感情=精神疾患???

こんにちは。こんばんは。ゆうさんです。

今日は下の記事を読んでの感想を書いていこうかと思います。


感情がどんどん追いやられてくる

いきなりですが、記事の内容を無理やり一文にまとめてみると

『資本主義社会では生産性を落とすものは良くないものだから、生産性を落とす感情(不機嫌、怒り)は不道徳だよね』

という感じになるかなと思います。ここは僕の偏見でまとめていますので、人によってかなり違う内容になるということはご了承ください。

資本主義社会のルールは『生産性=正義』とみなすことができます。

そもそも何かを得ようとしたときに資本が必要になりますので、資本主義の世界で物質的に豊かになるためには「いかに多くの資本を集めることができるか?」が常に求められていると言えます。

この「いかに多くの資本を集めることができるか?」を端的に表すと「生産性」という言葉になります。

ライフハックや仕事術、自己投資など自分たちの「生産性」を向上するための知識や技術はネット社会の今では溢れるほど流れていて、なにかの仕事をしている人たちにとっては目に付かない日はない言っても過言ではないでしょう。

そして、資本主義社会では神聖な「生産性」を極限にまで高めようとしたときに『感情』の一部は邪魔なもの として扱われているんじゃないでしょうか?

適応できる人がどんどん少なくなってくる

ここからは記事を引用させていただきながら感想を書いていきたいと思います。

不機嫌は非生産的でもある。不機嫌になった人は、注意が散漫になったり作業が荒くなったりする。不機嫌な人から影響を受ける周囲の人々の生産性や効率性も下がるだろう。不機嫌は、功利主義や危害原理といった「正しさ」の領域を犯すだけでなく、生産性や効率性といった資本主義の領域をも犯している。

この内容にはすごく同意するもので、例えば職場にすぐに大声で怒鳴りつけることで有名な上司がいたらどうでしょうか??

多くの人は生産性を上げようとするよりも、いかに上司に怒られないか?を基準に仕事をするのではないでしょうか?

そう考えた時にやはり「不機嫌=生産性の敵」とみなされても仕方のないことだと言えます。

しかし、人間である以上不機嫌を完全に排除することは並大抵ではないし、そのことについても下記のように記している。

私もそうだが、動物としての人間(ホモ・サピエンス)は、機嫌が良くなることもあれば機嫌が悪くなることもある。いつでも機嫌良くしていなさいなどというのは、人間の動物としての性質に反している。小さな子どもの不機嫌が教えてくれるように、いつでもどこでも機嫌良く過ごすためには、かなりのトレーニングが必要になる。しかも、いつでも機嫌良く過ごせる素養には個人差があって、どう頑張っても不機嫌になってしまうことのある人、不機嫌になりやすい人もいるだろう。というか実際にいる。

・挨拶できる人、できない人
・笑顔が上手な人、苦手な人
・コミュニケーションが好きな人、嫌いな人

世の中にはたくさんの人がいて得手不得手がもちろん違ってくる。少し前までは機嫌の良い悪いは『仕方のない生理現象』として黙認されてきていたかもしれないが、「生産性」にどんどん重きを置いている現代では、「仕方ない」では済まされなくなっているのではないか?

不機嫌がハラスメントとみなされ、あってはならないものになった近未来において、それでも不機嫌になってしまう人は精神疾患とみなされるようになるのではないかと、私は疑っている。

極論に聞こえるかもしれないが、「そうなりそうだ、、、」と妙に納得してしまっている自分もいる。

社会の風向きを知って生きていこう

自分の存在なんてちっぽけなもの。

社会や世間の風潮がルールになっているだから。

それらを良い悪いと判断する前にまず『知ること』

ルールを知らなければゲームはできません。

ゲームを楽しむために、楽しむ方法を探すために、
まずはルールを知ることが大切だと思います。

感情そのものが精神疾患とみなされる風潮がある現代社会。そのまま感情が追いやられるのか?それともNOという勢力が表れて新しい風潮が生まれてくるのか?

頭の片隅にそんなことを置いておきながら生きていきましょう。

またね。


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