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<小旅行記>船橋法典の温泉を訪ねる

 10月のある晴れた日。妻が契約している農園の収穫に行くので、最寄り駅で待ち合わせて、近くにある温泉施設に行った。その駅は、武蔵野線の船橋法典という駅で、温泉施設は「法典の湯」というところだった。

 13時に駅改札で待ち合わせだが、そのまま温泉に行く予定なので、すきっ腹で温泉に入って貧血になっても困るため、新木場駅で立ち食いそばを食べていくことにした。東京メトロ新木場駅構内には、「メトロ庵」という立ち食いそばがあり、以前から一度食べてみたいと思っていたので、ちょうど良い機会だった。そこで、システムに慣れずに他の客の迷惑にならないように、ランチタイムより少し早い11時40分頃に着いて、きつね蕎麦にかき揚げを入れたものを早めのランチとして食べた。

新木場メトロ庵

 なかなか旨かったなと早めのランチに満足しつつ、地下鉄の改札を出てJR新木場の改札に向かった。改札を通った後、また別の立ち食いそばがあるのに気づいた。これは知っている人には驚くことでもなんでもないことだが、新木場駅構内の立ち食いそばは一軒しかないと思い込んでいた私には、驚くことだった。そして、その別の立ち食いそばである「いろり庵きらく」の風景を眺めながら、ホームに向かうエスカレーターを昇っていったのだった。「次回この駅を使うときにはここで食べたい」と願いつつ。

 JR新木場のホームは、高速道路に沿ってある。そのため、ホームから見える風景はトラックなどが騒音とともに激しく行きかい、とても風情を感じられるようなものではない。しかし、その高速道路の向こうには、夢の島公園の緑が広がっている。激しい車の行き交いと比べてちょっとホッとするような空間だ。そして、その緑の先を目で追っていくと、辰巳公園が見え、その近くに我が家のマンションが見えた。たしかに徒歩でも来られる距離だから、見えていて不思議ではないのだが、何か嬉しい気分になった。

新木場駅ホームから

 新木場の京葉線は、千葉と東京を結ぶ路線であるため本数が多く混んでいる。一方武蔵野線は関東北部を中心に遠回りする路線であるため、本数が少なく空いている。私はしばしホームで待った。東京で電車が来るのに長い時間を待つことはあまりないので、勝手にちょっとした旅行気分になっている。

 目指す船橋法典は新木場から6駅目だが、東京から千葉になるだけでなく、沿線風景も一変していき、また駅ごとに趣きがけっこう違う。東京の駅、特に地下鉄は地下ということもあり、どの駅も駅名が違うだけで似たり寄ったりの風景になっている(なお、銀座線は最初に施設されたためか、かなり特徴がある)。ところが、この京葉線から武蔵野線に続いていく駅には、皆それぞれの個性を強く感じた。

 もちろん、ディズニーランドのある舞浜は、もっとも強い個性を発揮しているのだが、舞浜から新浦安に向かう途中、それまでマンションばかりだった沿線風景が一変して、新しいデザインの一軒家が整然と並んで見える地区がある。おそらく、昔は貧しい漁村だった場所だろうが、今は高級住宅地になっているようだ。そして、新浦安に近づくと再びマンションばかりになる。そして市川塩浜は、地名からして昔は漁村だったのだろうが、今は大規模な倉庫が沢山ある地域になっている。

 一方、乗り換え駅であるため、しばらく停車していた西船橋まではスカイツリーがくっきりと見えていた。スカイツリーが見えるということで、ここが東京への通勤圏内であることがわかる。スカイツリーの有効利用はこんなところにもあるのだ。西船橋を出た後の沿線風景は、見慣れたマンションや商業ビルが立ち並ぶものが続いていたのだが、突然今どき珍しい大規模なキャバレーの広告を見た。そこには「2Fフィリピン、3Fロシア、4F日本」と書いてあった。つまり、2階客席のホステスはフィリピン人、3階客席のホステスはロシア人、4階客席のホステスは日本人ということなのだろう。

 西船橋のキャバレーが、このように堂々と国際化をしているのが面白かったのだが、考えてみれば客がそれぞれ、タガログ語やロシア語を話すとは思えないので、客との共通の会話はどの階も日本語なのだろう。しかし英語はフィリピン人には日常語だし、ロシア人も海外に来るくらいの人ならある程度使えるだろうから、客が英語を使うと大歓迎されるかも知れないと、イメージが膨らんだ(でも、絶対に行かないけどね)。

 そんなことを考えているうちに、目指す船橋法典が近づいた。この船橋法典の特徴は、中央競馬の中山競馬場があることだ。また近くには白井(しろい)という、昔厩舎があった地域もある(農園の関係で近くに行った妻の話では、大きな家が沢山あったそうだ。たぶん、競馬関係者の家屋ではないか)。駅ホームに着く少し前に、遠くの木々に囲まれた、ところどころに高い照明塔がある場所――つまりそこが中山競馬場だ――が見えた。また、線路の外に白い柵とダート(砂)の馬場がちらりと見える場所を、電車は通過した後、ホームに着いた。船橋法典は、馬との関係が深いようだから、「船橋馬場」という駅名が良いと勝手に考えた。

