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<旅行記>出雲~安来~玉造~隠岐の島~姫路~三宮。日本を再発見する旅路(その2)

 3回連載の2回目です。玉造温泉、境港、隠岐の島と旅を続けます。説明のためもあり、(その1)より画像が多くなっています。途中、思わぬアクシデントがあり、私の心は乱れ、そこから回復していく過程になります。

3.玉造温泉から境港へ

 翌朝、朝風呂に入った後、次の目的地である境港に向かうため、ホテルからタクシーで駅に向かった。玉造温泉駅に着いた時、またもや想定していた列車が運休していて、駅舎で1時間ほど時間をつぶすことになった。昨日の安来駅に続き、島根県の小さな駅舎の雰囲気を十分に堪能することになった。ずっと、時間がゆったりと流れている。私の心のリハビリは、順調に進んでいるように思われた。

誰もいない玉造温泉駅ホーム(出雲方面)

 月曜に東京を出発して、この日は水曜日になっていた。旅の中間地点だ。ゆっくりと進むローカル列車に乗り、米子駅にもうすぐ到着する直前だった。時間もほぼ正確に覚えている。11時11分。私のスマホが鳴った。電話の着信音だ。名前も表示されている。東京で一人暮らししている実母だった。列車内ではあるが、緊張しつつ電話を取る。母からこんな時に突然電話してくるというのは、あまり芳しくないことを直感したので、出るなり「調子悪いの?」と聞いた。すぐに「調子悪い。朝食を食べた後吐いてしまった。」という説明があった。とりあえず列車内なので、「後でかけなおすから」と言って電話を切った。出雲大社前のバス停で指を切ったのは、これだったのかと確信した。

 米子駅に着くまでのわずかな時間、この定年退職後の一大イベントである旅を途中で止めて、すぐに東京に引き返すということが、頭の中をぐるぐると廻った。3月までの仕事をしていた時、365日24時間、こちらの都合とは全く無関係に仕事用の携帯電話が鳴ると、個人の事情などお構いなしにあらゆるものを直ちに停止して、すぐに出勤することを強制させられていた日常の巨大なストレスが、そして定年退職後2週間かけて、少しずつ忘れていった仕事で受けた深いトラウマが、このたった電話一本で一気にぶり返してしまった。

 40年間にわたって酷使続けた心身の高ストレス状態から、ようやく完全に解放されて、いわば心の傷を癒す旅であった今回の旅行が、すべて吹っ飛んでしまったと感じられた。私の心身は、まるで以前に仕事をしている時のような苦しい「戦闘状態」に戻っていた。穏やかになった私の表情はすぐに険しくなり、近くで携帯電話の音が鳴ると自分の携帯ではないかと不安になることが再開していた。何か行動するにしても、仕事にどう影響するかを考え続け、非常に強い緊張感に緊縛されていた状態に、一瞬で戻ってしまったのだ。

 米子駅のホームに降りた後、妻が東京にいる姪にメッセージで連絡した。幸いに仕事の都合をつけやすい姪は、自宅及び会社から近い母の家に向かってくれることになった。とりあえずの対応はできた。さらに妻が母に改めて電話した。私の気持ちでは「すぐに来てくれ!」という緊急発進の電話連絡だったが、妻が改めて話を聞くと、「(私は今回の旅行のことは事前に知らせていたのだが)息子夫婦が長い旅行に行っているとは知らなかったので、深く考えずに、ようやく日本から戻ってきたことの安心感もあって電話した。容態はまったく問題なく、少しベッドで横になっていたら良くなった。今はおかゆを食べている」とのことだった。

 一応、緊急事態のオペレーションは終了した。その後姪から、「(正確には「ひいおばあちゃん」だが)おばあちゃんは元気だった」とのメッセージが来た。そして妻からは、「お母さんは、すぐに来てとは言っていなかった」と言われた。そうかも知れない。しかし、電話を取ったときは、母はかなり切迫したように話していた。私にすぐにかけつける(まるでスーパーマンのように)ことを期待したと感じた。しかし、これまでの仕事同様に、私は当然スーパーマンでも何者でもない。また何も特別なことはできないし、どこでも希望する場所へすぐにかけつけることもできない、ただの腰痛持ちの63歳の爺さんだ。そして、今は東京から遠く離れた島根県にいるのだ。私には何ができたのだろう?

