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<閑話休題>銀座 月光荘はなれ

 ある時、facebookの投稿を見て、銀座にこんな場所があったのかと初めて知った。東京は広い。

 なお、昔にダビンチのデッサン密輸事件があったようだけど、その事件は寡聞にして知らなかった。

 また、ピアニスト中村紘子の母が経営する画材店であったことも知らなかった。若い頃、少しばかり絵に凝っていて、画材を購入することもあったが、その頃通っていたお茶の水にあるレモン画翆という画材店で購入していたので、銀座は高級そうな印象だったこともあり、まったく行かなかった。

 ところで、このレモン画翆には、付属の喫茶店「レモン」というのがあって、私が中学3年の頃に流行した歌謡曲「学生街の喫茶店」のモデルだったことを、成人した後に初めて知って驚いた。ここは、私のような貧乏学生が通うような、駅のガード下にあるような画材店と付属の喫茶店だったので、店の雰囲気は、芸能界のようなお洒落な人たちよりも、私のような貧乏学生が多かった印象がある。まあ、だからこそ、私のような「下層民」でも入れたのだったが。

 またお茶の水には、私が学生の頃に、「まいまいつぶろ」という不愛想な店主が一人でやっている狭いバーがあって、トリスの水割りがグラス一杯100円だった。つまみは柿の種などの「乾きもの」しかなかったが、唯一つまみっぽい品がお新香で、これはすぐになくなってしまった。そして、店主が一人でやっているため、オーダーしてもなかなか出てこない。また席数の少ない一階よりも、席数の多い二階をよく利用したため、最初に「トリスの水割り5杯、(もしあれば)お新香、さきイカ、ください」などとまとめて注文していた。店主は、この客の注文に対して何の返事もしなかったが、間違うこともなく持ってきてくれた。

 なおこの店で、最も高い酒はブランデーだったが、ある時私の友人の知り合いは、このブランデーが飲みたいがために、献血して得た金で飲んだそうだ。自分の血を高額な酒に代えるというそのことに、当時の私はひどく感激していたのを覚えている。

 この「まいまいつぶろ」に、大学を卒業して3年ぐらい経った頃に尋ねてみたら、もう学生の店ではなくなって、サラリーマンばかりの店になっていた。私は、とても驚くとともに、何かもう行きたくないと思ってしまった。それでその後は、一度も訪ねることはしなかったが、多分店主が引退したのか、あるいは御茶ノ水駅が改築された関係か(店は駅と連結していた)、この懐かしい店はなくなっていた。

 話が昔のお茶の水に飛んでしまった。肝心の銀座「月光荘はなれ」に戻ろう。

 この月光荘はなれの屋上庭園にはレモンの木がある(これで、お茶の水の「レモン」と思い出がつながる)。私が10月に訪ねたときは、夜で暗かったこともあり、屋上庭園にはいかなかったが、その下の飲食スペースにもレモンらしき木が植えられていたのが見えた。たぶん、オーナーはレモンとレモンの木が好きなのだろう。まさか、お茶の水のレモンを意識したわけではないだろうが、何か因縁を感じてしまうのは、私だけだろうか。

月光荘はなれテラス

 月光荘はなれは、銀座の高級クラブや高級飲食店が立ちならぶ通りにある。1階の画廊「月光荘」は、小さくて目立たない上に、小さなビルの5階にある「はなれ」はもっと目立たない。さらに、5階に行くまでには狭くて急な階段を昇るのだが、その途中に小さな銀座の高級クラブが各階にあり、またその近くの階段にあるトイレはそれらのクラブ専用となっているため、月光荘はなれの客は使用できない。なにか、世間とか社会とかから疎外されていくような不思議な気分になって、息を切らしながら5階まで上がっていく。

 しかし、そうした俗世間の魑魅魍魎の世界を通りすぎた先には、芸術を愛好するもののための天国に近いスペースが広がっている。程よい古さを見せる調度品は、すべて美術愛好家の趣味であることが、眼よりも肌で感じられる。高級クラブで活躍するであろう、インテリアデザイナーとかファッションデザイナーの仕事とか、あるいは大企業先導の「趣味の良い家具選び」などとは違う、美術を愛好するものだけがわかる一種偏執的な趣味でもあるのだ。

 それはまた、まるで南仏のマティスが生活した家のイメージを、銀座の真ん中で再現したような感覚も湧き起こさせてくれる。今は夜だが、昼の陽光は、地中海の太陽を思い出させてくれるかもしれない。そしてこの都会の喧騒から隔離された場所は、通りすがりの人が「ちょっと寄ってみようか」などとは間違っても思わない、知っている人しか行かない一種秘密の場所めいた憩いの場として、そこにあるのだ。この特別感が心地よい。

月光荘はなれ室内

 しかし店全体は、ひどく小さい。個人宅としても小さい空間でしかない。外の夜空が見えるテラスには、四人掛けのテーブルが二つと壁沿いに二席。バーカウンターがある室中には、二人掛けのテーブルが四つと、カウンターに四席。たったこれだけのスペースだ。まるで、個人宅のリビングで酒を飲んでいる錯覚すらしれしまう。(もっとも、銀座の高級クラブの席数もこれぐらいだろうが。)

 月光荘はなれでは、生演奏がある。私が訪ねた時は、ギターの独奏だった。ポピュラーな曲を30分にわたって奏でてくれた。初秋の風がテラスから吹き込むのを肌で感じつつ、木製のカップに入ったギネスをちびちび飲んで聴いた。生演奏は良いものだ。スピーカーよりも音が直接心に響いてくる。そうしているうちに、昔のことから最近のことまで、ギターの音とともに、いろいろなイメージが脳裏に浮かんできた。

 そのうち、南米の名曲「イパネマの娘」が演奏された。そういえば、この曲を歌ったアストラッド・ジルベルトが先日亡くなった。もしかするとそうした思いをギタリストは含んでいたのかも知れない。私にとっては、マイアミにいたときに大好きになった曲だ。また、マイアミやキーウェストの雰囲気にこの曲はよく合った。そうした思い出の数々が、ビルの谷間のわずかに見える夜空に、おぼろげに浮かんでいた。

電気ブランと生ビール

 ここには、魂の真の憩いがある。商業主義とか金儲けとか世間体とか名誉とか地位とか、そんな物欲と煩悩の世界とは隔絶した、芸術のための芸術の世界が、そこに小さく息づいている。そのことに、何よりも私は安心している。私のような変わり者がのんびりと憩える場所が、銀座にあったことに喜びを隠せない。そのうちにまた行こう。そして、次回はクラシックを聴きたいものだ。

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