイノベーションアイデアもなかったのですが、倍率10倍を超える中で何故か当選。

スクール、コンテストと進む中で、同じく参加していた地元中小企業の社長さんと仲良くなり、色々と仕事を頼んでもらえるようになりました。


https://x.com/yuhiitadani/status/1069855804499517440?s=20


ちなみに時効なので書きますが、母校はバイト禁止。
個人事業だからいいでしょという謎理論で勝手にやってました。幸い問題にされることはなく卒業逃亡できました。


そうこうしてるうちに新聞に取り上げていただけたりして。

結構大きく取り扱われてて嬉しかった思い出。
WEBもリニューアル頻繁にしたり、頑張ってた


そんなこんなでフリーランスビデオグラファー兼モーションデザイナーの端くれに仲間入りをすることとなったのです。

とはいえ英語の勉強だけはちゃんとやって慶應義塾大学SFCにも無事合格。

AOで総合政策学部に、一般で環境情報学部に合格して、一般で進学しました。一般じゃないと奨学金が受けれなかったので。個人的武勇伝です。


さあ、ついに上京です。
後編へ続く。


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