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いつ終わるかわからない人生を、誰かの為に生きてみる。

「マラソン?いや、一生やらん。何が悲しくて何時間も自ら苦しみに行かなあかんねん。走る意味がわからん。」

これが一年前までの自分だ。
マラソンをやりたいと思ったことはこれまで一度も無い。
少なくとも一年前までは。

2020年2月現在。
チャリティランナーとして3月1日に開催される東京マラソン2020に出場することになっている。

寄付先団体はフローレンス。

何がどうなってそうなったのか、説明したい。

その前に簡単に自己紹介をさせて欲しい。

大阪生まれ大阪育ちの32歳。
学生時代は、野球、テニスを経験して来たが、長距離は10km以上走ったことがない。極度の飽き性な性格からも長距離向きではない。もちろん長距離走は大嫌いだ。長距離走るぐらいなら本読んだり、youtubeでお笑い動画100本見たほうが100倍良いと信じていた。
大学卒業後、大手企業に就職するも6年半で退職。念願だった世界一周の夢を叶え、カナダ、神戸と移り住み、職も変えて、現在東京で働いている。社会人になってから特に運動はせずに飲み会に明け暮れ続けているどこにでもいる32歳。人生も走力も完全にスプリンタータイプである。

そんな人間が、なぜチャリティランナーとして、マラソンに出場することになったのか、書きたい。

やりたいこともやらない、そんなくだらない生き方なんざ捨ててしまえ

一年以上前、大阪の梅田にて、ランニングの悪魔に魂を売った起業家と食事をしている際にマラソンに誘われた。
冗談半分での誘いだったであろう。でもここで「じゃあ走ります」とノリで答えてしまったらSNSに拡散されて走ることにされてしまうので、普段良く喋る口をその日ばかりは大人しくさせることに集中していた。結果、お酒の勢いと起業家の口ぶりに乗せられて、「マラソン走ります!」と約束をした。ただ、心のどこかで「ただただしんどいだけのマラソンを走る意味がわからん」と斜に構えていた。

その数ヶ月後、友人達が何人もフルマラソンに挑戦していることをTwitterで知った。彼らはそれぞれ走る意味を持って走っていた。

少し話はそれる。

人生でやりたいことリストなるものを誰しもが作ったことはあるのではないだろうか。
自分もそのうちの一人で、「世界一周」「世界中に友達を作る」「海外駐在」「富士山登頂」「M−1の舞台に立つ」など小さい頃から抱く夢や憧れも含めて、いくつか叶えたこともあるし、まだ叶えていないこともある。ちなみに富士山登頂はまだである。今年は忙しいのでどうか誘わないでいただきたい。
フルマラソン完走は、そんなやりたいことリストの下の下の下のまた下の方にあるぐらいの願望だった。

思えば、20代後半まで、受け身に人生を消化して来た。

周りが目指すように大学に行き、周りが目指すように就職活動をして、周りが目指すような大企業キャリアのレールに乗っていた。
転機は28歳。
安定を捨てて、次の就職先も決めずに世界一周の旅に飛び出した。周囲のリアクションを見て、大きな決断をしたんだなと実感した。
これまで人生に対して保守的だったが、一歩踏み出してみると、また一歩一歩と踏み出せるようになった。主体的に人生を創る。歯車が動き出した感覚。
カナダで就職したり、日本に帰国して、時給1000円で働いていたこともある。昨年転職をして、30歳超えて、初めての東京暮らし。
周りからは落ち着かない人間に見えるだろう。自分でもそう思う。
でもその向こう見ずな生き方の根底には、これまで経験して来た「死」が関係している。昨日まで側にいた人を失うことの辛さは痛いほど身に染みてわかっている。それは大好きな人達の死に社会人になって直面したことも関係しているし、阪神淡路含めて二度被災した経験も関係しているだろう。いつ病気になって、火事に遭って、車に轢かれて、テロにあって、飛行機事故にあって、この世からいなくなるかはわからない。

だったらもういっそのこと、死ぬように生きるだけ

「やりたいことにチャレンジしないそんなくだらない生き方するな」と先立った大好きな人達から言われないように生きるようになった。

話を戻す。
マラソンは、やる意味がわからないけど、やってみたいと実はずっと思って来た。
ただただ、フルマラソン走った経験はおもろいという理由だけで。
フルマラソン走るなら体力的に若い方が良い。出来るだけ早くチャレンジしたい。2020年は東京にとって日本にとってメモリアルイヤーでもある。深く自分の記憶に刻むためにも2020年に走ろう。そんな想いが芽生えた。
でも、想いが芽生えたとて、想うのとやるのは別問題。
マラソンに応募するほどのモチベーションは無かった。

「何の為に走るのか」

自分の為に走ろうと思うにもそのモチベーションは一瞬で消え、隠れる。
自分の為だけじゃ走れない。
じゃあ何の為なら走れるんだろうか。
そんな漠然とした問いを持っていると、ふと友人達がチャリティランナーとして東京マラソンに参戦していたことを思い出した。

自分の為だけでなく、誰かの為に走る。

これなら大嫌いな長距離を走れるのではないか。
自分のことだけ考えて生きて来た自分が、誰かの為に自分が嫌なことを頑張れるなら何か見える世界があるんじゃないか。

それに気づいた時には、どの団体に寄付するかはもう決まっていた。

フローレンスだ。

病弱だった幼少期

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今でこそ健康体で各国を飛び回っているが、小さい頃は病気がちだった。皆さんの周りに月に一回は学校を休むクラスメイトが周りにいなかっただろうか。それが私である。母親は専業主婦だったので、よくよく面倒を見てくれていた。そんな母でも時にどうしても外せない予定があり、そんな時に看病してくれたのが近所のおばちゃん達だった。当時の自分は、大人が他所の子供の看病をすることがどれだけありがたいことかもちろん理解していない。でも誰かが側にいることに安心して眠っていた記憶はある。
病弱だった自分も野球を始めたことで、体力がつき、病気をすることも減っていった。それでも時に怪我をしたり、風邪を引いた時は母親が看病をしてくれた。それは常に母親が家にいる環境だったからこそだと気づいたのは20代になってからだ。
前職のメーカーを退職して、世界一周をしていた2017年に、日本には社会課題に取り組む社会起業家という人がいるらしいことをgoogle先生がタイのボロ宿で教えてくれた。
そんな時に、認定NPO法人フローレンスのことを知った。

