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エビデンスの無いもの、目に見えないもの

こんにちは!


さくらゆらこです。


医学部を卒業したのが19年前💦

研修医の後、
麻酔科医として17年間働いてきました。


専門医資格もちゃんと取得。

(※専門医、というのは、学会の定めた資格であり、受験資格を満たし筆記試験や実技試験や口頭試問を合格して初めて名乗れます✨長年やっているからと言って名乗れるものではありません🙏)


一度は産休や育休で条件を満たせず失効したものの、猛勉強して再取得しました。


しかしながら

臨床でどの程度それが活かせるか、というと

大きい声では言えませんが

とにかく臨床診療にコミットしていなければ

半分も活かせません。

机上の空論になり得るのです。


医療の現場においては

私が医者になったころにはすでに

エビデンスベイスドメディスン
(evidence based medicine)が
主流となっており

いかに信憑性の高い論文で根拠づけられているか、

といった基準で医療が選択されていました。


私も必死に最新の情報に目を光らせ

頑張っていましたが

ワーママ、臨床コミット、という条件下では

なかなか学術的な面はキャッチアップできません。


こんなんじゃ医者失格。

どんどん落ち込んでいきました。


でも、

ある時、私は気づきました。


私は目の前の患者さんをちゃんと見ている。

患者さんの変化に応じて迅速に適切な判断ができている。語弊を恐れずにいえば、それが全てではないか、ということに気づいたのです。


論文読めてない、

学会発表できてない…

そのことばかりに気を取られていました

そして落ち込み、自分をどんどん否定していきました。でも、臨床で必要な技術や実際に使う薬については、ぬかりなく学んでいたのです。


どれだけ「ない」ばかり見ていたのか、と

今になって思います。


もちろんぜんぶできれば最高です。

しかし

私には私の特徴があり

それは周りの皆さんも理解してくれていました。


学術的に長けた先生の中にはコミュニケーションがなかなか取りにくい方もいましたが、私はスタッフからはとても働きやすいと言ってもらえていました。


そういった面で

もっと正しく客観的に自分を評価する能力が

あれば働きやすかったと思います。


また、

もう一つ。


論文、エビデンス、というものの信憑性への疑問。

個体差、人種差、そういったものを配慮せず鵜呑みにする、自分の医療者としての感覚を無視してガイドライン絶対主義に走るひと、そういう事への違和感も感じ始めました。(様々な業界の力なども垣間見えたり)


医療従事者は

感覚をどこまで持ち出すか、

そこが難しい仕事です。


持ち出しすぎると、

辛くて耐えられない場面も多く、

感性や感情を遮断する癖がついている方も

多いのではないでしょうか。


しかし遮断しすぎると

エビデンスや最新の機械の言うなり、

にもなりかねません。


今現在わたしは、

最先端の現代西洋医療にコミットする

気持ちはほとんどなくなりました。


それは

感覚、感性を発揮できなくなってきている

と感じるからです。


エビデンスがなくても

良くなるものってあるよね。っていう領域。

そこにも医者として充分尊厳を与えるべきだと

考えるようになりました。


まだまだ

目に見えないもの

エビデンスのないもの

経験したことのないもの

より簡単なもの

よりシンプルなもの

で良くなることがあることを

認めたくないお医者さんが多いのはたしか。


私は

感覚、感性、を活かして

西洋医学でなくてはできないこと、と、

代替医療でできること、

をちゃんと嗅ぎ分けられる人になろうと

思って、勉強中です。


(麻酔科医は大好きな仕事です❤️)
(エネルギーワーク、ボディワーク、呼吸法など習得中)


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