今現在モーションデザインをやっている私の半生①
もしかしたら参考になる人がいるかもしれない、ということと個人的に振り返り、そして今後の参考になればと思い。
人生振り返り。前に受けたビジネスプランを考えるセミナーでもこういうのやった記憶が…
小学生~中学校時代
コロコロを読み、ファミコンをしつつ、ミニ四駆にはまるというよくいる感じの小学生。
学校に行くよりも家の時間のほうが好きだった。
地方に住んでたのでファミコン大会、ミニ四駆大会に出たいが出れないというもどかしさを感じていた。
小5くらいから戦車のプラモ作りにはまる。模型店に足しげく通うようになる。
中学になると、英語に目覚める。
また同時期にアニメにはまる、というか2次元にはまる。
勉強はアニメを見ながらやっていた。
高校時代
本格的に2次元にのめりこんでいく。
マクロス7という人生を変える作品に会う。
吹奏楽部の友人たちがみなそんな感じだったのでとても楽しかった。
しかも男子校っていうところが色々と拗らせてしまったらしい。
漠然と英語関係の仕事をしたかったので、海外に進学したかったが、親の許可など得られず、大学受験にも失敗し暗黒時代へ突入する…
浪人時代
あまり思い出したくないんだが、家を出て予備校の寮に入り1年過ごすが、今思うと完全なうつ状態になり、何もできず1年を終える。
東京の英語の専門学校に進学する。
専門時代、そしてアメリカへ
英語の専門学校に入ったけど、うつ状態をひっぱってたため学校を休みがちになる。
付き合った子にも振られ、落ち込む(笑)
しかしこのままではもう人生終わるとさすがに思ったのか、親に頼み込んで日本のCG専門学校のアメリカ校へ進学。
当時は3DCGが流行ってきたところで波に乗ろうかと思った(笑)
LA時代
1年の留学期間で3DCGを学んだ。
日本人がいない世界があるんだと思った。
日本人ってマイノリティなんだなと感じた。
東洋人はみんな中国人って思われるんだなってことを学んだ。
むしろアメリカなんかよく分からない人の集まりなんで、自分の立ち位置は分かっていても、自分が何人とか気にする必要ないんだなと思った。
英語なんてさらっと話せれば、いやむしろ話せなくてもなんとかなるということを学んだ。
メキシカンとかもう何言ってるか分からないけど普通に生活してるし(笑)
そして1年たち、スパイラルパーマにしたアメリカかぶれの青年が帰国する。
3DCGはそんなに勉強してなかった(笑)
アルバイト~派遣時代
そんな状態で日本に帰ってきたところで華々しく3DCGの職につけることはなく、当時流行ってきたFlashが作れる仕事を探して当時住んでたところの近くで募集してた小さなWEB制作事務所にアルバイトでもぐりこむ。
このとき習得したちょっとしたプログラム技術とFlashのアニメーションの作り方は今の今まで生かされている。
そんな感じでFlash作れる職場や普通にWEB制作の職場を転々としつつ10年ほど。
WEBデザイン、教育コンテンツオーサリング、Flashアニメーション、ウェブ向けのゲーム、3DCGとFlashを組み合わせたコンテンツなど作った。
転々としてたとはいえ、作るものは作っていたし、Flashから離れることもなくなんとかやってきた感じで。
大手キャリア内製担当時代
そんなこんなで大手の携帯キャリアさんへの派遣を紹介され、迷った挙句にとりあえず行ってみるかと。
周りはスーツ着たサラリーマン、制作自分ひとりという絶対なじめなさそうな環境で「あーこれはもたないな」と思いつつ、4年ほど働かせて頂くことに。
基本的には携帯のメニュー画面や待ち受けなどの制作、またバナー制作などのちょっとした業務も日々行っていました。
とても大事な時間を過ごさせて頂いた。
ある日、休憩でもしようかとビルのエレベーターに乗ろうと下へ行くボタンを押したときにビルが揺れだした。
東日本大震災が起きた。
その後1年ほど勤務したが、どうしても地元が気になるということでなんのプランもないまま地元に戻ることにした。
当時は30代前半。
どうなる俺の人生。
続く…
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