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abe-wakana(copyandpaste)という存在

メンバー紹介は一旦おしまいと書きましたが、glassmondの核となる人の紹介をしていませんでした。果たしてうまく紹介できるほど理解できているのか分かりませんが。。


人はよく分からないものに興味と恐怖をいだきますよね。

あべちゃんは何者なのだろうか。「愛の研究」をしていると本人は言っている。絵、映像、音楽、言葉、立体、服、料理、いろいろなかたちでの表現者でもある。意外と負けず嫌いでもある。しかしなんだかいつもとらえどころのない人でもある。およそ一言では表せないあべちゃんという存在ですが、出会いから現在までを紐解いていけば、なにか手がかりがあるかもしれないと思い、書いてみます。

出会い

あべちゃんとの出会いは、2019年の春頃、ちょうどもう少しで元号が平成から変わる頃だったかと(本当は2018年年末ころに、須賀川のラフラフに友人の李さんと行ったところ、あべちゃんが自分の展示会をやっているところで会っているのだか、そのときは僕も自分のお店の準備で頭が一杯で、大して話もせず、でした)。

あれは忘れもしない、僕が営むコーヒー屋「Ordinary Coffee」が入る施設、須賀川市民交流センターtetteでのことでした。いつものようにコーヒー屋のカウンターに立って営業していると、向こうからすごい速歩きで背筋をピンとさせて歩いてくる女性に気づく。「あれ、あの人tetteのスタッフの人だな。服装的に、今日は休みなのかな・・・」と。そのまま近くで合唱の練習をしていたおばさま方に混じって歌を歌っていた。しかしよく見てみると、ズボンはホームセンターとかで売っている薄緑のいわゆる作業着のズボン、上は白いTシャツをその作業着ズボンにインし、さらになんかピロピロしたものがついてる・・・(え、あれ売ってるやつ?)しかし全体的にはすごくキマっており、この田舎(失礼)の須賀川には似つかわしくない、すごく都会的で、なんならファッションスナップ誌のFruitにでも出てきそうだななんて思いました。直感的に「ああ、あの人はアーティストなんだな」と、すごく引っかかる存在として自分の中で認定されました。


そのことを後日、お店に飲み物を買いに来てくれたあべちゃんに話したりするうちに、あべちゃんがどんなことをやっているのかとか、逆に自分はこんな音楽もやったりしてるんですよ、なんてライブ映像(郡山シティボーイズの)を見せたり話すようになりました。またコーヒー屋の営業終了後に、僕がコンビニのおやつ(モンブラン)を食べているとあべちゃんが通りがかって、やれ矢野顕子が好きだとか、明石家さんまになりたいとか話してるうちに、あべちゃんの自作曲をYoutubeで聴かせてくれました。それが結構しっかりつくられていたから、「ライブとかやらないの」って話をしたら、なんとライブはやったことないっつって!え、じゃあ今度なんか一緒にできたらいいね!なんつって家に帰り、あべちゃんの曲をしっかり聴いてみようと思いました。

そこでまずはじめに衝撃的だったのが、今回のEPにも入ってる「十六夜の月」でした。シンプルだけど無駄のない美しい旋律に、ところどころ入る和風な音階、この雰囲気に月のことを歌った歌詞もピッタリだし、そして何より声だけ重ねてここまでの世界観がつくれるのか!と、映像も相まってグッと引き込まれました。

と同時に、「ここはこんな感じのコード合わせていったらめっちゃよさそう!」とブワッとイマジネーションが湧いてきました。そしてすぐにピアノの前に座り鍵盤をこねくり回したのを覚えています。


それからというもの、あべちゃんの他の曲もすごく聴き込むようになり、「あの曲はこうしたい、この曲はああしたい!」などとどんどん妄想を膨らませていきました。一時は毎晩あべちゃんのサウンドクラウドをずっと聴いていたなw。でもそれだけイメージを掻き立てられるものがあったんだろうなと。

