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性別の「らしさ」に縛られない。自分らしく生きるということを当たり前にする。


海外に出て、そして日本に帰ってきて思うこと。

それは、

女性らしさ・男性らしさというものが社会システムの中にあまりにも浸透しているということ。

そして、

企業や雑誌などのメディアによって、多くの人が、その考えを無意識にプログラミングされているということ。


例えば、モテメイク。

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長年、化粧品業界で働いてきて、私自身は海外マーケティングや商品開発を担当してきたので、自ら「モテメイク」なる日本市場向けのマーケテイング仕掛けたことはないけれど、雑誌やYoutubeでそのキーワードを見るたびに、怒りと悲しさを感じる。

海外と日本の化粧意識調査の中でも、日本女性は、メイクをしたり美しくなることを、社会のため(いわゆるマナー)であったり、男性にモテるためにという回答が高い。周りの目を意識しすぎる傾向にあると思う。日本には、相手のことを慮る文化があり、それは本当に素晴らしいこと。でも、自分のためでなく、他人のために努力をしなければならない、という空気感には違和感を感じるのは、私だけなのだろうか。

私は自分の生きたい人生を生きるために、30台で、海外の大学院に行ったけれど、周りからは結婚はどうするの?子供は?と、いつも聞かれる。

社内MBA選考の最終面談でも、「結婚するつもりはありますか?」という質問をされた時は、正直驚いた。私が男性であれば、絶対に聞かれない質問だろう。

その時、私は、正解と思われる回答をし、海外留学への切符を手に入れた。でも、未だにあの時の質問は忘れられない。あの時、私が結婚する予定です、という回答をしていたら合格したのだろうか。

もちろん、質問をした相手の気持ちもわかる。多額の投資をし、すぐに退社をされたら、という心配からなのだろう。でも、男性だって、気が変わって転職をするかもしれないし、女性だって、結婚・出産し一時期職場を離れる時期が発生したとしても、それでも自分の居場所を作り続けてくれた、と認識し、会社に対してロイヤルティーが上がる場合だってある。

男性と女性。性別はない、と行っても、やはり異なるものでもある。だから、「女性の活躍」=「男性のようになる」という単純なことではない、と私は思う。


考えてみて欲しい。

例えば、下着。

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一般的に男性用の下着と女性用の下着は形も機能も全く異なる。仮に、世の中の男性用下着が消えて、全ての男性が女性用の下着を身につけなければならないとしたらどうだろう。

女性用の下着にフィットさせていくことが男性が活躍して行くことなのか?男性と同じになっていくことが、女性が活躍していくことではない。

女性は、出産、妊娠、そして毎月ある生理、ホルモンのサイクルというものがあって、そもそも体のつくりが違う。

私は、ずっと、なんで女として生まれてきたんだろう。男として生まれてきたらどうだったんだろう、とよく思うことが多かった。小さい時から、女の子なんだからやめさない・・・、と両親から言われて育てられて、いつも小さな鳥籠に入れられている気分だった。男の子はなんて自由なんだろう・・・とずっと羨ましかった。

高校、大学、そして今回の大学院と、3回の留学生活。

海外に行くことで、親の過保護からは抜け出せても、私は女性であり、男性とは違うリスクが常に付き纏う。

日本でも、痴漢や盗撮にあったことはあるけれど、海外での生活ではさらに自分の身は自分で守らなければならない。やはり、小柄なアジア人であるため、男性と比べ、そして欧米の女性と比べても、弱い存在として狙われることが多く、実際に何度も辛い思いをした。


そう、男性と女性は異なる。残念ながら、生物学的にも構造が男性とは、全く違うということは、受け入れなければならない。

例えば、毎月の生理。

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人によって、レベル感は異なると思うが、やはり、生理の時は体がだるいし、食欲も落ちるし、匂いも味もしないし、体だけでなく、イライラしてしまったり、極端に落ち込んだり、自分の感情がコントロールできなくなって、さらにそんな自分に自己嫌悪を感じるという最悪なループ。

大事なプレゼンや仕事が生理の日に当たっていると本当に最悪だ。本当は一日中ベットの中で過ごしていたいのに、這ってでもいかなければならない。生理中にカフェインはよくないと知っていながらも、とにかく眠いから、カフインを体に流し込む。じぶんの体にムチを打っているような感覚だ。

1週間は、体が重くてだるいし、1週間は情緒不安定になることが多く、1ヶ月の中で、本当に自分らしくいられる期間は、一体何日間あるのだろう、と思う。おそらく1ヶ月の中で実質、本来の状態であるのは2週間くらいだろう。

体の違い。これは変えられない現実だ。だからこそ、全てを平等にしても意味がない。

女性には男性が必要で、男性にも女性が必要で、そして一人の人間の中でも、女性と男性のエネルギーが必要で、そのバランスが非常に重要なのだと思う。

どちらかだけのエネルギーが強くなるのは、やはりアンバランスでよくない。

無理やり男性が作り上げたシステムにフィットさせていくのではなく、女性のあり方を理解し、受け入れ、それらを加味した上で、女性である自分らしく生きるということを当たり前にすることこそが、真に女性が活躍する、ということだと思う。

私は女性として、この世に生まれてきたから、女性の視点で今回は書いたが、これは女性らしさに苦しむ女性だけのものでもなく、男性らしさに苦しむ男性もいるということ。

昨年ミラノで開催されたVOGUE PHOTO VOGUE FESTIVALでのメインテーマは「All That Man Is – Fashion and Masculinity Now」だった。現代のファッ ションとアートの写真家がどのように主題に取り組んでいるかを示すことで、男らしさの概念を探求し、拡大しようとしている。

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https://www.vogue.it/en/photo-vogue-festival/exhibition/2018/10/22/all-that-man-is-fashion-and-masculinity-now-photo-vogue-festival/?refresh_ce=

また、美容やファッションの世界ではジェンダーフリュイドのトレンドが高まっている。一人の人間の中に男性的部分、女性的部分があるという考えが浸透することによって、ジェンダーの境界を曖昧にし、人々が自由になる手助けになるかもしれない。

そして、女とか男とかを超えたレベルで、一人一人が、そのひと個人として、「自分らしく」生きられる世界になって欲しいし、そのために私も動いて行こうと思う。









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