 どうにか一時的にでも気持ちを切り替えて(退職後にゆっくりと心のリハビリをして、少しは改善してきたが、しかし苦しい時の気持ちはほんの一瞬で蘇ってしまう。そしてまた最初からやり直しだ)、米子駅から鬼太郎列車に乗って境港駅に向かう。アニメ好きと思われる観光客が数人乗車している。私も記念に列車の写真を撮った。鬼太郎好きの人は、この列車に乗るとどんな気分になるのだろう、と私は漠然と想像しながら列車に揺られていった(トップ画像に横長座席の鬼太郎プリントを掲載)。

米子駅で出発を待つ鬼太郎列車

 境港駅に着いてから、そそくさと駅近くのホテルに荷物を置いて、ランチを摂る店を探した。しかし、ここでも島根県のローカルタイムに悩まされた。島根県境港の飲食店の多くは、水曜日を定休日にしていた。そして、まさにこの日は水曜日だった。ホテルからすぐに歩いて行ける店を予定していたのだが、店に着いて「閉店中」の札を見て愕然とした。気持ちを切り替えて、駅近くにある観光案内所にとぼとぼと私たち老夫婦は向かった。周辺にはコンビニも弁当屋もないし、このままランチを摂れずに夜を迎えるのか?という不安を抱えながら。

 訪れる人もいない、閑散とした観光案内所の女性は、土地に不慣れな旅人に親切だった(不思議なことに「招き猫」である私が相談しているとき、ふと後ろを見ると、観光客らしい2組が私たちの相談が終わるのをいつのまにか待っていた。しかし、私たちへの対応が長くなったため、諦めていなくなってしまった)。観光用に作成した地図を見ながら、適当な店を選んでくれた上に、わざわざ店に電話までして営業を確認してくれた。その店は、鬼太郎ロードから少し外れたところにあるのだが、日本海の幸を集めた海鮮丼の良いランチを提供してくれた。水曜日が定休ということを忘れさせてくれるこの少し豪華な昼ご飯に、私たち老夫婦は満足して、近くの水木しげる記念館へと向かった(さっきのランチ難民の心配は、とうに忘れていた)。

水木しげる記念館出口付近の撮影ポイント

 水木しげる記念館を鑑賞した後、妻が以前友人たちと訪ねて大変に気に入ったという、境港からは橋を渡った先の七類(しちるい)にある美保神社を訪ねた。美保地区へ行くバスの時間やルートがわからないので、私たちは手頃なタクシーで向かったのだが、帰りに利用できたコミュニティーバスの親切な運転手からは、「それは大変だったでしょう。運賃はそのまま夕食代になったのに」と慰撫された。まあ、私たちのような観光客がいないと、タクシーも営業できないから、これはこれで仕方ないと思う。また、タクシーの運転手さんは、七類から見える大山の美しさを教えてくれた。人の数は少ないけど、皆親切なのだ。

 美保神社は、漁港が近いせいもあって、恵比寿神を祭る神社として商売繁盛のご利益があるという。また一日に一回巫女さんが神楽を奉納する時があって、けっこう有名だそうだ。私たちが着いたときは、ちょうど神楽の途中だったが、その後に来た家族連れが、神楽を奉納する申し込みをしていたので、偶然にも連続して神楽を見られた。妻は「私はいつも大吉だからね」と、不思議な説明をしていた。

美保神社本殿及び神楽を奉納する場所

 ランチに続いて、営業している店が心配だった夕食も、観光案内所が紹介してくれたモダンな居酒屋に行くことで解決した。そこで私たちは、島根の地ビールと境港の地酒を堪能した。さらに、妻が「是非食べたい!」というので、高額なズワイガニを一匹頼んだ。刺身、天ぷら、フライなど、どれも良い味だった。連日、こうして大酒を飲み、多種類のつまみを食べている生活を楽しんでいる。そして、酒を飲んでいる間は、さすがに40年間のトラウマも、少しだけ薄くなるようだった。

夜の鬼太郎ロード

4.境港~七類港~隠岐の島

 境港のホテルは朝食ブッフェが有名とのことだったが、確かに普通のブッフェでは用意されていないような、刺身や寿司飯までもたくさん用意されていた。妻は、嬉しそうに自分だけの海鮮丼を作っていた。私は、地元のものを多く食べたいので、豆腐やシジミ汁を中心に食べた。しかし、少しだけ食べたい気持ちを抑えて、全体の分量を控え目にした。実は船酔いをしやすいので、これから隠岐の島に向けて乗るフェリーでの移動を心配していたのだ。

 境港から七類港へは、前日の親切な運転手に教えてもらったバスで簡単に直行できた。旅行前は、乗り換えしなければならないとか、バスの時間とフェリーの時間が合うのだろうかと余計な心配をしていたが、そもそもフェリーはバスが着かないと出航しないし、バスはフェリーが着かないと出発しない。当然だが、フェリーとバスの連携は、まったく心配なかったのだ。