その後、tetteのスタジオを借りて、まずは二人で十六夜の月とか、おやすみしたいうたとか、自分がピアノで伴奏したらこんな感じになるよ〜みたいなことをプレゼンしました。その当時、そういう伴奏とかアレンジに関して、あべちゃんがどう思っていたかは分からないのですが、初めて音を合わせるってのはいつになっても楽しいものですよね。そして、ピアノだけじゃなく他の楽器にも入ってほしいよなぁ〜と思い、ベース、ギター、ドラムと少しずつ参加してもらい、glassmondというバンドが出来上がってきました。

その後は、ゴアガジャの陽さんに誘っていただき、初めて二人でライブしたり、Ordinary Coffeeの「ロマンチック居酒屋」というイベントで、5人で初めて人前で演奏したりと、活動が始まっていきました。

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肝が座ってる

そういったライブをやったり、また他の人とやっていたライブなどを見ていて感じたのは、「全く動じてないんだなこの人」ということです。普通、初めてのライブとかは緊張すると思うんです。おれなんかライブ何回やっても緊張するし。でも全く動じない、肝が座っているんだなと、度胸あるな〜と見てて思いました。もともとアート活動をやっているのは知っていたから、人前で表現することは全然苦じゃないどころか、むしろ喜びなんだろうなと。パフォーマーとして生まれてきた人なんだなと、感心したと言うか、驚嘆したというか、尊敬したというか、とんでもない人だなと。

それは、たぶん僕(ら)とはそもそも表現の定義が違うからなのではないかと。僕(ら)は例えば憧れのミュージシャンの真似をしたり、譜面をみて演奏したりすることが多いわけです。そうすると、自ずと「正解」と「間違う」という概念が出てくる。憧れの人みたいに弾けると「正解」だし、譜面どおり弾けると「正解」、その逆は「間違った」ということになる。このやり方はある一定のスキルを得るためにはとても有効なものだと思う。

だけどあべちゃんは、多分その考え方を持ち合わせていないんだと思う。「正解」も「間違い」もなく、その時に体から出たものが全てなんだろうなと。その出たものに対して「正解」や「間違い」という判断はせず、ただただ「在る」と認識をする、そしてそれを楽しむ。そんなふうに僕からは見える。

このことは僕にとってものすごく衝撃的なことでした。

稀有なメロディメーカー

僕から見て、あべちゃんの何がすごいかって、作る曲のメロディーがとてもよい、というところです。これが一緒に音楽やりたいなと思う一番の理由かもしれません。

メロディーがよい、って具体的にどういうことなのか、僕もはっきりと言葉に出来ないのですが、あべちゃんの作ってくる曲は、少し変わっていると言えばいいのかな。送られてきた曲の原案を聴いてアレンジを考える際に、まずはその曲のキー(何調か)を確認するのですが、そのキーのスケール(ここでは単純にキーがCだったらドレミファソラシドと思って頂ければ)以外の音が結構入っていたりします。しかしそのスケール以外の音は、ただ当てずっぽうに入っているのではなく、ほとんどの場合何かしらの意図が感じられる音なのです。それは、メロディ以外に入っている声の伴奏のような音を聴き込むとすごく伝わってくることもあります。だから彼女の頭の中にはきっと音楽全体が鳴っているんだろうな、と思いながら、伴奏をつけるならこのスケール外の音をどう処理すればこの曲の意図を伝えられるのかと考えるのです。それが難しくとも楽しい、アレンジの醍醐味だと言ってもいいでしょう。

また、スケール内の音でも、キーと前後の流れを考えると、このメロディにはどうしてもこのコードを鳴らしたいなという場面があります。するとその箇所のメロディが自ずとコードに対してテンションノートだったりすることが多々あります。例えば、「メロウなスーパーヒーロー」という曲ではサビの途中が、連続して9thの音から始まる箇所があります。ペンタトニックスケールを使いがちなJpopを聴く環境において、これは結構珍しいんではないかと思います。

または、どんどん転調していく曲もあります。それは部分転調(その後元の調にもどる)の場合もあるし、転調したままというものもあります。そのつなぎ目をどうスムーズにつなぐかも、とてもやりがいがあります。

とにかくそういった、「普通、メロディがこんな動きしないだろう」みたいなところがその曲の個性となり魅力となり、歌心のある曲になるんではないかなと思います。だから殆どの場合わたしはアレンジの際にメロディを変えるということはしないようにしてます。メロディを変えたら曲の良さが死んでしまうので、アレンジをメロディに合わせていきます。

