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分かってもらえなくて当然。というスタンスで生きてみる。

誰だって自分の気持ちを分かってもらいたいという気持ちが多かれ少なかれあると思うけど、それが自分を苦しめる一因になっていることはよくある。

これも、度々出てきている心の傷が大きく関係していて、分かってほしい!なんでわかってくれないんだ!と子どもの頃にインストールした人は、大人になっても分かってほしいのに!わかってもらえない!むかつく!をリピート再生する。

私はエンパス体質で、人の気をどうしても受けてしまう。つい数年前まで自分でも理解していなかったのだけど。

でもそれを表現しても、家族は誰も分かってくれはしないし、過去に友達に話したときも気にしすぎちゃう?で終わった。

でもある時思った。

いや、分かるわけないよなぁと。

逆に私も、気を感じない人の感覚が分からないように、感じない人からしたら、そんなもんあるわけないよ、気にしすぎてそうなるねん。となるわけで

それを分かってほしいという、甚だおかしなことを私は望んでいるなと感じるようになった。

まずは自分で自分を理解しよう。
そういう体質だということを受け入れよう。

そして、分かってもらえなくて当然。というスタンスで生きてみよう。

そう思った。

これに限ったことではなく、人の気持ちとか感覚とか、実際全てを分かることなんて不可能で
それはどんな人間関係においてもそう。

なんなら自分のことを全て知ることもできないのに

人に分かってもらおうということが、少し傲慢なのかもしれないと思った。

まずは私が私を理解しよう。受け入れよう。

そしてこれを宇宙の法則に当てはめて考えるならば、自分を受け入れれば受け入れるほどに、理解できれば理解できるほどに、受け入れ、理解してくれる人が現れるということ。

そして、その自分の一部を理解して受け入れてくれる人が現れたならば、それは大切にすべき人なんだと思う。

そんなことを思いました。

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