 七類港の現代的なデザインの立派なターミナルに着いた後、妻が予約してあった乗船券を購入した。すでに、乗船口には多くの人が並んでいたが、予約できない良い席(正確には二等船室ではただの広間の場所)を確保するために並んでいたことを、乗船後に知った。

七類港フェリーターミナルのオブジェ(船上から見る)

 フェリーは比較的大型で、船に馴れていない私には新鮮だった。少し時間があったので、船室、甲板上などの写真を撮って出航を待った。やがて船はゆっくりと出航した。幸いに好天と凪に恵まれて船の揺れはほとんど感じなかった。船酔いなどしない(ついでに生ガキなどにも当たらない)妻は、展望デッキに出て、ゆっくりと遠くなっていく七類港を見ていた。私は、二等船室の予約していたスペースで横になって寝た。船酔いしたわけではないが、何もすることがなくなったので、とりあえず寝ることにした。気分はネズミ男だ(「とりあえず昼寝でもしていけよ」というセリフが、「ゲゲゲの鬼太郎」にはよく出てくる)。

フェリーおき二等船室
フェリーおきの乗船口へつながる陸橋

 波静かな日本海を、フェリーはゆっくりと進む。途中遠くに貨客船らしい船影を見る。数時間後、隠岐の島が見えてきた。なぜか未知の領域を探検するような高揚感が湧いてくる。おもわず甲板に出て、フェリーから見る隠岐の島の姿を撮った。歴史的な順序としては逆なのだろうが、古代の本土から隠岐の島に向かった人たちも、私と同じような感慨を持ったのかも知れない。

波静かな日本海
フェリーから隠岐の島が見える

 船は静かに西郷港に接岸し、私たちはすぐに港近くのホテルに向かった。チェックインするには時間が早いので、キャリーバック二つを預かってもらい、すぐ近くのレストランにランチを摂るために向かった。幸い木曜日のこの日は、また観光客相手の店ということもあり、いかにも観光地にあるようなレストランは普通に営業していた。しかし、店に入るなり、店主らしい中年女性から「オーダーしてから時間かかりますよ」と言われたが、時間を気にしているわけではないので、のんびりとメニューを眺めた。また、この後レンタカーを借りて島内を散策するので、さすがにビールを飲むのは止めた(運転は妻がしたが、私も運転する可能性があるので、念のため止めておいた)。私はまたもや海鮮丼、妻はなぜかサザエの入ったカレーを注文した。日本中、どこでもカレー(日本式のもの)は食べられる。そして、味に外れはまずない。

 ランチを済ませてから、港近くの観光案内所に行った。レンタカーを借りる相談と観光案内図の入手だった。ここで残念なことに、乳房杉と大山神社(杉の古木を本殿としているシンプルな神社)へは、土砂崩れで道路が封鎖されて行けなくなっているという。せっかくの機会だったが、あきらめて港近くのレンタカーの無人案内所に行った。そこから妻が電話したら、15分くらいしてからレンタカー会社の女性が車でやって来て、港から少し遠いレンタカー会社まで運んでくれた。

 そこで、軽自動車を借りたのだが、私たちはもう10年も日本で運転していない(もちろん、免許証はゴールドです)。3月までいたルーマニアでは、公共交通機関が発達しているので車を持たなかったし、その前のヨルダンではセダンを乗っていたが、年式は古いものだった。ところが、隠岐の島で借りた軽自動車は、エンジンをボタンでかけるのはわかるとしても、サイドブレーキが通常の座席横になくて迷った。結局、レンタカー会社に電話してわかったのだが、フットブレーキの横にあるとは想像できなかった。老夫婦は、時代の進化に取り残されていることを実感したときだった。

 車はナビに従って、順調に進んだ。もとより渋滞することもないし、道も大半が一本道だ。島自体もそんなに大きいわけではない。最初の目的地である玉若酢命(たまわかすのみこと)神社と八百杉(やおすぎ)に、まもなく着いた。そこは、予想していた以上に素晴らしい神社だった。おそらく、出雲大社より前にここ隠岐の島に建立されたと思われる、非常に古い作りの神社だ。それはまた、八百杉と言いながら、すでに樹齢千年以上経っている杉の古木が証明している。私の今回の旅の一番の目的地は、隠岐の島だったから、この遺跡といっても過言でない神社を参拝できたことは、とても嬉しかった。

玉若酢命神社本殿(背後の森が御神体)
八百杉(樹齢千年以上)