それから、とても多作なことも驚異的です。ぼくがある曲のアレンジを考えていると、あべちゃんはもう次の曲が2,3曲出来ているようです。先日も次のアルバムの打ち合わせをしましたが、新曲がたくさんあるようで、しかもその曲たちへのイメージがどんどん言葉に出てきていて、聞いてるぼくは圧倒されてました。ぼくも昔、自分のバンドで作詞作曲をしていたときがありましたが、メロディをつくるのにも苦労したし、歌詞なんて全く出てこなくてほんとに苦痛でしたw。それを思うと、ほんとに0→1が好きで得意というか、溢れ出ちゃう感じなんでしょうか。

アレンジの過程

ちなみに、普段どうやってアレンジを進めているか公開しちゃいます。まあ、曲や状況によっても違うのですが・・・。

①あべちゃんから曲についてのイメージを聞く。

②とにかく曲(原案)を聴き込む。覚えて歌えるくらいまで聴き込みます。ここではまだピアノは触らないで、どんな楽器が合うかな〜とか妄想を膨らませます。ピアノを触ると自分の手癖が出てしまうので。

③飽きるまで聴き込んだら、次にメロディをピアノで弾けるようにする。とにかくメロディが大事。

④ピアノで伴奏をつける。ここでは主にどういったコードをつけるかという部分。それをあべちゃんの歌と合せて本人と確認。

⑤その後、パソコンのソフトで全体の楽器を打ち込みして骨組みを作る。

⑥それを元にミュージシャンにレコーディングお願いしたり、自分で打ち込んだり、歌を録音したり。。。

こんな感じです。

声がいい

これもめっちゃ重要。曲によって、やさしい感じや、寄り添ってくれる感じもあるし、憂いを帯びた感じも好きだし、畏れすら感じるときもあれば、コミカルな感じもある。あと、歌いまわしもすごく魅力的で、エモが極まるとこもあったりして。結構テクニカルなこともそつなくやったりするのでビックリする。

アートの側面

あべちゃんはもともと、美大でアートを学んでいたようで、音楽もただその表現の一部だったみたいです。ぼくはアートと呼ばれるものには疎く、作品を論じることはできませんが、制作に向かうその姿勢にはとても刺激をもらい影響されています。そもそもずっとアウトプットし続けてることが凄いです。大抵の人は、あれやりたいこれやりたいとは思ったり口にはしますが、仕事や生活を優先していくと中々出来ないことが多いですよね。でもあべちゃんは常に何かしら作ってアウトプットしている。これだけでもほんと凄いと思いました。あとは、その制作の姿勢に対して、以前こんな記事を書きました。

これは、tuperatuperaの亀山さんが、ピカソの絵について話していたことと共通してくるな〜なんて思いましたが、それはまた別の機会に。

あべちゃんの作品、どれも何か引っかかるものがありますよね。ぼくの印象だと、写真は艶めかしさや色気、狂気、ギラギラざらざらした感じ。絵はいくつか作風があり、イラスト的なやつはファニーで空想の物語世界が広がる想像力あふれる感じ、抽象的な絵はやさしさとか愛情とか祝福とか、そんな明るいイメージ(個人的に好きなやつ)。

https://www.instagram.com/copy_wakana/

映像は、映像によってそれぞれ受ける印象が違うな〜。

サウンドクラウドでしか聴けない音源もあるんだよ実は。

みなさん、ぜひこの世界観にハマってみてください。心がざわざわすること間違いなしですよ!いい意味で!

結局?

んー、なんか基本褒めちぎった感がありますね。まあ誰よりもあべちゃんのファンだという自信もあるのでねw。その魅力をみなさんにも知ってほしいという一心で活動しているという側面もあります。

でももちろん、まだまだ分からないことがたくさんあります。質問したことに対して比喩で返されたりしますので、「・・・は?」てなることもありますw。何より、ずっと変わり続けているんだろうなと思うし。

そんなわけで、つらつらと書いてしまいましたが、ここらへんで締めたいと思います。みなさんも一緒にabe-wakana(copyandpaste)をウォッチしていきましょー!!

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