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42.信念と痛み

フリードリッヒ・ニーチェは、「西洋は仏教を理解できるほど成熟していない」と言いました。

彼の哲学が西洋の宗教的背景においてどのように位置づけられるかがこの言葉から理解できます。

西洋では一般的に、神の教えに依存し救いを求める傾向が強いとされています。

これとは対照的に、仏教は信じることを超え、自己と世界に対する深い問いに向き合う宗教です。

仏教の教えは自己の問いと深い関わりがあります。

信じることをやめ、自己とは何か、世界とは何かという問いに対して探求し、悟りを開くことが求められます。
この自己への問いは痛みを取り除く上でも重要であることがわかってきており精神的な安全に関係します。

自問自答のプロセスが認知運動療法においても重要視されています。自らに問いかけ、探求することで知識や洞察が深まり、これが自己所有感や運動主体感の基礎をつくります。

うつ病などの病や長期間のストレスを与えられるとこの自己所有感を感じるシステムが破綻します。

個々にとって何が危険で安全なのかを判断する事が難しくなり些細な事でも身体が危険信号を発するようになります。

長期のストレスや心理的な安全が失われた事による問題ではそれを改善するために自分で取り組む姿勢がないと解決が難しいように感じています。

自分で取り組む姿勢が芽生えにくいのも自己所有感の低下であり、自己所有感を生むためには自らと向き合わなければなりません。
この矛盾したサイクルをどのように抜け出すかが難解です。

その根底にはその人の信念。
宗教的とはいかなくとも何を信じて正義と思っているかがポイントになっているような気がします。

西洋の神の教えによって救われる方。
仏教の自問自答に基づいて救われる方の違いは、個人の人生において大きな影響を与える可能性があります。救いを求めるか、自己に問いかけて探求するかという選択が、人生の成熟や精神的な健康に影響を与えると思います。

要するに、ニーチェの言葉に見られるように、西洋の宗教と仏教は異なるアプローチを提供しています。自己への問いかけという哲学的アプローチが痛みを考える上で壁となり解決のためのキーだと感じています。

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