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眠っていなかったけれど、28歳の私も少女のままだ。

12月もあっという間に月末。つまりは年の瀬。秋ドラマも殆どゴールを迎えました。

以前、「2020秋ドラマのイケメンの内、無人島に一人だけ連れて行くなら?」という記事で、3作品のレビューを書きました。が、最終回を迎えての全体の感想を徒然なるままに綴らせて頂きます。

それでは、最終回を迎えた順番に書いて行きましょう。

まず、日本テレビ土曜10時の『35歳の少女』。私が全話視聴した3作の中では、最も上手く綺麗に収まっていました。いや、格好付けた。いちばん好き、でした。

「ここじゃないどこか」を、私は懸命に探している。

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最初に、竜星涼演じる達也に触れておきたい。

達也は、主人公・望美(柴咲コウ)の父(田中哲司)の再婚相手(富田靖子)の連れ子。文字面だけだと複雑になってしまったので、相関図を以下に貼付します。

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新卒で入社した会社でいじめ?に遭ってから自己都合退職し、現在引きこもり中、という役柄。

その彼の、「やりたくないことはすぐ分かるのに、本当にやりたいことは分からないんだ。いつまで経っても」の台詞を、私はきっと忘れることが出来ない。

今のままじゃ駄目だって、ただ甘えてるだけだって、とっとと腰を上げて行動に移さなくちゃいけないんだって、わかってる。誰に言われなくとも、自分が、一番わかってる。だから、変えたい。変わりたい。でも、どうしたら良いのかわからない。どの道に進んだら良いかわからない。これかも、って思っても、やっぱり違う、できない、やめたい。こんな自分じゃ、この先何にも出来る気がしないし、でも、本当はポテンシャルはあるはずだから何だって出来るかもしれなくて。どれもやりたい様で、どんなこともやりたくない気もするし。ここじゃないどこかへ行きたいのに、どこかが全然見えない。 みたいな。

いつまでも親の脛かじって、とことん楽して生きてやろうぜ、いえい!という甘いぬるい考えの下、彼はニートを続けている訳ではない。そのことは、「絆」「誠」「感謝」「HELP ME」「一発逆転」「愛」「生きる」といった、外国人しか絶対に着ていなさそうな、浅草で売っていそうな達也のTシャツや、壁一面の「資格試験まであと10日!」といった貼り紙の数々にも表れている。もうね、壁に「人生とは?」って書いちゃってるからね。黒澤明の世界観。

無職で引きこもりでネガティブで自分という人間に価値を感じられない達也に、私は心底共感してしまった。自分そのものを見ているかの様だったから。達也もきっと、色々なことに意味を見出そうとしてしまう人間。だから、簡単に進めない。一つ一つ、自分を納得させないと続けられないし、自分に価値を見出せないと前進が叶わない。

でも、彼は私と違って、そんな自分のむしゃくしゃやモヤモヤを、体当たりでぶつけていた。身体いっぱいで足搔いて藻掻いていた。

そんな彼だから、周囲は受け容れようと努力したのだろうし、皆で乗り越えられた。そう、達也よ、君はまだ25歳。たった、25歳。自分を責めることを止めて、自分を許して良いんだよ。どんな自分でも、そのままのあなたを愛してくれる人が、少なくとも2人、お父さんとお母さんが、この地球上に居る。それで十分だ。十二分だ。

ニート?引きこもり?万々歳。そんな経験値を積んでいる人間の方が希少なのだ。希少ということは、それだけで価値があるんだ。そして何より、どん底から這い上がった人間は、困難を乗り越えた人間は、強い。弱さを知っている人間こそ、強い。胸を張って力強く歩いてくれ。うん。

子どもが子どもとして過ごすこと、それが子どもを大人にさせる。

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テレビドラマとしては辛辣過ぎるレベルで多くの困難が降り注ぎ、余りにも報われない状況に追い込まれていた今作のキャラクター達。しかし、25歳の彼が再スタートを切った様に、登場人物のそれぞれが再び歩き始めるたところで、物語は幕を閉じました。

世知辛い世の中で、窮屈な家族という枠の中で、本音でぶつかり合う姿や真正面から衝突する姿は、もはや潔く、美しく、羨ましい場面の連続でした。ドラマって、日常の投影であるかの様に見えて、やっぱり日常とは大きくかけ離れている。こんなに衝突しないもん。出来ないもん。だから、人々はテレビを点ける。ドラマを見る。ブラウン管の中で(今はブラウン管じゃないか)、正直にありのままを晒してわかり合える彼らを見たいから。私達が出来ない分、大声で怒鳴って、わめいて、じたばたしてくれるから。私も、そんな彼らを、愛おしく、頼もしく、誇らしく感じてしまうのです。

今作、望美は10歳で事故に遭って35歳になって目覚める訳だけれど、「子ども時代に子どもとして過ごすこと」の重要性も示唆していた。

望美の妹・愛美は、7歳の時に両親を奪われ(両親は植物状態の望美の看病に付きっ切りになってしまったという意味で)、子どもとして過ごす時間を与えられずに大人になったはずだ。

親に褒められ、認められ、わがままを言い、迷惑を掛け、叱られ、膝を突き合わせて向き合って、腹を割って話して、一緒に泣いて、笑って。そんな時間を親と共にわかち合うことで、子どもはいつしか大人になれる。

でも、愛美はそうじゃなかった。

彼女の様に、兄妹に病弱児が居る子どものことを「きょうだい児」と呼ぶ。病弱児だけでなく、障がい児が居る兄妹の場合も同様だ(そして、私は兄がダウン症者である「きょうだい」だ)。一概には言えないが、彼らは両親の愛を十分に受けられなかったり、逆に兄弟の分まで一身に期待を背負わされたり、何かと生き辛さを抱えていることが大半だ。

