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離婚して自分の人生を生きていく②



第二章 別居後の生活

別居直後

突然の子連れ別居生活が始まった。家を出た当日は、ソウとソウの両親からの着信が凄かった。ソウとはもちろん、ソウの両親とも話す気になれず、申し訳ないとは思ったが、自分のメンタルを守るためブロックした。着信が無くなり、やっと落ち着いて休める。今後のこともどうするか、少し落ち着いて考えることができた。

実家の両親には、なんとなく心配かけたくなくて頼る気にならず、なんとか自分でやって行ける方法を考えた結果、しばらく単身者用の狭いウィークリーマンションを借りて生活することにした。契約手順は本当に簡単で、身分証明をメールで添付し送付するくらいですぐに借りることができた。ちょうど月末だったので、翌月1日から空きがありすぐに入居でき、タイミングも良かったのかもしれない。

保育園のこと

子どもの保育園にも職場にも自転車で通える範囲で家探しをしたので、ソウの住んでいる自宅にも当然自転車圏内である。ソウのいない日中に自宅へ行き、自転車で荷物を運び出していた。ソウに会わないかビクビクしながら、泥棒ってこんな感じなのかな、悪いことしてないのにな、とか思いながら。

また、もしもソウが子どもを保育園に迎えに行って連れ去ってしまったら、という心配があったので、勇気を出して園長先生に相談しに行った。子どものお迎えの引き渡しを、私以外の人にはしないでもらいたいというお願いをしたかっただけなのに、結果的には特例で保育園のお迎え時間なども協力してもらえたし、子どもの状態を細かく伝えて教えてもらえたり、先生方にはすごく支えてもらった。

本当に困っていることを誠実に伝えれば、助けてくれる人たちは居るものだ。そんな当たり前のことをすっかり忘れていた。結婚生活の中で大切だと思ってた人に裏切られ続けていた結果、あまり他人を信用できなくなっていたのかもしれない。

婚姻費用分担請求と転職

さて、ひとまずは自分が数年前に正社員を退職した時の退職金はあるものの、今のパート勤めのままだと経済的に破綻してしまう。もう一度正社員に戻るために転職活動を考えていた。
もう一つは、相談していた人たちから教えてもらっていた、婚姻費用分担請求の調停を申し立ててみよう、ということだった。お金の使い方に問題があるソウから、婚姻費用が支払われるかは不確実だったが、裁判所で取り決めておけば、給料の差し押さえができるので、使ってしまう前にもらえる可能性があるのだ。

婚姻費用分担請求
別居中の夫婦の間で,夫婦や未成熟子の生活費などの婚姻生活を維持するために必要な一切の費用(婚姻費用)の分担について,当事者間の話合いがまとまらない場合や話合いができない場合には,家庭裁判所にこれを定める調停又は審判の申立てをすることができます。

裁判所

婚姻費用分担請求(=コンピ)は別居しても申し立てた時からじゃないと請求ができないので、別居したらなる早で申し立てる必要があるという。

当人同士で金額を決めて話し合えれば、わざわざ裁判所で調停する必要はないのだが、ソウと私の場合は、まともにお金の話ができたことはなかったので、迷わず調停に踏み切った。手続きは申し立て書類に必要事項を記入し戸籍謄本を添付する。申し立てに印紙代や連絡用切手代など費用がかかるが、総額で2000円くらいだった。

弁護士に依頼する人もいるとは思うが、調停は自分で申し立てる人も多い。私は初めてのことで分からなかったので、裁判所の中で教えてもらいながら書類を記入した。すごく難しいことをしているイメージだったが、役所で必要書類を提出するみたいなノリで淡々と申し立ては進んだ。

調停は一ヶ月から一ヶ月半ごとに1回のペースでしか進まない。お互いの折り合いがつかなければ、なかなか決まらない。婚姻費用が決まったのも、確か5.6回調停をやったと思うので、調書といった正式な文書ができるのに半年ぐらいかかった。

調停を申し立てた翌月には、無事正社員ので転職先も決まり、子どもが年長になる数ヶ月前には新しい職場で働くことが決まった。そのタイミングでウィークリーマンションから引っ越すために、家探しを開始した。

調停で婚姻費用の金額を決める他に子どもとの面会交流について決めていくことになった。ソウは子どもに執着しており、子どもに会うために必死で要求してきていた。子どももパパに会いたいと話していたことから、月に1回は面会交流できるように、あまり遠くには引っ越さず、同じ自治体内で家を探すことになった。

家探し

まだ転職先が決まった段階の収入は見込み額という状態で家探しをした。しかも子どもを連れて。別居シングルマザーの家探しの現実は厳しい。離婚できていないので公的な支援はゼロ、婚姻費用も支払ってもらえるか不確定。実際に取り合ってもらえなかった不動産屋もあったし、紹介できる物件があったら連絡してもらうという約束をしても連絡はなかった。

それでも、たまたま入った不動産屋で出会った方に条件を丁寧に聞き取ってもらえ、紹介してもらえる物件が見つかった。こんな状況でも、諦めなければ力になってくれる人はいるものだ。
古かったけど、当時の私たち親子が住むには十分だった。希望していた駐輪スペースもあり、駅からすぐ近くで住みやすい所だった。しかも家賃もほぼ希望通り。もちろん、そこに住むことに即決した。

引っ越し

約二ヶ月半住んでいた18平米のウィークリーマンションに別れを告げ、新居に引っ越した。前回同様自転車で。ただ、今回からは家電を揃えないといけなかった。ここに住むのもいつまでかは分からなかったので、とりあえず動く家電でいいやと思って、ほとんどをリサイクルショップで揃えた。

新しい家に子どもも喜んでいたし、自分の好きなように家具も揃えることができたのは、単純に楽しかった。ソウのこだわりにいちいち合わせる必要がないことの気楽さ、相談する必要が無く全て自分が自由に決めていいという状況が、すごく心地良かった。この時、別居して良かったと心から思えたし、ソウと別居してから数ヶ月だったけど、間違いなく同居していた時よりも幸せだと感じていた。


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