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お豆腐メンタルの原因と解決案

お久しぶりです、唯です。
記事にアクセスいただき、ありがとうございます。

今回は、職場での出来事から気付いた
「お豆腐メンタル」についての自論を綴りたいと思います。

今回は長文になりますが、何かピンとくるものがあれば嬉しいです。




①職場での出来事

先日、職場で初対面の方に聞きたいことがあり話しかけたところ、相手方が
・話しかけても目を合わせない、体もこちらに向けない
・怒り口調で話す、威圧的な態度を取る
という出来事がありました。

具体的な状況説明は割愛しますが、
お客様をもてなす接客業として如何なものかという印象を受けました。

自分目線ではありますが
社会人になってから初対面でここまで態度が酷い方に出会ったことがなく、
正直びっくりしました。


②出来事から生まれた感情・根底にある考えの分析

時間が経つにつれて、一連の出来事にふつふつ怒りと悲しみが湧き上がり
後から思い出して目が腫れるほどしばらく泣いていました。

その時の私の感情は
・自分の尊厳を傷つけられて悲しい
・私、何も(悪いこと)してなくない?
・人として下に扱われた感覚になって悔しい
といったところです。

ちなみに、これまでの経験上
感情をしっかり感じ切って言語化することはかなり大事な工程だと感じています。

ここで色々ノートに書いて気付いたのですが、私は
・そもそも人は公平な立場である(在りたい)と思っている
・誰しも一人の人間としての人権があり、横の関係をすごく意識している
といった前提が自分の中にありました。

仕事に就いて1ヶ月足らずだったため、
仕事という立場上で下であることは承知の上ですが、
人としては同じ土俵・横の関係と認識していることもわかりました。


③お豆腐メンタルになった原因

ここまで読んでくださった方の中には、
「そこまで泣くほど引きずるほどの事なのか?」と感じる方も
いらっしゃるかもしれません。

私自身も、後から思い返せば「そこまでのこと…?」
と感じるかもしれないなと、思いました。

しかし、お豆腐メンタルだからこそ起こることなのです。
(お豆腐メンタルが良い悪いという話ではありません!)

一見大したことなさそうな言葉を言われて大泣きする、のような出来事は
私自身過去に何度もありました。

でも当の本人にとっては、「大したこと」なんですよね。

ひとつの出来事が「大したこと」になる原因は、
「他人軸(相手が正しい・誰かの意見に乗っかる)で生きてきた期間が長い」
ことにあります。

他人軸(他人に、自分の考えや意見・生き方などを委ねてきた人)であると、
他人の振る舞いや言動が正しいような感覚になったり、
目の前の人に依存するしかなくなる(例え嫌いな相手であっても)のです。

だからこそ、相手が自分に失礼な態度や酷い言動を取ってきたとしても、
「相手が正しい」状態になっているから大ダメージを喰らうことに
なってしまいます。

そして、たとえ自分が悪くなかったとしても、
自分が気に障ることをしたかもしれないとか、
自分のあの時の振る舞いが良くなかったかも…のような、
終わりなき自分のダメなところ探しが始まります。負のループです。

別の言い方をすると、
自分の価値を他人に委ねているからダメージを喰らうということです。
だからこそ「自分が悪いのかな?」という気持ちが
少しでもある状態だと思います。
自分の価値が周りの人によって左右されるものだと悩む原因になってしまいます。

相手が正しいと思うことや、相手の意見に乗っかることは、
自分で責任を取らなくて良いからラクなのです。

「言われたことをやっておけば良い」という考えも
「だって◯◯さんが言ったから」という言い訳ができるので、
自分は責任から逃れることができますよね。

自分自身や人生においても、同じことが言えるかと思います。


④負の感情の処理の仕方

一番理想的なのは、自分で自分の感情を消化できること。
泣く、紙に書く、クッションを殴る、など…。
衝動的な感情は長くは持続しないため、スッキリするまで行うと良いです。

また、このような場面で、自分のメンタルの弱さや情けなさを
責めたくなる方も居るかもしれません。

ここで責めても解決に向かわないので、出てきた感情に善悪付けずに
「自分ってまだまだメンタル弱いんだな〜」と認識する程度に
とどめておくと良さそうです。

人に話すなら、話し相手を選ぶこと。
話を聞いてもらうことは、とても良いことだと感じており
私自身も自分で消化するより聞いてもらった時のスッキリ感が高いなと
感じています。

話を聞いて、自分の気持ちに寄り添ってくれるだけ
なら効果的だと思うのですが、
味方になってくれる人には話さない方が良い場合があります。

相談相手から「相手が悪いよ」「あなたは悪くない」と言われた途端、
自分は悪くなかったんだという安心感や、優越感のようなものを
手に入れた感覚になりませんか?
味方が居たと気付いた途端、急に強くなった感覚に陥りませんか?

