やりたいことが見つからない人へ
「やりたいことが見つからない」という言葉は、私の経験上、友人からも後輩からもよく聞くし、例に漏れず私自身もそう言っていた1人だ。
ここにおける「やりたいことが見つからない」という言葉は仕事や労働の文脈だが、私も就活中は何がしたいのかよく分からないなあなどと思っていた。
けれど、このGW中、まあたくさん出かける中でいろんな人と話したり考えたりして、ふと別に仕事はやりたいことじゃなくてもいいんじゃないかと思い至った。
(注1)細かく言えば、「やりたいことが分からない」と「やりたいことが見つからない」は少し違うと思うのだけれどここではほぼ同義で扱う
(注2)「やりたいこと」の定義も本当はきちんとした方がいいのだが、この記事の主旨ではないので避ける。「夢」とほぼ同義と考えてもらいたい
仕事に対する新たなスタンス
結論から言うと、私は仕事に関してはできることや求められることをするというスタンスをとる
別に好きなことにしてもいいんだけど、相手が求めてることが分かってしまうし、できてしまうし、そうであるなればそれを生かすことが優先だなと思った。
ただ、できることをすると言ってもそれが誰からも求められていなければお金にならないので、お金を稼ぐためにはできることと求められていることが重なっていることをやらなければいけない。それから求められていることを知り続ける必要もある
そんなことを考えているうちに、前職の研修かなんかで見た以下のような図を思い出した
(記憶を頼りに筆者作成)
これは、仕事においてwill(やりたいこと)とcan(できること)とmust(求められていること)が重なる部分をやるのが理想だよね、みたいな話だった気がするけれど(ちゃんと聞いてない)、
できることと求められていることをやるという私のスタンスを表すと以下のようになる
(canとmustが重なる部分)
そしてこれは、「やりたいことが見つからない」という悩みに1つの解決策を提示してくれるように思う
別に仕事は「will(やりたいこと)」じゃなくてもいい。
要は、「やりたいことが分からない」という悩みの裏には「やりたいことを仕事にしなければいけない」という呪縛があるように思う
学生時代から好きなことややりたいことを仕事にするのが幸せだというような世論に影響されて、「やりたいこと」の呪いに取り憑かれていたのだろう
私自身は、その呪いのせいで「やりたいこと」を仕事にしていない自分を情けなく思っていたし、「やりたいことを仕事にできていない」という思いと「やりたいことがない」という思いの葛藤に苦しんできた
やりたいことじゃなくてもいいという視点を得たら、なんだか随分楽になった。
自分にしっくりくるスタンスを探す
私自身はやりたいことの呪縛に長年苦しめられてきたので、仕事に対してはやりたいことじゃなくてもいいというスタンスをとるけれども、この図で考えていくと、仕事のスタンスは色々取れるだろうなあと思う
例えばやりたいことを仕事のスタンスにしている人は、自分の夢があってその夢に自分を捧げている人だろう
求められていることだけをスタンスにするというのもありだと思う。
このベン図であり得るパターンを全て取り出すことはしないが、例えば私のようにcanとmustが重なる部分が基本スタンスだが、そこにwillの要素が入って仕事の一部は3つが重なるということもあるだろう。
おそらくどの人も自分の中でしっくりくるスタンスが何かしらあるように思う。
3つ全ての要素が重なることは確かに幸せな気もするが、全ての要素が入らなくてもいい。中でもやりたいことに呪縛されている人は多いように思うので、そういう人にはその呪縛は解いてもいいやつだよ、と言いたい。
やりたいことのない人が無理にwillを求めても自分が苦しくなるだけなので、自分にあったスタンスを見つけて仕事をする方がきっと楽。
私と同じように「やりたいこと」に呪縛されている人の参考になれば。
まとめ
・仕事はやりたいことじゃなくてもいい
・仕事に対するスタンスは色々ある
・自分にしっくりくるスタンスを取る方が楽だし幸せ
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