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さよなら、シュタイナー学校

昨日は、娘のG6(小学6年生)の卒業式だった。
去年から近所の公立学校に転校し、たくさんの新しい友達ができて、とても充実した小学6年生だった。

転校した、というのも娘はキンダーガーデンから5年生まで近所のシュタイナー学校に通っていた。
2歳上の息子もまた、赤ちゃんの時から小学1年生までシュタイナー学校に通っていた。

2人をシュタイナー学校に入れたのは、私の意思だった。
私がシュタイナー教育に惚れ込んだから。
自然の素材に囲まれて、えんぴつから小さなナイフまで適切な道具をちゃんと使って授業を受ける(こちらはマーカーや印刷物を使うことが多い)。



移り行く季節に体と心を合わせた行事があり、授業の内容一つ一つにしても、無意識的に自分の内側を照らし、照らされたものをアウトプットするという作業が多くある。
そういう部分も自己を確立するのに役立つと感じたし、何より一つ一つの教えの中に美しさがあった。

娘自身もまたシュタイナー教育と学校が大好きで、絶対に公立学校には行きたくないと言い続けていた。私も彼女とシュタイナー教育の相性がいいと感じていた。


そもそも、なぜ子供にシュタイナー教育を受けさせるのか?
側から見たら、親がシュタイナー教育に惚れ込んで子供を学校に通わせる家庭が多いと思うかもしれない。確かに、低学年のクラスは人工的なものから子供を守りたい、優しい環境で学んでほしいという家庭も多く、シュタイナー教育のそれと近い部分があると思う。


ただ、蓋を開けてみると、親がシュタイナー教育に傾倒しているというよりは、子供がシュタイナー学校が好き(うちの娘はそうだった)ということの他に、公立学校に不満や不信がある家庭(公立学校を毛嫌いしている家庭はまあまあある)、もしくは子供が公立学校に合わない家庭、経済力があるから少人数制の私立を選ぶという家庭も多く、高学年になればなるほどその傾向が強くなり、残る生徒も少なくなる。
 
その上、世の中は進化している。
この5年を見ても世の中がIT化してく様は目を見張るものがある。
メディアの使用を制限しているシュタイナー教育だが、これだけスマートフォンが発達すると、環境も親も学校外で反映させるのがなかなか難しくなってくる。

ご多聞にもれず、娘のクラスもどんどん小さくなっていき、小学校5年生になると全部で10人、女の子は娘を入れて4人となった。

それだけでなく、4年間クラスを受け持っていた先生が、ある日いきなり「辞めます」というメール一つで去ってしまうという事件が起こった。

公立学校ではないので、代わりの先生を見つけることが難しく、その間子供達は置いてけぼりの状態になった。見捨てられたと感じた子供たちをよそに、学校の親と子供達への対応に私自身も不信感が募っていった。

建物も老朽化してきているが、なかなか予算がない上に、ベテラン先生のリタイヤや休職が続き、質のいい先生の確保ができないことや、アシスタントや事務スタッフの不足など運営の苦しさも垣間見えた。

理想と現実の間にはギャップがある。

これ以降、やや感じの悪く聞こえるかもしれないが、率直に感じたことなので書いてみようと思う。

2歳上の息子は低学年の時に公立学校に転校し、友達に恵まれた。
これはラッキーだっただけかもしれないが、息子の友達の家庭もまた温かい人が多く、それぞれの子供にさまざまな親が関わり合ってみんなで育ってきた、という感覚がある。
It takes a village to raise a childのまさにそれだ。

それぞれ家庭方針も違うし、シュタイナー教育を基準にするといろんなことがゆるい。だけど、ダメなことはダメとちゃんと言ってくれるし、アウトドア好きなど共通する部分もありすっと馴染むことができた。
そして何より「地域の目と温かさ」を感じ、心地よかった。

今もその延長上にいる息子は、中学に行っても結局、近所の幼馴染たちとつるんでいて、自転車乗ったり、スケートボードしたりと忙しい日々を送っている。



一方、シュタイナー学校は、本来ならば刺激過多な環境から子供を守る「温かい」場所であるはずだと思うのだが、学年が上がるにつれて私は逆の印象を持つようになった。

私立であるが故、家庭それぞれにその教育を受けさせたいという理由がある。その理由は光となり、急激に変わる環境の中で埋もれそうになる原点を思い出させてくれる。しかし、それが時に強い主張となり、異なる考えを否定するという排他的な面もある。

