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それは本当に捨てていいもの?

僕には捨てて後悔したものがあります。

皆さんにもそんな「大切だけど捨ててしまったもの」
があるんじゃないでしょうか?

「あの時は捨てることが正しい選択だと信じていた」

そう何度も反芻し、それでも今現在は後悔の念が強く残り、
「捨てる前に戻りたい、、、」と思う夜もあります。

進撃の巨人の登場人物であるアルミンはこう言います。

「何も捨てることができない人には、 何も変えることはできないだろう」
(第7巻)

自分の人生において大きな変化の局面では必ず何かを捨てることが求められます。

結婚:選んだパートナー以外の人と結婚することを「捨てる」
就職:星の数ほどある他の会社で働くことを「捨てる」
引越:近かろうが遠かろうがどこか別の場所に住むことを「捨てる」

何かを決断することは、すなわち、何かを捨てることに他ならない。

自分にとってとても大切なものだったとしても、
自分を変えようと思った時にそれは大きな足枷になるかもしれない。

たとえそれが本当にかけがえのないものだったとしても。

変化を望む人たちはその時には通常とは違うものの見方をしてしまうから。

じゃあ今持っているものに目を向けよう

その時の大切なものを捨てた結果が今。
変化を望んだ先の光景が現在。

そんなこと、言われてみれば当然だけど意外と忘れがちなような気がします。

特に「捨てなければ良かった、、」と後悔している夜には。

後悔している時にこそ「今だからこそ持っているもの」に
目を向けるよう意識していければいいなぁと思います。

”逃した魚は大きい”と言う諺の通り、
人間て生き物は得たものよりも失ったものに価値を感じやすいです。

今持っているもの。自分の場合は

妻と子どもがいて
戸建てに住み
十分な休日があり
満足した収入がある

そう、文字で表現すれば、客観的に見れば恵まれているとさえ言えます。

家に帰れば家族がいて、
お金の心配もなく日々を過ごし、
自分を認めてくれる職場がある

間違いなく不満を感じるはずではない環境だと思います。

それでも

それでも感じてしまう。

過去に捨てたもの

当時は心から大切だと感じていたもの

それを今も持っていたらどうなっていただろうか と

ああ、ダメだ。
もちろんそんなこと考えても無駄だと言うことはわかってる。

わかっているけれど「逃した魚」を想わない日はない。

もっと幸せな日々があったんじゃないだろうかと欲が出てしまう。

今、目の前にあるはずの「魚」から目を逸らし、
それよりも大きいだろうと妄想の中の「魚」に夢中な自分。

うん。ダメダメだ。

少しずつ前向きに戻りたい

ほんの数年前まではこんなポエムを書くような性格ではありませんでした。

「心の底から幸せだ」と思えるような日もあったくらいです。

生活が変化していく中で自分にとっての”幸福の素”のようなものを失ってしまったようです。

それがなんなのかをそろそろ本気で探していきたいと思います。

おそらく目を背けたくなるような旅になるような気がしますが、、、

それでは



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