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数字は強力だけれど、数字で測れない大切なものにどれだけ気付けるか

 街中で公園が潰されて商業施設ができたり、
子供達の秘密基地になっていた空き地が駐車場になったりと、そういった経済的価値の無い(お金を生み出していない)場所を、経済的価値のあるものへと変える事がよくある。都会だと特に、そういうこともしながら経済発展してきたんだと思う。
 僕は島育ちだから、高校卒業後に都会に出てきて思ったのは「お金がないと遊べない」ということ。何して遊ぶ?=何にお金を使う?ということになっていた。しかし、今でも実家に帰ると、お金を使う時は文字通り買い物をする時のみで、お金を使わずに遊ぶことなど山ほどある。
 それができる大きな要因の一つは、自由に使える土地やスペースがたくさんあることだと思う。
 養老孟司さんの『わかるということ』という本が大変面白かったのだが、その本に書かれていたことで印象的だったのが、"都会では、経済的価値の無いものは価値がないという認識がある"的なことが書かれてあり、例えばドラえもんのアニメに出てきるのび太達がよく遊ぶ"空き地"。あそこには植物もあるし、虫もいる。そしてそこで日々遊んでいる子供達もいる。しかし都会ではそれらには価値がない。つまり植物や虫はもちろん子供ですら価値がない。という認識は、確かにそうだしこれは大変だと思った。
 "子供に価値がないなんてあり得ない。"みんなほとんどそういうと思うが、子供は数字には表せないが価値があるというのはとても分かりやすいので、良いけれど、雑草や虫はどうか。これらの生き物も確実にそこにいて、生活していたはず。それらを考慮して、仮に誰かが「あの空き地を駐車場にするのは止めましょう。」と言った時に、周りの人たちはどれだけ納得、または賛同してくれるだろうか?きっと多くないだろうと思う。
 全然角度は変わるけれど、例えば会社のメンバーの中で、売り上げ成績はトップじゃないが、あの人がもしいなかったら、他のメンバーみんな今頃辞めてるよね。というような大事な人もいる。だけど、それって、そこの価値って数字が出来ないし、その価値に気付ける人と気付けない人と分かれると思う。
 今日は、そういうあらゆるものの領域で、数字化されていないものや人やコトの確実に存在する価値にたくさん気付いていきたい!という宣言でした。

 

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