自分と自分以外の善悪や、正解不正解の判断を誰かに求めている限り
自分の価値を他人に委ねている「他人軸」のループから抜け出せないのです。

私は長い間このことに気付かず、優秀な自分やいい子ちゃんの自分を目指し、
親戚や大人たちを味方につけ、問題が起こる度に、
自分を肯定してもらっていました。

そのような大人が周りに居る間、自分は正しくて素晴らしい人で居られるけど、
居なくなったらまた味方を作らなければいけない。
いつまで経っても他人に依存している状態になってしまいます。

「あなたは悪くない」「あなたは正しい」と言ってもらえたときの安心感って
ものすごく大きくないでしょうか?
手軽に快感や安心が得られる、ドーピングのようなものだと
最近考えるようになりました。

これが良い悪いという話ではありません。
ただ、自分が他人軸を手放し、成長していく上で障害になると感じました。

だからこそ、話す相手を選ぶことはとても重要ですし、
最近益々カウンセラーが重宝されているのは
この辺りを踏まえた上で、クライアントが自立できるような話の聞き方や返し方ができるからなのかな?と、思いました。


⑤結論は自分で決めて、断固として貫く

出来事の事実を一つずつ分けて客観視し(慣れるまでは紙に書くのがオススメ)、
それを元に様々な可能性を考えて判断していく作業を行っていきます。

例えば今回の例ですと、
「怒り口調だった」というのも怒り口調と感じたのは自分なので
事実かどうかという部分ではグレーですが…。
・目を合わされない
・こんな言葉をかけられた
などが事実になるので

それを元に、
自分は初対面で話しかけ、一言目の時点で怒っている様子だったとすると
自分の身なりや振る舞い・話し掛け方に問題がないのなら
そこまでの範囲では『絶対自分は悪くない!』という強い信念を持って貫く、
のようなことが必要だと思います。

人に指摘されたことを直さない頑固さではなく、あらゆる事実や経験から判断した自分の信念を貫く頑固さ、みたいなものです。
表現が難しいのですが、伝わりますでしょうか…?


⑥全体を通しての視点の違い

嫌なことを言われたり、バカにされたりして、感情的になっている時、
自分と相手の関係は、同じ東京タワーの違う階に居るイメージ。

バカにされたと感じた時は
相手が上の階から下の階の自分を見下ろされている感覚になり、
悔しくて自分が優位(上階)に立つために、
必死で相手の非を探し出したりすることもあるかもしれません。
(私はそうです!笑)

相手に見下されている感覚
(ダメージを喰らった時)
悔しくて相手を蹴落とそうとしている時

この時点ではまだ自分と相手は同じタワーで高さを競い合っている状態ですが、

感情の消化や処理が済んで、物事を客観的に見ることが出来、
『ああ、あの人も大変なんだな』『何かイライラすることがあったんだな』
と思えるようになれば、
自分と相手は海に浮かぶ別の島という視点で見ている状態だなと、思いました。
(自分と相手の境界線ができている状態)

一連の出来事を事実として捉えられるようになった時
(自分と相手の境界線がある状態)


⑦メンタルが強い人⇔弱い人の違い

最近気付いたことは、
メンタルの強い人は落ち込まないというよりかは、メンタルの弱い人と同じように
「ダメージを喰らう→感情の処理→出来事の客観視→解決策やこれからどうしていくか等」
というサイクルは同じであるけれど、
『ダメージを喰らう→感情の処理』の部分が短いということです。

これまでの人生での困難を、
自分で解決するしかないという覚悟と責任感を持って乗り越えてきたからこそ、
処理スピードが早くなり成熟していくのかなと思いました。

そういう私自身も、ものすごく落ち込みやすく他人軸なので、
感情に振り回されてばかりです(笑)

ですが、自分で選ぶことやその選択を選んだ覚悟を
少しずつ持つようにしていくことで、数年前より落ち込んだ後の
回復スピードが早くなったと感じています。

私自身まだまだ伸びしろだらけですが、
メンタルの弱さに悩んでいて強くなりたいと考えている方
私と一緒に少しずつ頑張りませんか?

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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