フローレンスは、「親子の笑顔をさまたげる社会問題を解決する」をミッションに活動する、社会問題を解決する日本でも類を見ない唯一無二の団体。
恥ずかしながら、フローレンスの活動を見て、初めて「病児保育問題」の存在を知った。

[フローレンスHPから抜粋]
子どもが37.5度以上の熱を出すと、保育園では預かってもらえません。働く親は仕事を休まざるを得ず、子育てと仕事の両立を阻む大きな壁となっています。
「子どもが熱を出して保育園に行けず、会社を休んで看病したら、クビになった」

この文章を読んだ時に初めてどれだけ自分が恵まれた環境で育って来たのか自覚すると同時に、衝撃を受けた。

父親が大きな病気をした時があったけど、もし命を落として、母親だけになっていたら、母親は働かざるをえなかっただろう。そうなっていたら病気がちの自分はどうやって育っていたのだろうか。そもそも自分は生きていたのだろうか。母親は会社を休んでクビになっていたのだろうか。
近所のおばちゃん達が見てくれるコミュニティが25年前には自分の地元にはあった。でももし現代だったとしたら、近所のつながりもない中で、子供の頃の自分はひとりで布団の中で苦しんでいたのだろうか。

病欠しまくっていた自分には想像が全くできない世界。

当たり前のものがそこには無い世界が現実にあることを恥ずかしながら初めて知った。

その時からそんな活動を推進するフローレンスを心から応援したいと思っていた。

子供は太陽だ。
貧困地域に幾度となく足を踏み入れて来たが、子供達がその場にいるだけで眩しく輝く。
間違いなく、宝物だ。
そんな宝物と、宝物を大切に育てる親を支えるフローレンス。

病児保育だけでなく、障害児保育事業やこども宅食事業など多岐に渡る事業を展開するフローレンスは、「みんなで子どもたちを抱きしめ、子育てとともに何でも挑戦でき、いろんな家族の笑顔があふれる社会」をあたりまえにするために挑戦し続けている。

応援しない理由が見当たらない。

このフローレンスが東京マラソン2020の寄付先団体となっていることを前から知っていた。
そんなフローレンスが東京マラソン2020チャリティで「障害児保育を希望するすべての家庭に保育の受け皿を提供する」ことに挑戦する。
自分の無知を幾度と無く晒してしまうことにとても恥ずかしさを覚えるのだが、日本には、人工呼吸器と行った医療的ケアとともに生きる障害児「医療的ケア児」が数多くいることを知った。
障害児の親子の笑顔と可能性を叶える社会を目指している。それは、フローレンスだけが目指す社会ではない。一人の人間として、どんな形でもいいから関わる責任がある。

フローレンスが支援する子供達の為なら走れる。
フローレンスが支援する親達の為なら走れる。
フローレンスにいる友人の為なら走れる。
フローレンスの為なら走れる。

自分の為じゃなく、彼らの為だったら走れる。

いつ終わるかわからない人生を誰かの為に、ちょっとだけ生きてみよう。

そんな想いからチャリティランナーとして、東京マラソンに挑戦することにした。


人生で初めて寄付を募ります

一生、自分でクラファンとかやるつもりは無いと考えていたが、これを機会にいろんな枠を取っ払って挑戦してみたい。

長くなりましたが、ポルカにて、人生で初めて寄付を募ります。
頂いたお金は全額フローレンスに寄付します。
自分の挑戦を、その挑戦の先にいる子供達、親達、フローレンスを応援してほしいです。下記のリンクをクリックして頂ければ支援ページに飛びます。

【東京マラソンのチャリティランナーとして、日本の子供達と親を支援するフローレンスを走って応援したい】 チャリティランナーとして、東京マラソンに挑戦します!人生初のマラソン。寄付先は認定NPO法人フローレンス。病児保育だけでなく、障害児保育事業やこども宅食事業など多岐に渡る事業を展開するフローレンスは、「みんなで子どもたちを抱きしめ、子育てとともに何でも挑戦でき、いろんな家族の笑顔があふれる社会」をあたりまえにするために挑戦し続けている団体です。フローレンスが支援する子供達の為、親達の為に、32歳のマラソン経験ゼロの自分が挑戦します!頂戴した金額は全てフローレンスに寄付します。 応援よろしくお願いします! ※写真は病気がちだった幼少期の自分です御礼メッセージを支援のおかえしとして受け取ることができます。polca.jp

正直怖い気持ちもあります。
この前フローレンスが企画してくれた練習会では、ボロボロ。
想いはあっても練習に時間が取れず、ぶっつけでのぞんだ結果、地獄を見ました。
その翌日以降、足を引きずり、お酒も満足に飲めないほど疲弊。
痛みが取れるまで1週間かかりました。

気持ちだけで走れるほどマラソンは甘くはない。

それでも本番の3月1日まで練習して、絶対完走します。

チャリティランナーとして、
フローレンスを全力で走って応援したい。

皆様の応援お待ちしております!

記事だけでも拡散してもらえると本当に嬉しいです!

ユウイチ

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