 続いて水若酢(みずわかす)神社へ向かった。車で島を北に向かったところにあるのだが、うっそうとした山に囲まれた田園を、人の姿を見ることもなく走っていくのは、なにか秘境もしくは特別な場所に向かうような気分にさせてくれる。やがて、ナビをしていた私よりも先に、運転をしていた妻が水若酢神社を見つけた。一台も停めていない駐車場に車を置いて、神社に向かった。玉若酢命神社よりは新しい印象はあるが、この水若酢神社は神社の周辺を含めて、静謐かつ神聖な空気に包まれている聖所という雰囲気があった。また、神社の裏手に数本の杉の木があったので、ここも古い杉を祭ってあるのかと思ったら、説明書きによれば古墳跡だということだ。きっと、遠い昔に出雲に向かって出航した豪族の誰かが、ここに葬られているのかも知れない。そう思うと、古墳跡に残る大石の一つ一つが、隠岐の島と出雲の歴史を語りかけてくるようだった。

水若酢神社本殿(背後の林が御神体)
水若酢神社裏にある古墳遺跡(杉の木の囲まれている)

 この後、まだ時間があったので、妻が観光地図から見つけた伊勢命(いせのみこと)神社へ向かった。道は有名なローソク岩(夕方船で、柱上になっているこの岩の近くに行くと、ちょうど夕陽が岩の頂上と重なってローソクのように見えるのが由来)方面だったが、ナビには肝心の伊勢命神社が表示されていない。少し、道を行ったり来たりした後、途中右手に神社らしき建物があり、車を止めていってみたら、そこが目指す伊勢命神社だった。

 ここは、玉若酢命神社などのように観光名所になっておらず、また、目立つような杉の古木などがあるわけではないので、観光用に整備された形跡はなかった。しかし、それが逆に古色蒼然とした歴史の片隅に忘れ去られた遺跡を思わせて、別種の良い趣があった。神社の長年の風雪に浸食されて姿が変わってしまった狛犬の近くには、時季外れの桜が咲いていた。その桜が、とても美しいと思った。きっと神社に使えた古代の巫女たちが、桜の花びらのひとつひとつになって、今の時代を生きているのかも知れない。

伊勢命神社本殿(背後の森が御身体)
伊勢命神社の桜

 レンタカーを返す時間が迫ってきた。西郷港へ向かう途中の道に、かぶら杉があることに気づいた。山の中のロングアンドワインディングロードを進むと、突然左手に杉の巨木が目に入った。車を駐車できるスペースに止めて歩いていくと、その杉の巨木は、なんとも言えないまるで抽象絵画のような造形を見せてくれた。この杉も千年は経っているようだが、根元近くから多く枝分かれした太い幹の姿は、そこに神様の家があったのではないか、いや今も道路沿いの騒々しい場所ではあるが、そこの幹の間に神様が休んでいるような雰囲気があった。

かぶら杉

 やはり木は、特に古い巨木は神様なのだ。古代、人々は神が空(天)から降りてくることから、高い山や高い木に神が住んでいると信じ、そこを祭った。神社の本殿に神が住んでいるような誤解をしている方も多いようだが、本殿は神を拝むための拝殿であり、本当の神は、拝殿(本殿)の後ろにある深い森、高い山、古い木に宿っている。拝殿には神はいないのだ。そして、ここのかぶら杉は、拝殿も鳥居もないが、その巨木の中には確かに神が宿っていると直感した。これは間違いではないと思う。

 レンタカー会社に帰る途中、コンビニもATMもない島の中にあるスーパーで、妻がmのど飴を買った。ほかにホテルで飲み食いするものも買おうと思ったが、時間がないので急ぎレンタカーを返しに行った。返却した後、レンタカー会社の人が、ホテル近くまで送ってくれた。

 ホテルで一休みした後、妻が見つけた出雲大社西郷分院を参拝した。この頃には、春雨が降っていたが、小さな分院を濡らす細かな雨は、何か繊細な風情を醸し出していた。妻は、そこで絵馬を奉納した。今回の神社巡りの最後となることも理由だった。

 分院からほど近いところに、この晩の夕食を摂る予定の居酒屋があった。昭和の面影を強く残す店の畳敷きの個室で、隠岐の島の地酒や酒肴を楽しんだ。最後に、ずっと気になっていた隠岐そばを頼んだ。その素朴な味わいは、隠岐の島の夜に相応しいように見えた。

 ホテルに戻ってから、これまであった大浴場(温泉)がないので、部屋の狭いバスタブに、妻が出雲で買っておいた温泉の素を入れて入浴した。私が選んだ屋久杉の素は、長い旅の終盤をつかの間癒してくれる気分にしてくれた。

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