年齢的には成人を迎えて大人になろうが、子どもはいつだって、親を求めている。そしてそれは、恐らく愛美だけではない。望美も、達也も、結人も、進次や加奈や多恵だって、ママやパパに認めて欲しくて、「がんばったね」って「すごいね」って言って欲しくて、ぎゅって抱き締めて欲しいに違いない。でも、そうして貰える程の自分になれていなくて、ママやパパの期待に全然応えられていなくて、そんな自分が嫌でたまらなくて。幾つになっても、皆そんなものなんじゃないかな。少なくとも、私はそうです。

でも、子どもが求めていることは、きっと親が求めていることとイコールでもあって。大人になって、そんなことを欲しがるなんて子どもっぽい、なんて思わずに、たまには親に素直になってみても良いかもしれない(それに気が付いたタイミングでは、時すでに遅し、となることも多いかもしれないが)。親にとっては、幾つになっても子どもは子どもなのだから。

そうだ。私達は、幾つになっても、チャンスを持っている。人は、幾つになっても、変わることが出来る。

そうして私が前に進むことは、もしかしたら、両親や周りの人間を肯定することでもあるかもしれない。自分を許すことは、人の前進とは、互いを肯定し合う営みなのかもしれない。あなたが居たから、私はまた歩くことが出来るよ、というメッセージかもしれない。

その点で、このドラマは互いへの肯定が満ちていたとも言えるし、強い希望を投げ掛けてくれたのが『35歳の少女』だったのではなかろうか。

それと、いつの時代も、家族で食卓を囲む光景は、幸せの象徴だね。奇跡だね。

幼馴染には、私が好きだった、あの頃のままでいて欲しい。

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ちなみに、ミーハーの私は、作中でしばしば引用される、児童文学の名著、ミヒャエル・エンデ『モモ』を有隣堂で購入して、ちまちまと読み進めていました。小学2年生の当時、途中まで読み進めたけれど、結局途中で挫折した、あの『モモ』に、20年振りにリベンジした訳です。

読んでみると分かるのだけれど、この話、モモのストーリーを結構忠実に追っている。望美の、人の話を聞く才能はモモの才能でもあるし、モモを導くカメ・カシオペイアは、カメのぬいぐるみ・デデとなって彼女を支える。生まれながらに主役で、いつでも人を惹き付けるモモ、そして望美は、常に太陽の様に人々の中心に構え、彼らを照らしながらも、前半は周囲の人間の世話を焼き、振り回され翻弄されるが、後半になって自らの幸せを追求して行く。そんな構成まで踏襲している。

そして、モモの親友・ジジをモデルにしたであろうキャラクターが、前回の記事で散々褒めちぎった結人くんこと坂口健太郎だ。

望美と結人くんの関係性は、モモとジジのそれそのものだ。互いの素敵なところ・魅力を誰よりも理解していて、だから、好きな人には輝いていて欲しくて。私達は、夢を見付け、目標を追うけれど、その過程でいつしか目的が方法や手段となってしまうことがある。そうして時間を擦り減らしてしまう。それに気付かせてくれるのがモモであり、望美であり。2人が互いに好きな自分で居る為には、相手を活き活きと輝かせる為には、まず自分がなりたい自分にならなくちゃ、自立してからね、みたいな決断もそっくりで。

モモに登場するジジもイケメンだが(ジジが、自分とモモが登場する空想の話によって想いを伝え励ます(というか、これはきっとプロポーズ)という格好良さ)、結人くんも最後まで抜群でした。「大丈夫。お前なら出来る。望美がやるべきだ」って、あんなに真っ直ぐな瞳で、長身の背中を丸めた同じ目線で、言われてみたい。

同級生を演じていた柴咲コウと坂口健太郎だが、実際の年の差はなんと10歳(柴咲39歳/坂口29歳)。頼り甲斐のある結人くんだったけれど、年下っぽさがいつも滲んでもいて、そこがまた彼の甘さを引き立てていたなあ(うっとり)。

それにしても、幼馴染って、破壊力が半端ない。『名探偵コナン』と『金田一少年の事件簿』を見て育った私は、高校2年生になったら、幼馴染と相思相愛の仲になると信じて疑わなかった。なのに、いざ高2になったら、「男の為に金と時間を使うなんて勿体ない。私は一生彼氏も作らないで結婚もしないで孤独死する」と言って、同級生と3人でルームシェア同盟を組んだ。

それはさておき、幼馴染とはとうの昔に疎遠になった28歳の今でさえ、幼馴染との恋路に憧れを抱いて未練と後悔を消せない私。だって、何者でもなかった、ありのままの私を知ってくれているんだよ。私も彼のこと、ぜーんぶ知っているんだよ。どんな時も、私達、一緒にいたんだよ。

妄想が過ぎました。兎にも角にも、私が子どもを産んだ暁には、隣の隣くらいに住んでいる同級生の子と家族ぐるみの付き合いを続け、友達以上恋人未満(何だか久々に言ったワード)、でもいざという時には命懸けで守ってくれる、結人くんの様なジジの様なお友達を、作為的に用意したいと考えています。

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結びが『モモ』の感想に近くなってしまうけれど、私達が骨を折らなくとも、時間は勝手に流れてゆく。だから、意識的にならないと、時間は無駄に過ぎてしまう。灰色に思える時間がどんどん蓄積されてしまう。

でも、きっと、時間の長短はあれど、どんな時間も必ず報われる。無為に過ごした時間も、足掻いてもがいた先に、いつか取り戻せる。それは思い描いていた形とは違ったとしても、私達は最善に向かって進んでいるはずだ。

私より一足先に大人になった望美。私も年相応の28歳になりたいものです。

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