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自分を縛っていたのは言葉だった。

こんにちは。マルオカユイです。

私の母は、「ちゃんとしい!」が口癖で、今でも、ちゃんとちゃんとちゃんとちゃんと、1日に何回言うねん!と思うくらい。

「ちゃんと」1回言う毎に500円貯金箱に入れたら?早々に大豪邸建つで。とおすすめしたけれど、本人もめちゃくちゃ言ってる自覚があるので、一向にその貯金を始めようとはしない。

母だけじゃなく、父も祖母もナチュラルにちゃんとちゃんと言う。

おかげで自分もナチュラルに「ちゃんとさぁ」とか言っていて、ハッとすることがある。

この「ちゃんとする」ってどういう意味なん?とふと思ったことがある。

生きづらさを深掘りしていくと、どうも幼少期に脳にインストールしているものが関係しているということが分かってきて、

そのひとつに「ちゃんとする」があるなと気付いて、母に聞いてみた。

昔からずっと言ってる「ちゃんとする」ってどういう意味なん?ちゃんとってどんな状態をちゃんとって言ってるん?って。

すると、「ちゃんとはちゃんとやん。きっちり!ちゃんとやん。」と
いや、ちゃんと答えろよってこちらも言いたくなるくらいの答えが返ってきた。

要は「ちゃんと」には定義がない。
子どもの頃の私が、そのシーンそのシーンに合わせて、これがちゃんとしてるってことか。というのを読み取って、インストールしてきただけで。

それは、静かにしなさい。かもしれないし、愛想良くしなさい。かもしれないし、お金を落とさないようにカバンしっかりしまいなさい。かもしれないし、片付けなさいかもしれないし、

あの人ちゃんとしてるね、という言葉なら、その人を見て、ああ服装はこういうのがちゃんとしてるのか、髪型はこんな感じか、と言うふうに

言い出したらキリがないけれど、とにかく、その人その人がきちんとしていると思っている基準に満たしていることを、「ちゃんと」という言葉で各々表現している。

それを私はその都度読み取って、インストールして生きてきたんだな、ということに気がついた。

もちろん子どもの頃は、そのおかげで、無難に生きることができたわけなんだけど

大人になって、私はこうありたい!と思った時に、その「ちゃんと」が自分の奥深くで自分を縛り付ける。

それ、ちゃんとの基準から外れてるよ。と。

私を縛る言葉は他にもあって、前の記事でも書いた「頑張る」という言葉も、私を縛っていた言葉のひとつだった。

中学生の頃、大好きだった先生が、「頑張りなさいよ」と言ってくれたことがあって

私はそのひと言で、学生時代の全てを頑張ることができたと思っているくらい

それくらい強いものだった。

辛いと思えば、先生の言葉を思い出して頑張った。

どれも、その当時は、そのルールの中で生きていくために必要な言葉で、そのおかげて、はみ出すことなく生きてこられた。

だからこそ、そのルールの中ではある程度の結果も残すことができた。

ただ人はどこかで違うステージに進むタイミングがやってくる。

それも今までと同じやり方ではいけない時が。

その時に、先へ行こうとする自分を縛っているのは、言葉なのかもしれない。

言葉は、普段なんとなく気軽に使っているけれど、言霊という言葉があるように、めちゃくちゃパワーの強いものだ。

自分を縛りつけることもできるし、解放することもできる。力付けることも傷つけることもできる。

言葉には私たちの想像をはるかにこえる力がある。

現に、定義のない「ちゃんと」という言葉に、自分自身は強く縛られて、生きづらいと感じていたのだから。

だからまずは、自分を縛っている言葉を見つけよう。そして今までありがとう、と言おう。
決してその言葉が悪いのではない、今までの自分を守ってくれていた言葉だから。

そしてその言葉を解除して、新しい言葉をインストールしよう。

自分が生きたい世界に合った、素敵な言葉を。



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