私も人のことを言えた義理ではないが、そのうちに親の考えで子供の個性を縛ってしまっていたり、ゆるさや、すでに在るものに対して不寛容だったりして、シュタイナー教育を軸にある共通の思想をもった家庭の集まりだとは思うのだけど、そこに「まとまり」を感じられなくなってきた。

また、娘のクラスは離婚率も高く、子供がお父さんとお母さんの間を行ったり来たりしているので、子供を通してその親間で考え方や家庭環境が異なることを感じる場面が多かった。公立学校であればそれはそれでいいのだと思うのだが、シュタイナー教育という部分で言えば、どちらかが強い考えを持っていて、もう片方はそもそもシュタイナー教育に賛成してないという場合もあった。私としても、その双方に連絡をとってやりとりするのに少し疲れたりもした。

(誤解しないで欲しいのは、離婚家庭だからダメ、などということで決してない。私自身、離婚家庭で育っている。だからこそ、夫婦関係が破綻していがみ合っているくらいなら、よっぽど離婚した方がいい。子供のためだ、と思う)

そんな時、もう少しレイドバックな息子の周りの人たちに会うと、なんだかほっとするのも常だった。

まあ、全体的に言っても、急速なIT化とインフレ煽りもあり、実際のところ心に余裕を持ちながら、家でもシュタイナー思想を部分的にでも取り入れて暮らすこと自体、なかなか難しいというのもあると思う。私も含めて。

シュタイナー教育という思想を理想としても、結局は人間の知性と精神性、熱意、その教育を受ける理由、環境、その時の経済、地域、そういったことによって大きく影響されるのだと知った。

そんなわけで、娘が5年生になる頃には、今流行りのダイバーシティーとは逆の、ある種の偏りを感じるようになった。
私自身はもう卒業だな、と思っていたところ、娘の担任の騒動があり、娘も「もうシュタイナー学校辞めてもいいよ」と言うようになった。

そうして6年生から公立学校に転校した。
初めこそ女の子同士のグループ問題などあるかな、と少し心配したものの、これまたラッキーなことにそういうこともなく卒業を迎えた。

転校してから世界がぐんと広がり「シュタイナー学校を辞めてよかった!」と晴々とした顔の娘を見て私もほっとする。

同時に、5年生までシュタイナー教育を受けられてよかった、と私も娘も思っている。たくさんの美しいものやホンモノの素材に触れられたことが彼女の魂の栄養となった。
私も裁縫が好きなこともあってクラフトなど質の高い時間を楽しませてもらった。


学力的な面でよく遅れを指摘されるシュタイナー教育だが、辞めていった先生が割としっかりやっていてくれたこともあって、転校後に苦労する場面も全くなかった。
むしろ、シュタイナー学校時代の方がもう少し難しいことをやっていたそうだ。

シュタイナー学校にいたことも、転校したことも、全く後悔はなく、むしろいいタイミングで両方のいいところを享受できて本当に良かったと思う。

これからは、息子と娘は地域のリアルなダイバーシティー環境の中で生きていく。がんばれ若者!今は純粋にそんな気持ちだ。

そして、私自身もシュタイナー学校と公立学校での経験を通して、自分の中の「こだわり」をだいぶ整理整頓できたように思う。

「こだわり」で見えなくなっていたけれど、親の心と子供達の心が、安心して安定する場所を見つけられることが一番大事なんだろうなと感じる。

最後に一つだけ。
私はこういう経験をしたけれど、世の中にはたくさんの素晴らしいシュタイナー学校があると思う。
例え学校が素晴らしくても、地域的なものも大きく影響する。

もし、自分の暮らしと、地域と、子供の意思と、学校が提供できることがうまく作用するのなら、またシュタイナー学校に入れたいなと思う。
だから、今、シュタイナー教育を通じて有意義な学びをしている子供やご家庭を応援しています。






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