 競馬場にはもう何十年も行っていないが、これから12月の有馬記念などの大レースがあるときは、この武蔵野線や船橋法典駅は大混雑するのだろう。そして、競馬で勝った人は帰り道に船橋で寄り道して、フィリピン・ロシア・日本とキャバレーをはしごするのかも知れない。でも、フィリピンやロシアのホステスは、有馬記念と言っても良くわからないだろうな。しかし、彼女たちにとっては大金を使ってくれる客は皆良い客だから、中山競馬場大万歳だろう。

 新木場で早めのランチをした関係もあって、私は船橋法典駅に約束の時間より早めに着いていた。それで、ホームのベンチに座って時間をつぶそうと思ったが、近くに見つからない。ベンチを探してホームの反対側に向かうと、なにやら緑の衝立に囲まれた一角がある。近づいてみると、そこに目指すベンチがあった。新型コロナウィルス感染防止策の名残だろうか、またはプライバシー保護に特別に力を入れているのだろうか。どちらにしても、何か不思議な空間に感じる光景だ。

船橋法典駅ホームから

 不思議と言えば、東京で線路やホームが高架上にあるのに慣れているためか、船橋法典の駅や線路が切通しの下にあるのに妙な感じがした。ホームからは沿線住宅が良く見えるが、騒音はどうなのだろう。もしかすると高架線よりは少ないのかも知れない(音は上から下に流れる?)。

 ところで、船橋法典の「法典」という地名は、何か神社仏閣の匂いがする。「法」は「仏法」から来ていると思うし、「典」は「書物」という意味だから「経典」と理解するのが普通だ。それでネットで検索してみたら、正確なものは不明だと出ていた。・・・そこで私の想像は膨らむ。さらに、温泉に行く途中の道沿いに、縄文後期の遺跡が見つかったという案内板があった。

 その当時は、この周辺は海岸が近かったと思うので、海の幸で生活していた人が多くいただろう。そして、そうした人たちでかなり繁栄したのではないか。その繁栄から、立派な蔵、つまり「宝殿」があった。それを後の人が聞き間違えて「法典」としたのではないだろうか。

 そういえば、ここには中山競馬場という「宝殿」がある。もっとも、競馬で破産する人は多数いるが、宝殿を築いた人はいないので、この「宝殿」は「夢」・「願望」・「欲望」に近い意味なのかも知れない。・・・そうだ、そういったものを洗い流すためにも、私は温泉に行こう。

 待ち合わせ時間が来たので、駅の改札に向かった。駅構内の売店に「千葉のお土産」という文字と落花生の絵があった。千葉はやっぱり落花生=ピーナッツなのか。そういえば、先日妻が収穫した落花生を塩茹でして食べたが、ほくほくして旨かった。乾いたピーナッツも良いが、茹でたものも良い。また、競馬場が近いため、競馬グッズも販売していた。思わず人形などを買いそうになったが、もう無駄使いは止めているので買わなかった。

 妻と線路沿いの狭い道を歩いて温泉に向かう。外観も内観も、なかなか立派な施設だ。料金を払って入場する(妻は既に会員になっている!)。「やっぱり、老人ばかりだな」と思いつつ、脱衣所のロッカーに衣類を入れているとき、遠くで「あっ、倒れた!」という声がした。その先を見ると、アジア系の中年男性が倒れている。すると、おそらく常連客らしい緊急電話の場所を知っている老人が、フロントに慣れた口調で連絡した。まもなく従業員の女性たちがぞろぞろとやって来て、男性の対応をした。私は、もしも手伝うことがあればやろうと思って、しばらく様子を見ていたが、大過ないようだった。たぶん、湯あたりでもしたのだろう。・・・そして、私は早めのランチを食べていて良かった。

男湯入口

 湯船は、多種多様に分かれていて面白い。私は、悪い腰の治療もあるので、ジェットバス、あつ湯、ぬる湯、源泉かけながし湯、白濁湯、炭酸湯と続けて入った。最後の炭酸の泡が身体にまとわりつくのが面白い。また先日、公園散歩中に虫に食われた後が右足膝裏にあり、そこが傷になっているのだが、湯船に浸かったらかなり染みた。ところが、温泉効果だろうか、傷の痛みはいつのまにか消えていた。しかし、腰の痛みはあまり変わらなかった。ここに毎日通えば良くなるのだろうが、やはり一回くらいで治療できると期待するのは、無理な話だ。
 
 男湯の客は、外国人よりも地元の老人が圧倒的に多かった。自宅近くにこんな温泉が、しかも800円で入湯できるのであれば、私も通ってしまうだろう。一方女湯の方は、外国人が多かったらしい。また、湯殿外の畳がある場所では、小柄な老婆が熟睡していた。日本は本当に安全な国である。

 湯から上がった妻と私は、まるでこちらこそが本日のメーンイベントのように、施設にある食事処で、大ジョッキのビールを飲みながら、枝豆、アジフライ、ポテトフライを食べた。ただ食事処の雰囲気は、高級レストランというものでは全くなく、例えば高速道路のドライブインのような雰囲気だった。食券を予め購入することもそのイメージに関係していた。またジャージ姿の女性がいたので、やはり近所の人が自宅の延長という感覚で来るのだろう。

 そうして私たちは、今日最初の酒を飲んだ後、次の目的地へ行くことにした。

 実は、新木場にこの日新規開店する寿司屋に行きたいと妻が希望していた。しかし、寿司屋が開店する17時までには、ちょっと時間があった。それで、私たちは葛西臨海公園で降り、水族館で時間をつぶそうと考えた。水族館に行くには、駅から少し歩くことになる。その大きな道には、外国人客がちらほら見えるが、意外と数が少ない。おかしいなあと思いながら、とりあえず一番奥の海が見えるところまで歩いた。東京湾の午後の眺めが美しい。アジア系の若い女性が嬉しそうに写真を撮り合っている。しかし、水族館が見つからない。

葛西臨海公園展望台


葛西臨海公園人工なぎさ

 「おかしいな?」とさらに思って、駅から来た大きな道を戻ると、本日水曜日は水族館の休館日だったことがわかった。それで人が少なかったのだ。妻が「じゃあ、観覧車に行こう」と言い、そちらに向かう。しかし、遠目にも動いていないことがわかる。観覧車も水曜日は休みなのだ。仕方なく、観覧車近くにある庭園で池の鯉を見ながら時間をつぶした後、新木場に向かうことにした。

停止した観覧車

 新木場には16時に着いた。まだ開店までには1時間ある。そこで少し前に新規開店したときに行った、駅近くのビアバーで時間をつぶす。なかなか旨い今日2杯目と3杯目のビールの支払いをした時、店員が「近くで寿司屋が新規開店するので、沢山並んでいますよ」と教えてくれた、なぜか教えてくれた。たぶん、私たちの会話を聞いたのだろう。

新木場駅

 ビアバーから近いその寿司屋の前には、スーツ姿の人が沢山たむろしているのが見えた。私たちはその列の最後に並んだ。すると、スーツの集団とは別にいた老人が、「予約していないとだめらしいですよ」と教えてくれた。「入れないのか」と思った直後、店の中から出てきた店員が、その老人に対して「18時までなら大丈夫です」と伝えて、老人とその連れの人は中に入って行った。私たちも同じように「予約していませんが・・・」と伝えたところ、「18時15分までなら大丈夫です」と席に案内してくれた。この15分の違いが、いかにも日本人だと思ったが、とにかく、新規開店満員御礼、商売繁盛目出度しである。

 私たちが4人掛けの席について注文すると、短時間で帰って欲しいという店の都合もあったのだろう、すぐに酒やつまみが出てきた。どんな理由であれ、これは素晴らしいことだ。私たちは、日本酒半合ずつ、寿司10貫ほど、刺身6切れ、しめ鯖、アジの骨煎餅を次々と胃に詰め込み、酒がなくなった私は酎ハイを追加注文して、もう18時前には店を出た。入店してから45分しか経っていない。私たちは、いつも「たくさん飲んで食べて、すぐに出てしまう」ため、店の要求は苦にならなかったのだ。

 妻は、電動自転車で自宅から来ていたので、新木場駅には向かわなかった。一方、一人で駅に向かった私は、「締め」にはやはり蕎麦が食べたいと思って、今日2回目となるメトロ庵に入ってしまった。昼と違って、空いている店内でゆっくりと写真を撮りながら食べたのは、かき揚げと生卵入りの蕎麦だった。飲んだ後に、高カロリーを欲しがってしまうのは、なぜだろう。

天たま蕎麦

 蕎麦を食べた満腹感を抱えて自宅の最寄駅に着く。そこから自宅に行くまでに、いつも買い物をするスーパーがある。翌日に買い物をする予定だったが、宅急便の引き取りが来ることになっていたので、先に済ませることにした。買い物袋に私の朝食となるバナナやパンを入れて自宅マンションに着くと、入れ替わりに小奇麗な格好をした若い女性が、「ご出勤」する姿とすれ違った。まさか、船橋のキャバレーにはいかないだろう。たぶん銀座の、私のような庶民には縁遠い高級クラブだろうか。

 マンション住人の生活時間はいろいろと違うなと思って、エレベーターに乗ったら、後から家族連れが慌てて乗り込んできた。すると、背の高いスーツ姿の人が「こんばんは」と私に挨拶してきた。理事会の時は普段着だったので気づかなかったが、管理組合の理事をともにしているHさんご家族だった。

 そしてHさんは、狭いエレベーターの中で「私の家内です」と私に奥さんを紹介してきた。一瞬「こんなところで?」と思ったが、先方から「お世話になっています」と言葉をかけてきたので、私も「こちらこそ、お世話になっています」と外交辞令を返した。私の降りる階はHさんより下(先)だった。「お疲れさまです」と言いながら私は降りた。そう、私のような年金暮らしをしている老人には、働いている人は皆「大変にお疲れ様です」なのだ。

夕暮れの駅付近から


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